ベイビーズ-いのちのちから-
2010年/フランス
「ワクワク」と「ハラハラ」の違い
総合
70点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
赤の他人の赤ん坊を見て一体何が面白いのかと思っていたのは他ならぬ私自身なのであるが、本作の面白さはドキュメンタリー映画を観る時に抱くワクワクするような感じというよりも、親の目を盗んで何かを仕出かす赤ん坊を見る時に抱くハラハラしたようなものである。同じ2009年4月に生まれたという以外は全く違う環境で育つ、アフリカのナミビア北西部に住む少数民族ヒンバ族のポニジャオ、モンゴルのバヤルジャルガル、東京のマリとアメリカのハティの4人の一年が描かれている。作品冒頭はこれから生まれてくるポニジャオの安産祈願のために行われている儀式を真似てポニジャオの2人の兄弟が、‘独自’に染料を作っているところから始まるのであるが、それにしてもポニジャオや兄弟たちが地面に落ちているものを平気で口に入れてしまう様子は、本当に大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。マリやハティが決して同じような振る舞いをしていない理由は、やはり食べ物に不自由していないからであろう。
気になるのは赤ん坊だけではなく、例えば一緒に暮らしている猫なども、モンゴルではリードが付けられていたが、日本やアメリカでは赤ん坊同様に‘自由’を満喫している様子だった。
ベビーカーなどの‘乗り物率’が日本やアメリカの方が高いことは常識で分かるものの、父親の‘育児参加率’も同様の傾向で、私が確認できた範囲ではポニジャオの父親であるビンデレは一度も画面に現れていなかったが、ハティの父親のフレイザーは保育園にも参加しており、その甲斐あってハティだけは「ママ」だけではなく、「パパ」とも言葉にして呼んでいた。ハティの母親のスージーは大学教授らしく、ハティに顔を叩かれた時に、透かさずカレン・カッツの絵本『ノー・ヒッティング(NO HITTING!)』を本棚から取り出し、教育水準の高さを証明しており、それ故にマリが輪に棒を通すことに孤軍奮闘している姿が幼気だった。
余計なナレーションが無いところは良かったのであるが、バヤルジャルガルが青いバケツで遊んでいた時に、母親に怒られていた原因が分からず、そこだけは気になった。
個人的に最も驚いたことはラストで男の子と思って見ていたハティが女の子だと分かったことで、ポニジャオとマリが女の子であるならば、バヤルジャルガルとハティは男の子だと思い込んでいたためで、ハティが女の子の名前であることを知らなかった私の無知が原因ではあるのだが、とにかく驚いた。
シルバーリング、天空に輝く…各地で金環日食(読売新聞) - goo ニュース
私が気になることは金環日食よりも、金環日食により引き起こされるかもしれない大地震
の方である。ちなみに前回の関東圏で金環日食は見られたのは1839年9月7日の早朝
だったようであるが、日本では地震はなかったものの、1839年6月27日に近辺の台湾で
マグネチュード6.5の地震が起きている。20日の早朝にイタリアの北部でマグネチュード
6.0の地震が起こっているが、イタリアは遠すぎるから、東京の金環日食と関連があるとは
思えないし、結局は、金環日食と地震の関連自体もよく分かっていないのだから、心配しても
仕方がないのではあるが、今後一週間は瑣末な揺れでさえ気になるだろう。
ファミリー・ツリー
2012年/アメリカ
優秀な弁護士による‘矯正’について
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
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演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
常夏の島であるハワイに住んでいれば、常にリゾート気分でいられるという世間の固定観念を早々に否定する主人公のマット・キングはオアフ島在住の弁護士で、祖先から受け継いだ広大な土地の処分を任されていることもあり、妻のエリザベスと、アレックスとスコッティの2人の娘たちを構ってあげられないほどに忙しそうではあるのだが、妻がボートレース中の事故で昏睡状態に陥ってから生活環境が一変してしまう。しかし弁護士という職業柄のためなのかマットの振る舞いは至って冷静である。とりあえず、椅子をプールに放り投げるほど荒れているスコッティをなだめていじめた同級生の家に一緒に赴き、謝罪をさせる。学校の寄宿舎にいるアレックスを迎えにいくのであるが、アレックスも彼女のボーイフレンドのシドもかなり酷い様態である。