MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『宇宙兄弟#0』

2014-09-20 00:43:48 | goo映画レビュー

原題:『宇宙兄弟#0』
監督:渡辺歩
脚本:小山宙哉
撮影:岡崎正春
出演:平田広明/KENN/大塚明夫/有本欽隆/立木文彦/増山浩一
2014年/日本

 必ずしも原作者が優れた脚本家になれない理由について

 原作者が脚本を担っているということもあってかなり期待して観に行ったのであるが、ストーリーが意外と弾けない理由は、既に多くの設定が決まっており、その中で物語を作っていかなければならなかったためだと思うが、「ミラクルカー梅茶菓支店」へ左遷されてしまった南波六太が「第12回グッドイカスカー」でプレゼンしたアイデアに違和感が残るためで、時代設定は2023年頃で、六太が披露した車のデザインは身体に障害を持った人でも乗れるということが売りのように聞こえたが、それならば現在において既に存在するのだから、別に目新しいわけではなく、最後まで驚きがないまま終わってしまった感は否めない。


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『もういちど』

2014-09-19 00:30:53 | goo映画レビュー

原題:『もういちど』
監督:板屋宏幸
脚本:板屋宏幸
撮影:古川誠
出演:林家たい平/福崎那由他/富田靖子/ゴリ/大野百花/渡辺正行/小倉久寛/熊谷真実
2014年/日本

「キス」で始まり「チュー」で終わる意外な色っぽさについて

 予想以上に良くできている見応えある作品であるはずなのだが、落語の知識が十分でないために理解し損ねたギャグがたくさんあるような気がする。しかし主人公のたい平が貞吉の弟子入りを受け入れる際に「鱚(キス)」の話から始め、最後に舞台でたい平が披露する、ネズミと掛けた「忠(チュー)義」の噺で終わらせるところなどは、さすがに落語を題材にした作品の脚本だと感心する。


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『アデル、ブルーは熱い色』

2014-09-18 00:03:33 | goo映画レビュー

原題:『La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2』 英題:『Blue Is the Warmest Colour
監督:アブデラティフ・ケシシュ
脚本:アブデラティフ・ケシシュ/ガリア・ラクロワ
撮影:ソファニ・エル・ファニ
出演:アデル・エグザルホプロス/レア・セドゥ/ジェレミー・ラウールト
2013年/フランス

優秀な「芸術家」が取る身振りについて

 過激なレズビアンの描写が話題となった本作のストーリーそのものは、そのシーンとは対照的な極めて道徳的なものである。女子高生のアデルは好意を持った先輩と性交渉を試みるものの、何故か満足できない思いを抱えていた時に、同性の同級生にふざけてキスをされた瞬間に自分が同性愛者であることに気が付く。そして街中で偶然出会った青い髪の毛をしたエマとゲイバーで再会してから2人は付き合うようになる。
 しかしアデルの異性との浮気を許せないエマはアデルを家から追い出してしまう。久しぶりにレストランでエマと出会ったアデルは縒りを戻したいと願うのであるが、エマはリーズという女性と彼女が生んだ女の子と一緒に生活をしており、復縁は不可能だった。
 どうしてもエマの気持ちが分からない。アデルは幼稚園の先生であり世間体を気にするのは仕方がないとしても、エマは画家であり、寧ろ多少世間離れしているくらいが良いほどの立場である。しかし実際は男女問わずに情熱のまま行動するアデルに対して、エマの方が「家庭」を築き世間体を気にしているようなのである。最後に映されるエマの個展の作品を観ても、他のどの作品よりもアデルをモデルにした作品の方が出来が良いのだから、エマはアデルを見捨てるべきではなかったはずで、だからアデルが黙って会場を後にした理由は、エマの作品を観て自身に対する自信を取り戻したからではないだろうか。


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『グッバイ・ファーストラヴ』

2014-09-17 00:01:26 | goo映画レビュー

原題:『Un amour de jeunesse
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
脚本:ミア・ハンセン=ラヴ
撮影:ステファンヌ・フォンテーヌ
出演:ローラ・クレトン/セバスティアン・ウルゼンドフスキー/マーニュ・ハーバード・ブレック
2011年/フランス・ドイツ

コルビュジエとホックニーとフリンと 

 主人公の高校生のカミーユとスリヴァンは恋人同士ということであるが、例えば、カミーユが読んでいるル・コルビュジエの著書にスリヴァンが全く興味を示さないように、この恋はカミーユの片思いでしかない。だからカミーユがスリヴァンのために街角で買ってきたデイヴィッド・ホックニー(?)のカップルを描いた水彩画は雨で滲んでいるのである。
 
