『安倍三代』(青木理著 朝日文庫 2019.4.30.)はとても興味深い本だった。印象的な発言を引用してみる。
「(もともと深遠で強固な政治思想があるわけではない安倍晋三の)基底にあるものが『天のはかり』や『天命』『使命』なるものだとするならば、夫の晋三は懸命にその役割を演じている面もあるのではないか - そう重ねて尋ねた時に返ってきた答えは、相当に真実を射貫いているのではないかと感じられた。昭恵の答えはこうだった。
『主人は、政治家にならなければ、映画監督になりたかったという人なんです。映像の中の主人公をイメージして、自分だったらこうするっていうのを、いつも考えているんです。だから私は、主人は安倍晋三という日本国の総理大臣を、ある意味では演じているところがあるのかなと思っています。』
だとするならば晋三はやはり、こうすれば祖父・岸信介や周辺の゛狼゛たちに喜ばれる、こうすれば与えられた『運命』を見事に演じきれる - そう考えている程度の核しか持たない空疎な゛子犬゛なのではないか。ひょっとすると本人は核らしきものを持っていると思い込んでいるかもしれないが、そんなものは所詮後づけの皮相な代物であり、地と知にきっちりと根ざしたものではない - 青年期までの晋三を徹底取材した私はそう確信するに至った。」(p.286-p.287)
「可もなく不可もなく、どこまでも凡庸でなんの変哲もないおぼっちゃま(p.225)」という安倍晋三に付された形容は、否でも応でもアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)を想起させる。確固とした思想ではなく、生き残るためだけに手段を選ばず行動することで、同様にただ生き残りたい人たちが同調して群がっていくのである。これは適菜収も『もう、きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告』(KKベストセラーズ 2018.11.10.)において指摘している(p.65)。
誤解のないように繰り返すが、安倍首相はアイヒマンであり、決してヒトラーではない。「日本のヒトラー」は日本人ではなく、今はトランプ大統領であるが、要するに「アメリカ」なのである。