原題:『The Great Gatsby』
監督:ジャック・クレイトン
脚本:フランシス・フォード・コッポラ
撮影:ウィリアム・アザートン
出演:ロバート・レッドフォード/サム・ウォーターストン/ミア・ファロー
1974年/アメリカ
脚本家以上に制作費によってニュアンスが変わる作品について
貧しい身分から戦争で功績を残し成り上がって大富豪になった主人公のジェイ・ギャツビーは一人の女性を想い続けており、彼女のために頑張ったようなものなのであるが、それは近所で自動車修理工として働いているジョージ・ウィルソンも同様で、妻のマートルを自宅に監禁してまでも自分のものにしておきたかった。
そして2人の類似性はそれぞれの女性に関しても同様で、それは自動車事故で明白になる。マートルはジョージから逃げ出そうとした際に、ギャツビーが乗っていたピンクの自動車に轢かれるのであるが、その自動車はデイジー・ブキャナンが運転していたのである。しかしデイジーは真実を公にすることはなく、誤解したまま夫のトム・ブキャナンが告げたことを鵜呑みにしたジョージは、本来であるならば同じ身分で同じ立場のギャツビーを銃殺してしまうのであり、そこに「蛙の子は蛙」という人生のアイロニーを感じるのである。
『華麗なるギャツビー』(バズ・ラーマン監督 2013年)においてはデイジー・ブキャナンの冷酷さが目立ったが、フランシス・フォード・コッポラが脚本を担っている本作は、出自から逃れることの厳しさが目立つように感じた。