MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

巧妙な心理戦

2010-02-21 00:11:52 | Weblog

五輪=フィギュア銀のプルシェンコ、採点方法に不満あらわ(トムソンロイター) - goo ニュース

今回の男子フィギュアの4回転ジャンプに関する議論の核心は、実はロシア代表の

エフゲニー・プルシェンコが3年半のブランク後の“即席”の復活であったために、

4回転ジャンプは出来ても身体のしなやかな動きまで取り戻せていなかったために

他の選手にも4回転ジャンプをするように挑発して他の選手の失敗を誘発すること

による金メダルの獲得を狙ったが、アメリカ代表のエバン・ライサチェクは彼の挑発

に乗らなかったために同じ土俵に立たせることに失敗して金メダルを逃したという

ところにあると思う。もちろん高橋大輔はそのような“駆け引き”とは無関心なままで

自分がしたいようにして銅メダルを獲得したと思うけれど。


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身上を潰すつもり?

2010-02-20 00:02:02 | Weblog

黒澤明記念館建設困難に 財団、寄付金3億円余使い切る(朝日新聞) - goo ニュース

誰も黒澤明の息子に父親と同じような作品を撮るような事は期待してないはずだし、

せめて父親の名を汚すことはないように遺産管理くらいはできるだろうと高をくくって

いたことが今回の失態につながったことは想像に難くない。今後の黒澤明記念館の

建設計画を問われた黒澤久雄理事長は「建てるように努力を続ける。あきらめない」

と話したそうだが、寄付金はほとんど残っていない上に 佐賀県伊万里市に対して

「寄付金は保管している」という虚偽の説明をしていた「黒澤明文化振興財団」に

今後誰が協力すると思っているのだろうか?信用を失った以上まずは黒澤久雄が

自ら理事長を辞任することで責任を取らなければ寄付する人はいないと思う。


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今となっては分からない

2010-02-19 18:41:49 | Weblog

前田製菓HPでも藤田まことさん追悼(日刊スポーツ) - goo ニュース

 藤田まことを紹介する中で「当たり前田のクラッカー」というギャグで知名度が

上がったとよく言われていたのだが、私には最初このギャグのどこが面白いのか

全くわからなかった。しかしテレビで当時の映像を見て、その意図がよく分かった。

「てなもんや三度笠」という番組で藤田まことが、「俺がこんなに強いのも、当たり

前田のクラッカー!」と言いながら、懐から前田製菓のクラッカーを取り出すのだが、

つまり「(強いことが)当たり前だ!」というフレーズに「前田のクラッカー」を繋げて

クラッカーを食べているおかげで強くなったという意味のみならず、時代劇の中で

懐からクラッカーを取り出すという時代錯誤が面白かったのだと納得した。


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“痛い”理由

2010-02-18 16:58:36 | Weblog

「騒動」どこ吹く風も、痛恨の着地ミス…国母(読売新聞) - goo ニュース

 この読売新聞の記事はかなり国母に同情的であるが、もちろん一般の日本国民

の代弁とはなっていないだろう。「12日に謝罪会見をした後、公式練習の最中まで

テレビカメラに追い回されて、並の神経では競技に集中するのは難しかったはず」

なのは理解できるが、その余計な“逆風”を作り出したのは国母本人なのだから

最低何色であれメダルを獲得しなければ、服装の乱れと演技の乱れを結び付け

られてしまうことは仕方が無い。それにしても国母和宏に限らず成田童夢であれ

今井メロであれスノーボードの選手に何故“イタい人”が多いのか考えていたのだが

スノーボードクロス女子の藤森由香が練習中に転倒して頭部を強打してめまいが

おさまらないためにレースを棄権したというニュースを聞いた。スノーボードという