ラストを観て西条八十の「ぼくの帽子」を思い出した。この詩が実際に使われた『人間の証明』(佐藤純彌監督 1977年)よりも帽子が上手く使われたエンディングだと思う。エンディングソングの意味も分かれば理解が深まると思う。以下、ジョニー・フリン「ザ・ウォーター」の和訳。

「The Water」 Johnny Flynn & Laura Marling 日本語訳

僕には川しかない
川はいつでも僕の我が家だ
神よ、僕を連れていって欲しい
留まることは出来ないのだから
留まれば僕は身も骨も沈んでしまう

努力をしなくても水は僕を支えてくれる
水は僕を溺れさせることはできない
死ねばそれまでのこと

どうか小さなボートを組み立てるのを手伝って欲しい
僕がこの流れに乗るために
川の深いところでは
より大きな魚がはって泳いでいる
僕を漂流させてくれるものがあって僕は嬉しい

努力をしなくても水は僕を支えてくれる
水は僕を溺れさせることはできない
死ねばそれまでのこと

僕が帆走する水が深まれば深まるほど
流れは速くなってくる
夜ごと星が現れ
僕の心に流れる歌は旅人についての物語に合わされる

努力をしなくても水は僕を支えてくれる
水は僕を溺れさせることはできない
死ねばそれまでのこと

今、僕が知っていた土地は夢だった
隔たりを示す線は薄くなってきている
僕の川はとても広くなり
地平線は銀色に輝く
芸術家は塗料を使い果たした

海の青は空と混ざり合い
大きな黄色い太陽が僕を家に導く
今、僕はどこにでもいる
その方法はすぐに一呼吸ごとに起こる風に向かって誓うこと

努力をしなくても水は僕を支えてくれる
水は僕を溺れさせることはできない
死ねばそれまでのこと

Johnny Flynn and Laura Marling - The Water


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「山口」と「吉田」が被る確率

2014-09-16 00:09:13 | Weblog

直木賞作家の山口洋子さん死去=「よこはま・たそがれ」作詞(時事通信) - goo ニュース
山口淑子さん死去 94歳 「李香蘭」、元参院議員(産経新聞) - goo ニュース
朝日新聞会見詳報(1)「吉田調書を読み解く過程で評価誤り」木村社長が謝罪(産経新聞) - goo ニュース
「慰安婦」証言についてのみ謝罪…強制性は主張(読売新聞) - goo ニュース

直木賞作家で作詞家の山口洋子が6日に亡くなっていたことが分かったというニュースは、

7日に、戦時中は歌手や女優の李香蘭として活躍し戦後は日本で活動し参院議員も務めた

山口淑子と名字が被っていることを思い出させたのであるが、それぐらいのことはよく

あることだから、どうでもいい話なのだけれど、このニュースの前に、最近、誤報だった

ということで朝日新聞が取り消した2つの記事に、「朝鮮人女性を強制連行した」と慰安婦

をめぐる発言をした吉田清治と、「東京電力社員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎

所長の待機命令に違反し、福島第二原発に撤退した」と誤った記事を書かれた、東京電力

福島第1原発事故をめぐる吉田昌郎所長という2人の「吉田」が関わっていたから、

こんなに何度も名字が被ることがあるのかと印象に残り、特に「吉田」に関しては、

「連行」や「撤退」の類似性も気になっていたから、今後、朝日新聞は「吉田」に

関わらない方がいいと思うよ。


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『STAND BY ME ドラえもん』

2014-09-15 00:56:23 | goo映画レビュー

原題:『STAND BY ME ドラえもん』
監督:八木竜一/山崎貴
脚本:山崎貴
出演:水田わさび/大原めぐみ/かかずゆみ/木村昴/関智一
2014年/日本

「リアル」を追求してはいけない物語について

 平成25年7月9日から平成26年4月1日にかけて展開される「ドラえもん」の物語のリアル感の増した3Dアニメーションはあまり気持ちの良いものではなかった。例えば、のび太が初めて使うタケコプターのシーンなどはその慣れないが故の危ない感じがよくでているのであるが、どこでもドアの使い方は明らかに間違っており、当然、雪山で遭難しているしずかちゃんのそばで開かれればすぐに救出できたのであり、現実世界においては「ひみつ道具」は便利すぎるが故にその高性能を持て余してしまい却ってリアル感が損なわれている。
 クライマックスのジャイアンとのび太の「決闘」もリアルであるが故に、見てはいけないものを見てしまった感がある。確かに、実際の喧嘩となれば、あのように顔が腫れてあざを作ることは分かっているが、そこを曖昧にしていたからこそ「ドラえもん」は楽しめたはずで、改めて「ドラえもん」はリアルであってはいけないということは確認できる。だから残念なことに私にはいわゆる「ドラ泣き」という意味が全く理解できなかった。

