ラファエル前派はジョン・ラスキン(John Ruskin)(1819年-1900年)の理念の下に集ったウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt)(1827年-1910年)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)(1828年-1882年)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais)(1829年-1896年)の3人から始まる。そこにフォード・マドックス・ブラウン(Ford Madox Brown)(1821年-1893年)が加わるのだが、正式ではないのは作風が違いすぎるからだったと思う。順番に代表作を並べてみる。
(『誠実に励めば美しい顔になる(Honest Labour has a Comely Face)』1866)
(『ウェヌス・ウェルティコルディア/魔性のヴィーナス(Venus Verticordia)』1863-68)
(『結婚通知 - 捨てられて(Wedding Cards : Jilted)』1854)
(『トリストラム卿の死(The Death of Sir Tristram)』1864)
ブラウンの作品は「印象派の中に紛れ込んだ素朴派」といったところだが、ラファエル前派の「自然をありのままに再現すべき(truth to nature)」という観点から捉えるならば、ミレイとハントは「リアリズム」と言えるが、ロセッティにはグラフィック感がある。
ところでミレイはラスキンの妻のエフィー・グレイ(Effie Gray)と恋仲になってしまい、その後ロイヤル・アカデミーの正会員になってしまう。ハントはモデルのファニー・ウォ―(Fanny Waugh)と結婚するも、すぐにファニーが亡くなってしまい、ファニーの妹のイーディス(Edith)と結婚するのだが、当時イギリスでは姉妹との結婚は禁じられていたためハントは結婚するために国外に出てしまうのである。
結果的にラファエル前派で残ったロセッティが弟子を取ってエドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones)やウィリアム・モリス(William Morris)など第二世代の礎を築くのであるが、例えば、ラスキンはロセッティの『魔性のヴィーナス』に関して、花の描き方が雑だと指摘し、ロセッティは数回にわたって全体を描き直したのであるがラスキンとの関係が修復されることがなかったようで、ラスキンの理念から最も離れたロセッティがラファエル前派の「重鎮」となることが皮肉なのではある。