原題:『Play Misty For Me』
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョー・ヘイムズ/ディーン・リーズナー
撮影:ブルース・サーティース
出演:クリント・イーストウッド/ジェシカ・ウォルター/ドナ・ミルズ/ドン・シーゲル
1971年/アメリカ
女性版「アメリカン・ニューシネマ」について
例えば、中条省平の『クリント・イーストウッド - アメリカ映画史を再生する男』(ちくま文庫 2007.12.10)などで付け加えることがないほど本作は語り尽されているのであるが、本作と「アメリカン・ニューシネマ」との関連性を見逃してはならないような気がする。
言うまでもなく「アメリカン・ニューシネマ」は体制に抵抗する反体制の若者の一時の栄光と避けようのない挫折が描かれているのであるが、本作において体制は「男性」のデイブ・ガーランドで反体制は「女性」のイブリン・ドレイバーである。デイブにはトビーという恋人がいながら、遊びのつもりでイブリンを誘い、一夜を過ごすのであるが、誘われたイブリンの方は本気だったのである。まるでイブリンが「空気が読めない」頭のおかしな女性のように見えるが、誘ったのはデイブであることを忘れてはならないし、デイブに限らずイブリンは男性に対して容赦がない。
後に「ストーカー」という言葉が生まれて、本作はストーカーと化した女性の物語のように括られてしまっているのだが、勝ち目のない戦いの末、崖から「突き落とされて」惨めな最期を遂げるイブリンの物語は、男性に勝ちようがなく挫折してしまう女性版「アメリカン・ニューシネマ」ではないのだろうか。