原点回帰だけど新鮮、思わず拍手も「STAND BY ME ドラえもん」(産経新聞) - goo ニュース


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『思い出のマーニー』

2014-09-14 00:56:51 | goo映画レビュー

原題:『思い出のマーニー』
監督:米林宏昌
脚本:丹羽圭子/米林宏昌/安藤雅司
出演:高月彩良/有村架純/松嶋菜々子/寺島進/根岸季衣/森山良子/吉行和子/黒木瞳
2014年/日本

他人には理解できない「思い出」について

 主人公の中学生の佐々木安奈が義母の頼子に対して抱いた不信感の原因は毎月安奈を扶養するために役所からお金を受け取っていたことを知ったからだった。12歳の女の子からしてみればまるでお金をもらえるから育てているように感じたのであろう。そこで安奈は喘息の療養と気分転換のためにも夏休みに親戚の大岩セツが住んでいる海辺の村で過ごすことになる。
 そこで安奈は対岸の屋敷に住んでいるマーニーと出会うことになり、一緒に遊ぶようになるのであるが、敢えて書くことはしないが残念なことにオチが明かされる前に薄々とオチが分かってしまう。
 さらに残念なことは、安奈が頼子が受け取っていたお金に対してどのように納得したのか明確にならないまま物語が終わってしまうことと、セツには言わないままなのに、「湿っ地屋敷」を描いている久子には頼子を母親だと紹介する安奈の心理がやはりよく分からず、要するに全ては安奈の心の中で解決されてしまい、傍から見ている私たちには何がなんだか分からないままで、それは奇しくもジブリ作品として初めて全編英語歌詞の主題歌、プリシラ・アーンの「Fine On The Outside」が選ばれたように、私たちにはメロディーなどの雰囲気は楽しめるものの、内容まで詳しくは分からないのである。


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『トランスフォーマー ロストエイジ』

2014-09-13 00:30:48 | goo映画レビュー

原題:『Transformers: Age of Extinction』
監督:マイケル・ベイ
脚本:アーレン・クルーガー
撮影:アミール・モクリ
出演:マーク・ウォールバーグ/ニコラ・ペルツ/ジャック・レイナー/ケルシー・グラマー
2014年/アメリカ・中国

 「東方蔑視」という「オリエンタリズム」について

 シリーズ前作『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(マイケル・ベイ監督 2011年)においてすでにこのシリーズは「映画」ではなく、インスタレーション作品と化しており、ストーリーの単調さをあげつらっても仕方がないし、さらに本作は3時間の上映時間を必要とするのだから、ますます「映画」から離れつつあるものの、本作はあくまでも目くるめく映像を楽しむもので、クライマックスのトランスフォーマーたちの最終決戦と、その舞台となった香港の相性は良かったように思う。
 その中で気になった点を書いておきたい。スー・ユエミンに連れられて熱核爆弾装置が搭載されている「シード(Seed)」を持ち出して香港まで逃亡したジョシュア・ジョイスがビルのエレベーターに乗るシーンがあり、ジョイスが乗ってもなかなか扉が閉まらず、結果的に追っ手に襲われるのであるが、同乗していた男とユエミン自身によって救われる。さらにジョイスがケイドと彼の娘のテッサと彼女の恋人のシェーン・ダイソンが4人揃ってビルの屋上からエレベーターで降りようとするものの、重量オーバーだったためケイドが降りることになるのだが、エレベーターは9人乗りであり、ジョイスが抱えている「シード」を一人と換算しても5人であり、理屈としてはおかしい描写なのである。しかしこれらの描写が演出ミスではなく中国のエレベーター事情を的確に表したものであるなら、車の中で飲んでいる中国製の飲料品をジョイスが不味いと言ったり、中国のコピー製品を揶揄するような描写同様にかなり本作に資金を提供しているはずの中国企業に対する強烈なアイロニーのような気もするが、『Godzilla ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督 2014年)を観た後だと、「オリエンタリズム」を感じる。それはもちろん「東方趣味」という意味ではなく、ハリウッドの「東方蔑視」なのであるのだが。


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『GODZILLA ゴジラ』

2014-09-12 00:15:14 | goo映画レビュー

原題:『Godzilla』
監督:ギャレス・エドワーズ
脚本:マックス・ボレンスタイン/デヴィッド・キャラハム
撮影:シェイマス・マクガーヴェイ
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン/渡辺謙/エリザベス・オルセン/ジュリエット・ビノシュ
2014年/アメリカ