競技は頭を打ちやすいということで納得した次第である。


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『特集:ジャック・ロジエのヴァカンス』 100点

2010-02-17 23:42:08 | goo映画レビュー

特集:ジャック・ロジエのヴァカンス

-年/-

ネタバレ

ジャック・ロジエの問題提起

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 時々誰もが絶賛しているのに実際自分が観てみたらその良さがよく分からなかったという作品に出くわしてしまう。私にとってそれは最近の例を挙げるならばヴィターリー・カネフスキー監督の『動くな、死ね、甦れ!』(1989年)なのであるが、残念なことにジャック・ロジエの長編デビュー作品である『アデュー・フィリピーヌ』(1960-62年)もよく分からなかった。
 しかしもしも本当にこのジャック・ロジエの長編デビュー作に対してフランソワ・トリュフォーが嫉妬したとするならば、それはロジエの作風がトリュフォーのデビュー作よりもより‘ヌーヴェルヴァーグ的’であったからだと思う。例えば『大人は判ってくれない』のラストシーンは主人公の少年が海岸まで走っていくシーンであったが、最後に彼が振り向く仕草にはまだ観客の涙を誘おうとする監督の‘古典的’未練が残っていたが、『アデュー・フィリピーヌ』のラストシーンにおいて兵役に就くために船に乗っていってしまうミシェルに対して手を振るリリアーヌとジュリエットの2人には全く感傷的なところはなく、寧ろ必要以上に積み重ねられるショットのために2人は手を振ることを楽しんでいるふうにすら感じる。
 ではジャック・ロジエの映画制作の意図は何なのか? 私はその鍵となる作品は1963年に制作された2つの短編『バルドー/ゴダール』『パパラッツィ』に隠されていると思う。
 この2作品ともにゴダールが『軽蔑』を撮影している現場を取材したドキュメンタリー映画としか認識されていないようだが、この2作品はヌーヴェルヴァーグ作品の核心を突く問題提起である。『バルドー/ゴダール』によればゴダールは『軽蔑』において‘ありのまま’のブリジッド・バルドーを捉えようとしていたはずであるが、『パパラッツィ』を観てわかるように‘ありのまま’のブリジッド・バルドーを捉えようとしていたのはパパラッツィたちも同じである。つまりジャック・ロジエはこの短編で、‘作品’においてゴダールとパパラッツィたちの違いは何なのかということを考察しているのである。撮影対象を‘ありのまま’に捉える時に、ゴダールとパパラッツィたちのどちらのアプローチが‘正解’なのか?
 ジャック・ロジエはその問いに答えを出す代わりに長編第2作『オルエットの方へ』(1969-70年)を撮った。そしてそこには『アデュー・フィリピーヌ』にまだ残っていた‘物語性’を完全に払拭して、ただ「オルエット」と繰り返して叫ぶだけの、床の上に巻き散らかされたうなぎに奇声を発して逃げ惑うだけの、ヨットに乗って騒ぐだけの‘ありのまま’の3人の娘、キャロリーヌとジョエルとカリーンの姿が映し出される。さらに長編第4作『メーヌ・オセアン』(1985年)では主要な女性登場人物をダンサーと弁護士にすることでより明確に生き生きと描き出すことに成功している。
 おそらくジャック・ロジエが導き出したヌーヴェルヴァーグ的手法とは女性に対して男性が‘下手に出る’ということで、その時に彼は女性を‘ありのまま’に撮れると確信したと思う。だから私には『ブルー・ジーンズ』や『アデュー・フィリピーヌ』はまだ主人公の男性が強すぎて上手く飲み込めなかったが、主人公の重心を完全に男性から女性にシフトした『オルエットの方へ』と『メーヌ・オセアン』は‘ありのまま’の女性たちを上手く捉えることに成功した傑作だと思えたのである(『オルエットの方へ』でプログレッシヴ・ロックバンドのゴングの音楽を使うセンスも素晴しい)。
 ジャック・ロジエの‘ヴァカンス(休暇)’とは‘ヴァカンス(空虚)’な物語のことである。


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グーグル問題と同根?