それでもマットは時間をかけて3人と親密なコミュニケーションを図っていく。さらにマットはアレックスから妻のエリザベスが浮気をしていたことを知り、妻の浮気相手であるブライアン・スピアーを探して見つけ出し、妻が離婚まで考えていたという驚愕の事実まで知ることになるのであるが、浮気に関してブライアンの家族に知らせることもなく、ただ妻の見舞いに来て欲しいということだけ約束する。それは妻の父親であるスコット・ソーソンに対しても同様で、嫌味を言われながらも、妻の浮気に関しては何も言わずに、あくまでも冷静に対処するように努める。そしてマットとアレックスとスコッティがほとんど言葉を交わすこともなく無表情で一緒にテレビを見ている印象的なラストシーンを迎えるのであるが、これは作品冒頭のボートに乗ってはしゃいでいるエリザベスの顔とは対照的である。
ボートに乗ることが大好きで、夫のつまらなさに嫌気がさして、相手は本気ではなかったものの本人は夫との離婚まで考えるほどの不倫までしていたエリザベスが事故で意識不明の重体になってから、夫のマットによって少しずつ娘たちや親族たちは‘矯正’させられているように見える。アレックスもスコッティもシドまでが‘良い子’になってしまい、マットが地元にもリゾート会社にも土地を売ることを止めたことで、親戚たちのみならず、恩恵を被るはずだった多くの人々の楽しみは奪われてしまう。夫の代わりに妻のジュリー・スピアーがエリザベスの見舞いに来た理由は、夫のブライアンが妻に浮気をした事実を告白した後に、自殺を図り、エリザベスの隣の病室に入院していたからである。
人生を謳歌していたはずのエリザベスの死によって、マットの弁護士としての有能さが人々の‘楽しみ’や‘元気’を奪ってしまっているのであるが、マット自身はそのことを自覚しているのであろうか?
ちなみにブライアン・スピアーは土地取引のためにエリザベスを‘利用’したわけではない。土地取引の権利を持っているのはエリザベスではなくマットであり、夫と仲が悪い妻と敢えて浮気をしても何のメリットもないどころか、浮気がバレたら土地取引が中止になることは明白だと思うのだが。
河本母、報道に驚き生活保護辞退していた(日刊スポーツ) - goo ニュース
よしもと「現在受給せず」河本親族生保受給問題(サンケイスポーツ) - goo ニュース
河本準一が所属する、よしもとクリエイティブ・エージェンシーは16日付で「現在は、
生活保護費を受給しておりません」と声明を発表し、「河本の親族が生活保護費の受給を
受けているという重大なプライバシー情報が報道されている事自体重大な人権侵害である」
との見解を示し、その一方で、過去に河本の親族が生活保護費を受給していたことは認めて
いるものの、「河本が無名の時代に開始されたもの」であり、「河本本人は、なるべく親族に
負担をかける事がないよう、そして、いつかは生活保護に頼ることなく自分の力だけで養って
いける状況にできるよう、担当の福祉事務所などとも相談しながら、懸命に努力してまいり
ました。現在は、生活保護費を受給しておりません」と正式に報道を否定したにも関わらず、
吉本興業の幹部や弁護士3人と面会して説明を受けた片山さつきによると、母親は00年か
01年に受給を始め、一部報道で騒動になった今年4月に「びっくりして」、辞退したと説明を
受け、1年ごとに照会も受けていたが、どう対応したかの説明はなく、河本本人が会見しない
理由についても納得できる説明はなかったらしい。これだけの情報だけで判断するならば
「次長課長」はかなり売れているように見えるが、吉本興業が河本準一に支給している給料
は微々たるものでしかないということになる。吉本興業がケチであるということは噂では
知っていたのだが、いまだに母親が生活保護を頼らなければならないとは驚きである。
サンタ・サングレ 聖なる血
1989年/イタリア
コンプレックスを巡る真贋問題
総合
100点
ストーリー
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キャスト
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演出
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ビジュアル
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音楽