原爆のイメージが払拭されてしまったゴジラの価値について

 そして問題の最新作『Godzilla ゴジラ』である。脚本は極めて精巧に出来ているのであるが、残念なことにそれはアメリカに都合よく書かれているという意味である。例えば、アメリカ人のジョー・ブロディは妻のサンドラと共に何故か日本の原子力発電所で働いており、結果的にアメリカ人が被爆者として描かれる。一方、渡辺謙が演じる芹沢猪四郎博士はアメリカは水爆実験という名目でゴジラを倒そうと試みていたと語り、日本人も核実験を認めていたという印象を観客に与えることになるのである。核爆弾でゴジラを殲滅しようとするウィリアム・ステンツ提督に、芹沢博士はヒロシマの原爆投下で被爆した実父の形見である懐中時計を示して反対するのであるが、核爆弾の使用が中止されることはなく、それは1945年にアメリカが広島に原爆を投下した理由の正当化につながるであろう。
 肝心のゴジラなのであるが、ゴジラは「MUTO(ムートー)」と呼ばれる巨大怪獣を追って、オスとメスの出会いを邪魔するように現れ、それはまるで主人公のフォード・ブロディ大尉が列車に乗っていたアジア系の少年を両親の元に届けたり、医師として勤務していた妻のエルとの無事の再会が描かれているのとは対照的な、家族を引き裂く「ストーカー」のように描かれ、ゴジラ映画には欠かせない原爆に関するテーマは、その痕跡さえ完全に失くしてしまっているのである。
 「ギャレスは、ゴジラという怪獣が生まれた経緯や歴史、広島・長崎への原爆投下、そして『3・11』と東京電力福島第1原子力発電所事故についても、きちんと理解していた。その上で、『ゴジラの持つ、ある種のメタファー(暗喩)をもう一回、ちゃんと掘り起こしたい』と話してくれた」、「震災と原発事故、どちらも風化しつつある気配がする。被爆国として生き永らえた日本が、水爆の加速的開発に警鐘を鳴らしたのが、オリジナルのゴジラ。その頃あった放射能や原爆などへの不安は、3年前に僕らが抱いたものと何ら変わりない。我々はもっとリアルに体感したはずなのに、あたかもなかったかのように忘れられようとしていることに、僕は危機感を持った。日本の俳優として演じるべき作品だと、ギューンと針が振れたんです」と渡辺謙はインタビューに答えている(毎日新聞夕刊 7月17日付)。「ゴジラの持つ、ある種のメタファー」は原爆以外にないはずなのであるが、本作を観る限り、ゴジラは家族を離散させようとする「悪魔」でしかなく、渡辺はハリウッドで仕事が欲しいばかりに肝心な部分に目をつぶったようにしか見えない。別に渡辺ばかりではなく、全米で公開されたばかりの本作をラジオで絶賛していた映画評論家の町山智浩ももはや信用に足りない。
 確かにゴジラの造形はオリジナルに近くなったが、160憶円をかけて製作するだけの力は日本にはもはやなく、表面だけを取り繕っただけでゴジラの魂をアメリカに売り払ってしまった東宝の罪も重いであろう。


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『ゴジラ×メカゴジラ』

2014-09-11 00:17:17 | goo映画レビュー

原題:『ゴジラ×メカゴジラ』
監督:手塚昌明
脚本:三村渉
撮影:岸本正広(本編)/江口憲一(特撮)
出演:釈由美子/宅麻伸/小野寺華那/高杉亘/友井雄亮/水野純一/水野久美/中尾彬
2002年/日本

時代を反映する「ゴジラ」について

 「ゴジラシリーズ」は時代を反映する特徴を持つが、反映の仕方というものは様々で、例えば、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(金子修介監督 2001年)においては、テレビカメラとして使用されていたソニーの「Hyper HAD BETACAM SP」によって、新山千春が演じる主人公の立花由里が一人でもゴジラたちの行動を逐一生放送で伝えることが出来る、当時ソニーが発売したネットワークハンディカムがゴジラと並ぶ影の主役として活躍する。ほぼソニーのハンディカムのプロモーション映画となってしまっていることはともかく、佐野史郎が演じた門倉春樹の「ロン毛」はふざけすぎていると思う。
 ところで本作はポスターを見ても分かるように、釈由美子が演じる家城茜が、1990年代後半に一大ブームを巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督)の主人公の一人である綾波レイにそっくりで、だから『ゴジラvsメカゴジラ』は1974年の福田純監督版や、1993年の大河原孝夫監督版が存在しながら三度撮られることになったのであろう。


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