MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『マネー・ショート - 華麗なる大逆転 -』

2016-03-21 00:38:34 | goo映画レビュー

原題:『The Big Short』
監督:アダム・マッケイ
脚本:チャールズ・ランドルフ/アダム・マッケイ
撮影:バリー・アクロイド
出演:クリスチャン・ベール/ライアン・ゴズリング/スティーブ・カレル/ブラット・ピット
2015年/アメリカ

内容もギャグも難しいことに対する「最後の言い訳」

 作品の冒頭でライアン・ゴズリングが演じるジャレド・ベネットがいきなり観客に向かって語りかけてくるところなどは、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(マーティン・スコセッシ監督 2013年)でレオナルド・ディカプリオが演じた主人公のジョーダン・ベルフォートと同じ身振りで、要するに複雑な金融市場のからくりに観客が置いてけぼりにならないための常套手段なのであろう。実際、CDОと呼ばれる二級品の債務担保証券(サブプライム・ローン)を中心とした金融商品のシステムはなかなか理解しにくく、まさかセレーナ・ゴメスに教えられることになるとは思わなかったのだが、聞き逃さないようにするためにこの難しさが却って観客に緊張感をもたらして飽きさせない役割を果たしているように思う。
 ところで「ただ一つの疑問が、ブラット・ピット。ウォールストリートに幻滅して引退した投資家の役ですが、立派すぎるんです。このブラット・ピット、以前にも『それでも夜は明ける』でただ一人の善玉を演じ、この映画唯一の傷になっていました。/なぜブラット・ピットは善玉なのか? それは、ピットがプロデューサーの一人だからです。製作チームだから監督も文句が言えない。世界経済はウォールストリートから、そして映画製作はブラット・ピットから自立するべきだという思いを強くいたしました。」(毎日新聞 2016.3.6 日曜くらぶ 「映画愛」 藤原帰一)という意見は正しいだろうか? 本作に関して言うならば、ブラッド・ピットが演じているベン・リカートが組んでいるチャーリー・ゲラーを演じたジョン・マガロも、ジェイミー・シプリーを演じたフィン・ウィットロックも個性が弱すぎて、「伝説のトレーダー」であるブラット・ピットがいなければクセの強い鬼才トレーダー、怒れるトレーダー、反逆のトレーダーの3人に張り合えなかったであろう。
 音楽の使い方も悪くない。ニール・ヤングの「Rockin' in the Free World」が使用されている。この曲は『華氏911(Fahrenheit 9/11)』(マイケル・ムーア監督 2004年)のエンディングテーマとしても使われていたのであるが、本作では途中で切られている。つまりアメリカは相変わらず不自由なのだと暗示させるのである。
 あるいは「ノブ(NОBU)」と呼ばれるジャパニーズ・フード・レストランでマーク・バウムが抹茶アイスクリームを食べている男に説明を求めていた背後で流れているBGMが徳永英明の「最後の言い訳」で、それはまるでバウムが聞かされている説明そのものを暗示させるのであるが、これは日本人にしか理解できないであろう。
 「最後の言い訳」は1988年にリリースされており、舞台となっている2007年にヒットしていた訳ではないし、エンドクレジットにこの曲名が載っていなかったところから勘案するならば、奇跡的な偶然が介在していないならば本作には日本に精通している優秀なブレーンが関わっていたのだと思う。


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『セーラー服と機関銃 -卒業-』

2016-03-20 00:04:35 | goo映画レビュー

原題:『セーラー服と機関銃 -卒業-』
監督:前田弘二
脚本:高田亮
撮影:相馬大輔/川島周
出演:橋本環奈/長谷川博己/安藤政信/大野拓朗/宇野祥平/鶴見辰吾/伊武雅刀/武田鉄矢
2016年/日本

ヒロインの唇の赤さについて

 かつて目高組の4代目組長だった星泉は、いまではかつての組員と共に「メダカカフェ」を営み平穏な日常を送っていたが、モデルの勧誘から劣悪な仕事を強いる業者の存在を知り、クッキーのような危険ドラッグを売る輩まで現れ、泉はかつて敵対していた浜口組を疑ったのだが、実は堀内組という巨大組織が警察や市長までも取り込んだ策略であることを知る。
 泉は、軍門に降った浜口組と一緒にいた堀内組の幹部の安井と薄暗いバーで対峙するのであるが、小さな街をターゲットにした理由を「街の若者たちが進学や就職のために街を出て行ってしまうから、残った高齢者たちのお世話を自分たちが代わってしてやるのだ」と語る安井の言葉は「正論」で、だからと言ってその「正論」に隠された陰謀を見逃す訳にはいかない泉は月永や土井たちと堀内組の事務所に乗り込んで「おまえの言うことは気にいらない」と言いながら機関銃をぶっ放す。「正論」を否定するためには敢えてヤクザな稼業に身を落とさなければならないのである。だから高校卒業後に地元に残り、街の祭りにも参加して快楽に浸っている泉の唇の赤さが口紅によるものではなく、月永の血によるものであることを忘れてはならないであろう。
 ほぼハンディーカメラによる映像だが、違和感なく観られる理由は、ハンディーカメラの性能が格段にアップしているからで、 長回しにこだわっていた相米慎二監督が観たら羨むのではないだろうか。


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『女が眠る時』

2016-03-19 23:17:40 | goo映画レビュー

原題:『女が眠る時』 英題:『While the Women Are Sleeping』
監督:ウェイン・ワン
脚本:マイケル・レイ/シンホ・リー/砂田麻美
撮影:鍋島淳裕
出演:北野武/西島秀俊/小山田サユリ/忽那汐里/リリー・フランキー/渡辺真起子
2016年/日本

