原題:『Every Thing Will Be Fine』
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン
撮影:ブノア・デビエ
出演:ジェームズ・フランコ/レイチェル・マクアダムス/シャルロット・ゲンズブール
2015年/ドイツ・フランス・カナダ・ノルウェー・スウェーデン・アメリカ
さすらわされる主人公のについて
久しぶりにヴィム・ヴェンダース監督作品を観てみたら、主人公が相変わらず「さすらう男性」だったことで、初期の作品から全く変わっていないことに驚いた。聞いた話ではヴェンダースはノルウェーの作家であるビョルン・オラフ・ヨハンセンのオリジナル脚本をノルウェー語から英語にわざわざ書き換えて撮るほど気にいったようで、要するにヴェンダースは「さすらう男」が好きなのである。
主人公のトーマス・エルダンは『Nowhere Man』や『Luck』などの小説を発表している作家なのであるが、どうもトーマスの感情が掴み切れない理由として、そもそも自分が運転していた車で子供を轢いたことに体感で気が付かないのだろうかと疑問を持ってしまうからである。亡くなったニコラスという子供とクリストファーという2人の息子を持つケイトも不思議な存在で、おそらくフォークナーの小説でも読んでいたのだろうが、読書に夢中になって子供から目を離していたから事故が起こったのであるが、下の息子を亡くした後でも風景画を描くことに夢中になってまだ幼いクリストファーから目を離しているのである。
トーマスの元カノであるサラと喧嘩をしていた原因もよく分からないし、トーマスが結婚したアンが、遊園地で事故に遭遇した際の怪我人に対するトーマスの対処の冷静さに文句を言う理由も、自動車事故から11年後にトーマスの前に現われる16歳のクリストファーの振る舞いの奇矯さも理解しにくく、原題「Every Thing Will Be Fine(全ては上手くいく)」の真意がよく分からなかったのであるが、子供に対するトーマスの「距離感」が描かれていると捉えるならば、ニコラスを死なせてしまい、サラとの間には子供が出来ず、アンの連れ子であるミナに翻弄され、大きくなったクリストファーには「寝小便」をされ、実子がいないにも関わらず子供たちと関わらざるを得ない男の新手の「さすらい」が物悲しくはあるし、もう少し「母親」の方も頑張ってくれというトーマスの心の叫び声が聞こえなくはない。