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『エル・トポ』(1970年)と『ホーリー・マウンテン』(1973年)を続けて観た後で、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の本作を観るならば、『ホーリー・マウンテン』における、一見するとメインテーマの‘回避’のような真意が分かる。例えば、作品冒頭で主人公のフェニックスの母親で、ある兄弟によって両腕を切断された少女のリリオを崇拝するカルト宗教の教祖でもあるコンチャがカトリック教会の高位聖職者と、ブルドーザーで壊されようとしている教会内の中央に設置されているプール内の赤い液体を巡る口論は、その液体が本物の血液かただの赤い絵の具かというものであり、‘造形’を巡る『ホーリー・マウンテン』の主題と重なり、その後、観客は血が出てくるたびに‘本物’なのか‘贋物’なのか悩むことになるのだが、やがて両腕を夫のオルゴによって切断されたコンチャの招きで病院施設を抜け出し、片腕ならぬ母親の‘両腕’として劇場で活動することになるフェニックスは『エル・トポ』で扱われていたメインテーマであるマザーコンプレックスをなぞることになり、フェニックスに近づいてくる女性を次々と‘母親の両腕’が凶器で殺害する。フェニックスは‘母親の両腕’に勝てそうな女性プロレスラーを家に招くのであるが、やはり殺されてしまう。最終的には幼なじみのアルマの‘白い’顔とコンチャの‘赤い’服の対決の末にコンチャが‘贋物’の人形であることが明らかにされ、フェニックスのマザーコンプレックスが解消されることになる。
少女のリリオは日本の女子学生の制服を着用しており、日本のオタク文化の早期の受容が見受けられることも興味深いが、『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』、『サンタ・サングレ』という流れの中で、マザーコンプレックスの克服が図られるという誰も予想もしないストーリー展開にはただ脱帽するしかない。
「2ちゃんねる」違法情報放置、ひろゆき氏反論 依頼2通「削除済み」(産経新聞) - goo ニュース
インターネット掲示板「2ちゃんねる」の開設者の西村博之が「警察からの削除依頼は2通で、
削除している」などと、ブログに反論をしていることに驚いた。西村は“元管理人”とされて
いるからで、しかし警察から依頼された書き込みを削除できるということは“元管理人”では
なくて立派な現役の管理人である。「インターネット・ホットラインセンター」(IHC)の削除要請
計5068件を放置したことに関しては、「財団法人が情報を違法と決めることは出来ません」
としている。それはその通りであろうが、その財団法人が指摘した書き込みを精査して
違法と“立派な現役の管理人”が判断すれば削除すればいいだけのことではないのか
いずれにしても「2ちゃんねる」に対する西村の立場が曖昧なのだがプライドだけは高そうだ。
ホーリー・マウンテン デジタルリマスター版
1973年/アメリカ=メキシコ
コンプレックスからの逃避による空虚な物語
総合
80点
ストーリー
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演出
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音楽
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『エル・トポ』(1970年)の次にアレハンドロ・ホドロフスキー監督が撮った『ホーリー・マウンテン』は個人的には意外なものであった。イエス・キリストに似た主人公の盗賊が、大量のキリスト像に埋もれ、もがくシーンが象徴しているように、本作は徹底的に‘造形’にこだわる。それは練金術師によって無理やり集められたはずの有力者たちが、練金術師に抵抗することもなくおとなしく従っているところを見ても、本作にはドラマが存在せず、例えば、イスラという女性は武器を製造しているのであるが、その武器は性能の向上よりも派手なフォルムが重視され、クランという男性は人間の生の尻を利用した版画などのシュールなアート作品を制作しており、セルという女性は子供たちのために老人たちを雇って子供用の武器を製造しており、あくまでも監督の関心は物語よりもポップな映像美である。彼らは所有していたお金と自身を模った人形を焼いた後で、練金術師と共に不死の術を得るためにロータス島にある‘聖なる山(The Holy Mountain)’を目指す。
山頂にたどり着いた彼らに練金術師が放つ一言は驚くべきものであるのだが、それは決して奇を衒ったものではなく、‘作り物’そのものを否定することで、‘リアルな人生’の追求を試みる宣言なのであり、それは『サンタ・サングレ/聖なる血』(1989年)で描かれるように、『エル・トポ』において消化不良気味だったテーマに再び臨もうとするホドロフスキー監督の覚悟が感じられるのである。
