原題:『Three Thousand Years of Longing』
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー/オーガスタ・ゴア
撮影:ジョン・シール
出演:イドリス・エルバ/ティルダ・スウィントン/アーミト・ラグム/ニコラス・ムアワッド/ブルク・ゴルゲダール
2022年/アメリカ・オーストラリア
どうしても誤解されるタイトルについて
「アラビアンナイト 三千年の願い」というタイトルが良くないと思うものの、原題も同じニュアンスで内容もそういうことなのだからしょうがないのではあるが、本作は「アラビアンナイト」という神話の物語と誤解されてしまい、興行的にも失敗したと思う。しかし本作はむしろアカデミー賞の作品賞を獲った『シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water)』(ギレルモ・デル・トロ監督 2017年)のようなメロドラマで、さらに言うならば「物語論」なのである。だからポスターは思い切って主人公の魔人(ジン)と大学で文学を教えているアリシア・ビニーが一緒にバスローブ姿で座っているシーンを使えば良かったように思う。
しかし二人の新しい夫婦のあり方が「遠距離恋愛」というのは議論が尽くされた割には平凡で、何よりも子供が欲しい時はどうすればいいのかという問題を無視してはいないのだが、やはり難しいテーマではあるのだろう。では何故アリシアはジンに子供が欲しいと願わなかったのか?
面白いシーンがあって、後半の方でアリシアがイギリスのロンドンに戻ってくるのであるが、戻ってきて早々にアリシアは隣人の高齢女性二人と口論する羽目に陥る。その際、その高齢女性の一人が「It's your opinion.」と叫んでおり、これは正確に翻訳すると「それってあなたの感想ですよね」という意味で、どこでも似たようなことを言っているのである。
エンドロールで流れるマッテオ・ボチェッリの「教訓話」を和訳しておきたい。
「Cautionary Tale」 Matteo Bocelli 日本語訳
愛が教訓話だと僕のために言うことは悪いことだろうか?
「やってみなさいよ」というのが君の返事
「絶えず失敗する可能性はあるけれど」と
僕たちは多くを求め過ぎているのだろうか?
僕たちは多くを与えすぎているのだろうか?
君がいなくなっても
僕たちには選択肢があるのだろうか?
僕がどこにいようと君がいる
僕のどの曲にも君がいる
曖昧さや嘘に惑わされて
愛と喪失は危険なゲームであるが故に
美しく振る舞う
僕たちは多くを求め過ぎているだろうか?
僕たちは多くを与えすぎているだろうか?
君がいなくなっても
僕たちには選択肢があるのだろうか?
僕がどこにいようと君がいる
僕のどの曲にも君がいる
僕たちは多くを求め過ぎているだろうか?
僕たちは多くを与えすぎているだろうか?
僕たちには選択肢があるのだろうか?
僕たちは混乱してくるのだろうか?
それは愛なのか?
それとも落ちる前の最後の跳躍なのか?
THREE THOUSAND YEARS OF LONGING | “Cautionary Tale” by Matteo Bocelli Music Video
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