2010-02-17 20:46:16 | 邦楽

【コラム】 偽レコード会社がPerfumeの音源をiTunesで無断配信の怪(R25) - goo ニュース

ついに消費者庁が最近多発しているアップル社の音楽配信サイト「iTunes Store」

における利用者が身に覚えのない代金を請求される問題に関して動きだした。この

Perfume の例のようにレコード会社の許可が無いままに、音源が勝手に配信される

ということも常識では考えられないが、会社名の「Tukuma Japan Communications

(ツクマジャパン)」というバッタ臭さや、曲名の間違いなどから察すると、中国発信

の犯罪の臭いがする。しかし大手ダウンロードサイトである「iTunes Store」から

どのような経緯でこのようなことが可能になるのか全く想像がつかない。


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『シャネル&ストラヴィンスキー』 90点

2010-02-16 22:38:33 | goo映画レビュー

シャネル&ストラヴィンスキー

2009年/フランス

ネタバレ

‘春の祭典’としてのシャネル

総合★★★★☆ 90

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 シャーリー・マクレーン主演の『ココ・シャネル』(クリスチャン・デュゲイ監督)、オドレイ・トトゥ主演の『ココ・アヴァン・シャネル』(アンヌ・フォンテーヌ監督)という流れで、この作品を観ると面食らってしまうかもしれない。何故ならば正確を期するならばこの作品の主役はシャネルではなくてストラヴィンスキーの方だからである。
 この作品の中で何故かストラヴィンスキーはやたらと‘さまよって’いる。冒頭では楽屋から客席を経てステージの裏までさまよい、シャネルの別荘でもシャネルの部屋などをさまよっている。それは天才でありながらも世間に評価されないが故のストラヴィンスキーの自信の無さを表している。そんな彼の目の前に現れたのが、やたらと自信満々のシャネルだったのである。
 シャネルやストラヴィンスキー夫妻が『春の祭典』の再演が決まったことを祝っている席である男性が印象的な話をしている。口笛を吹いて男が歩いていると、同じ曲で口笛を吹いていた女性と出会ったという話である。これは偶然なのか運命なのかという問いにストラヴィンスキーは何も答えなかったが、ラストシーンで『春の祭典』の舞台の中央に立っていた人物がシャネルであったことを鑑みるならば、シャネルこそストラヴィンスキーにとっての束の間の‘春の祭典’であり、彼にインスピレーションと自信を与えたことは間違いない。しかしシャネルがストラヴィンスキーのためだけの‘春の祭典’ではない理由はラストでストラヴィンスキーの顔写真を飾りながらシャネルは新しい男性と逢引していることから分かる。


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全く無駄な努力はできない

2010-02-16 00:05:47 | Weblog

「大雪だから温暖化なんかウソ」と主張するロシアン・ルーレット(gooニュース・ニュースな英語) - goo ニュース

 確かに。「『どっちか分からないけど、たぶん大丈夫だから何もしない』というのは、

愚か者の選択です」という加藤祐子の言い分は分かるのだが、いくら正確なデータ

を揃えてみたところで、現在世界の温暖化ガスの排出量の半分以上がアメリカと

中国で占められており、その上今後中国やインドなどの大国に「Save the Earth」

などと唱えてみたところで経済発展を控えるわけがないのであるから、1億強の

日本人が頑張ってエコバッグやエコ製品を積極的に使用したとしても無駄な努力

であることは分かりきっている。つまり温暖化ガスの排出量を抑えたいのであるなら

経済の発展と温暖化ガスの減少が結びつかなければならないはずなのであるが、

いまのところそんな奇策は聞いたことがない。


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天才の理由

2010-02-15 19:06:56 | Weblog

国母“聖子裁き”で競技出場OK(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 私は国母和宏という人をよく知らないのだが、テレビで彼の言動を見る限りで言う

ならば、国母和宏はアスペルガー症候群ではないのだろうか? 彼は他人との

コミュニケーションは上手くないようだが、スノーボードに対する関心はきわめて高く

偏執的といえるほどの集中が保てるからこそ、スノーボードでオリンピックの日本

代表選手になれたのだとするならば、服装や言動などで文句を言うのは可哀相で

ある。それはまるで耳の不自由な人に向かって「人の話をよく聞け!」と諭している

ようなものなのだからそもそも無理な話なのである。橋本聖子団長やJOCは国母に

対して事前に配慮してあげるべきなのだ。


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『バレンタインデー』 70点

2010-02-14 22:28:46 | goo映画レビュー

バレンタインデー

2010年/アメリカ

ネタバレ

The End of Innocence

総合★★★☆☆ 70

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 『バレンタインデー』というタイトルの作品をそのまんま2月14日に観に行ってしまうこと自体が安易であるという非難は甘んじて受けるのだが、それでもやはりこの作品には観客を素直に楽しませることを阻む何かが隠されているように感じる。
 確かにキャスティングは豪華で、ゲイリー・マーシャル監督の演出は決して悪いものではない。今や未婚者たちの‘アンセム’と化しているグロリア・ゲイナー(Gloria Gaynor)の「恋のサバイバル(I Will Survive)」をジェイミー・フォックスにピアノで伴奏させたり、1958年の映画『Hot Spell(=暑さ続き)』に出演していた24歳の若きシャーリー・マクレーンと現在の75歳のシャーリー・マクレーンを重ねるシーンなど粋な演出は多々見られるのであるが、私にはあの‘プリティ・ウーマン’だったジュリア・ロバーツがアメリカ陸軍の大尉という役柄に違和感を感じてしまった。
 本編が終わった後にNGシーンが流れるのであるが、それによるとジュリア・ロバーツが演じる大尉のケイトは戦闘の後遺症で右耳がよく聞こえない設定になっていたようである(聞こえない振りだったかもしれないが)。本編では彼女の隣に座っていたホールデンに‘フェイスブック’のことを訊かれた直後のこのシーンはカットされていた。アメリカ軍に関して詳細が語られると‘バレンタインデー’の雰囲気を壊すことになるが、バレンタインデーという日だからこそ全く語らないとなると今のアメリカにおいてはリアリティーを失うという判断がジュリア・ロバーツの役柄の難しさであり、この作品に暗い影を落としているように感じるのである。その上、ケイトの息子の好きなミュージシャンがフランク・ザッパ(Frank Zappa)というのだから素直に笑えなかった。明らかにケイトの息子は‘病んでいる’からである。


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