原題:『La Femme de la Plaque Argentique』
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ
出演:タハール・ラヒム/コンスタンス・ルソー/オリヴィエ・グルメ/マチュー・アマルリック
2016年/フランス・ベルギー・日本
再び2時間を超える作品を撮ってしまった映画監督について
前作『クリーピー 偽りの隣人』の出来がとても良く、映像作品に「ダゲレオタイプ」という写真を敢えてテーマに選んだことでかなり期待して観に行ったのであるが、正直がっかりした。
主人公のジャンは本人いわく写真に関しては素人と言っていたはずなのだが、そのような青年を雇う側である写真家のステファンが何故気に入ったのかその理由がよく分からない。ジャンを選んだのは前任者のルイだと思うが、後に分かるようにステファンは気難しい芸術家肌の写真家で、その気難しさが後の悲劇につながるのだから、ここの描写は大事だと思うのである。
彼らが虜になるダゲレオタイプの写真が上手くジャンの行動と絡んでいない点にも不満が残る。それよりも娘のマリーが育てていた自宅の植物園の植物が現像で使う水銀の影響で枯れていく様子や、ステファンの所有する自宅の抵当権や、ステファンが撮影のために妻のドゥーニーズやマリーに密かに使用していた筋弛緩剤などに焦点が移ってしまい、肝心のダゲレオタイプの写真と「幻影」の関係が御座なりになっているのである。
ステファンの狂気はまだ理解できるものの、ジャンが急に狂いだすところも不自然に見えるのが俳優の能力の問題でないのだとするならば、やはり日本人が西洋人に芝居をつけることの限界ではないのだろうか。せっかく西洋人がキャスティングされているのに『クリーピー』で描かれた古典映画の「批評」が見られなかったのが惜しい。あるいは脚本を黒沢単独で担ったことにもストーリーを単調にしてしまった要因なのかもしれない。