入れ墨「一概に言えない」=藤村官房長官(時事通信) - goo ニュース
藤村修官房長官の記者会見での、公務員が入れ墨を入れることについて「茶髪が嫌な人も
中にはいるし、一概には言えない。私個人の好き嫌いを述べる場ではない」という見解は、
明らかに“置きに”いったものだと思う。茶髪は気軽に出来るものであり、止めようと思えば
すぐにでも黒髪に戻せるものであるが、入れ墨は痛みに堪える根性が必要であり、一度
入れてしまえばきれいに消すことは出来ないからであり、外国では別の価値観があるのかも
しれないが日本においては、入れ墨は個人の好き嫌いを超えた何らかの“メッセージ”が
込められているはずなのである。揚げ足をとられることを避けて自分の意見も言えない
ような官房長官の存在意義を疑ってしまう。
妖婆 死棺の呪い
1967年/ソ連
ニコライ・ゴーゴリの「ヴィイ」の謎
総合
80点
ストーリー
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キャスト
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演出
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ビジュアル
0点
音楽
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ニコライ・ゴーゴリが1835年に発表した短編「ヴィイ」を原作とした本作の解釈はなかなか難しい。中世ロシアのキエフのブラッキー修道院の寄宿生である主人公のホマー・ブルートは、正確には神学生ではなく哲学級生であることからして難解さをはらんでいる。クリスマス休暇に友人2人と共に故郷へと向かったのであるが、たどり着く前に日が暮れてしまい、ようやく見つけた人家に泊めてもらうことになった。それぞればらばらの部屋をあてがわれ、ホマーは家畜の小屋に通されたのであるが、そこの主人である老婆に襲われてしまい、ホマーは老婆に背中に乗られて一緒に空へ舞い上がり、ようやく降りたところでホマーは老婆を叩きのめしたのであるが、気がつくと老婆は美しい娘に変わっていた。その後ホマーは、ある地主の指名で、重傷を負って家に帰ってきた娘の遺言により、古い教会で3晩祈祷をあげるように命ぜられる。何故自分が指名されたのか不思議に思いながらも教会に行くと、棺には自分が叩きのめした娘が横たわっていた。ここから過酷な3晩を一人教会内で、祈祷書がある台の周りにチョークで魔法の円を描き、娘の視界をさえぎりながら祈祷書を一番鶏が鳴くまで読み続ける。
ここには老いの問題が隠されていると思う。青年のホマーに夜這いをかける老婆にとっては女であることにかわりはないのであるが、ホマーには大きな問題である。怨みをはらすために老婆は若い娘として死ぬことで、周囲の同情をかうことに成功する。ホマーは若者の奏でる音楽に合わせて踊り続けることで若さをアピールするものの、2晩過ぎた後には白髪になっている。最後の晩についにヴィイが現れる。ヴィイはまぶたが下がり過ぎているのであるが、そのようなまぶたは年老い過ぎている象徴と見做せるだろう。まぶたが下がり過ぎていて目が見えないために、‘若い’怪物たちに手伝ってもらってまぶたを上げてもらい、ホマーの居場所を突き止める。この時、ヴィイの老いは知恵として有益に働くことになるだろう。ついにホマーの居場所をつきとめた老婆をはじめとする怪物たちはホマーを襲い、復讐を果たしたまではよかったのであるが、彼らの老いは朝の一番鶏の鳴き声を聞き逃してしまい、結果的に彼らも死んでしまうのである。この若さから老いへ至るベクトルと必ずしも呼応しない性から知性への齟齬から生まれる悲喜劇が、当時ならではの独特の特撮と娘を演じたナターリア・ワルレイの特異な身体能力が加わって本作を魅力的なものにしていると思う。
風呂使わず・洗顔せぬ…当選無効の女性タレント(読売新聞) - goo ニュース
2月に埼玉県新座市議に当選したものの、当選を無効とした市選挙管理委員会の決定に
ついて、県選管に審査を申し立てた立川明日香の言い訳はとても奇妙なものだった。
昨年9月から2月まで水道がほぼ不使用だったことに関して、「トイレは使ったと思うが、
台所や風呂は使っていない。コンビニのトイレを借りることもあった。朝の洗顔はする暇が
なかった」などと話しているが、台所も風呂も使っておらず、わざわざ銭湯に行ったり、
コンビニのトイレを借りたりしてまで新座市に居住している“痕跡”を隠そうとするのである
ならば、それほど無理してまで新座市議になる必要はないのである。夫とは離婚調停
までしているというのだから、“市政”を担う前に自分自身の“家政”を清算するべきであろう。