実は不確かな欲望の「所在」について

 主人公の清水健二は作家としてデビューしたものの、すぐにスランプに陥り、編集者として働いている妻の綾に養われているありさまで、会社員として就職する前に伊豆のリゾートホテルに一週間のバカンスで訪れていた。
 健二はそのホテルのプールサイドで遭遇した年の差カップルに魅せられてしまう。居酒屋の店主によるならば、佐原と名乗るその男は美樹と名乗る若い女性の両親の親友らしいのであるが、2人が何故一緒にホテル滞在しているのか分からなかった。気にしなければいいのであるが、夜中に美樹が健二の部屋にやって来たリ、健二が乗っているタクシーに乗り込んできたりするうちに、気にせずにはいられなくなってくる。
 佐原は美樹が10歳になる頃から彼女が眠っている様子を撮影し、それを見返しては悦に浸っており、まるで佐原を真似るかのように健二は美樹に憑りつかれるのであるが、ある日を境に美樹は姿を消してしまう。美樹を失った佐原は今度は綾にちょっかいを出すようになり、綾が担当している72歳の平野という大御所作家に対する嫉妬も手伝って、健二は久しぶりに綾を抱き、その顛末を綴った小説がヒットして、子供まで授かることになった。
 健二は小説家として復活したのではあるが、小説であれ子供であれ、はたしてそれは本当に健二が求めていたものであろうか。健二はただ佐原の欲望を「なぞった」だけなのだから。


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『世にも奇妙な物語 精神力』

2016-03-18 23:58:10 | goo映画レビュー

原題:『世にも奇妙な物語 精神力』
監督:斉藤郁宏
脚本:本間英行
撮影:飯沼栄治
出演:竜雷太/中上雅己/金杉太朗/矢野泰二/岡本麗
1992年/日本

「精神力」のアイロニーについて

 主人公で精神塾の塾長の倉橋は高校浪人の大沢、飲酒や喫煙で高校を停学になった寺島、引きこもりの浅井の3人を引き受けて「精神鍛錬短期集中コース」を催し、10日間で精神を鍛え社会に貢献できる精神構造を立て直そうとするのであるが、実は厳しいトレーニングを課して2,3日で追い出して高額の受講料を短期間でせしめるつもりだった。
 厳しいトレーニングに関して3人に文句を言われてもいいようにあらかじめ簡易の酸素ボンベを服の中に仕込んでおいた倉橋は実際にそのままプールに飛び込んで10分以上潜水したように見せかけて自分の強靭な精神力を披露し、3人とも塾長のやり方に従うようになる。
 野外のトレーニングの最中に、倉橋は精神力と書かれた鉢巻を滝に落としてしまう。あれほど固執していた鉢巻に無関心を装う倉橋に対して3人は納得せず、追い詰められた倉橋は足を踏み外して滝に堕ちてしまう。大沢と寺島は倉橋はインチキだったとして帰ろうとするが、完全に「洗脳」されていた浅井は鉢巻を取りに敢えて滝壺に飛び込み、「精神力」で鉢巻をつかみ取り、残りの2人も滝に飛び込んでいく。
 この作品は1992年に制作されており、その後オウム真理教の一連の事件が起きたことを勘案するならば、いち早く時代の空気を捕えたものと言えるだろう。


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『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』

2016-03-17 00:25:57 | goo映画レビュー

原題:『Finding Vivian Maier』
監督:ジョン・マルーフ/チャーリー・シスケル
脚本:ジョン・マルーフ/チャーリー・シスケル
撮影:ジョン・マルーフ
出演:ヴィヴィアン・マイヤー/ジョン・マルーフ/フィル・ドナフュー/ティム・ロス
2013年/アメリカ

社会との稀有なつながり方について

 「ヴィヴィアン・マイヤー」という名前がキャッチ―で、セルフポートレイトの肖像にもオーラを感じ、少しでも作品をプロモーションしていれば間違いなく売れていたと思われる稀有な才能が、何故作品を公表しないまま亡くなってしまったのかが本作の主題である。
 ヴィヴィアン・マイヤーは写真だけでなく、8ミリフィルムやカセットテープ、さらにはマイケル・ムーアの著書まで遺品として残しており、社会問題にもかなり関心があったように思うのであるが、一度はフランスでフィルムを提供してもらっていた知人に現像を頼んでいたりするものの、結局その話はなくなったようで、彼女は乳母(ナニー)としての人生を全うして最期を迎えることになる。
 それではヴィヴィアン・マイヤーにとって写真とは何だったのかと考えるならば、ローライフレックスという二眼レフカメラを愛用しており、被写体を直接見ることはないが、かなり接近して撮影しているところを見ると、他者、つまり社会とぎりぎりまで接近できる唯一の手段だったのではないのかと思うのである。


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『夏をゆく人々』

2016-03-16 00:42:15 | goo映画レビュー

原題:『Le Meraviglie』 英題:『The Wonders』
監督:アリーチェ・ロルヴァケル
脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
撮影:エレーヌ・ルバル
出演:マリア・アレクサンドラ・ルング/サム・ルーウィック/アルバ・ロルヴァケル/モニカ・ベルッチ
2014年/イタリア・スイス・ドイツ

昔懐かしき「家族の肖像」について

 主人公のジェルソミーナの父親のヴォルフガング一家はイタリアのトスカーナ地方の田舎で養蜂業で生業を立てているのであるが、早朝の猟師たちの銃声による蜂への悪影響に悩まされており、ベッドを外に出して寝るような生活を送ったりしている。
 最小の用具だけで養蜂業を営んでいたが、やがて役所から衛生基準を守るために養蜂場を改修するように指導を受けたり、ヴォルフガングの兄が農場で使用し始めた農薬で蜂が大量に死んだりして、だんだんと養蜂業者に逆風が吹き始める。
 そんな時にジェルソミーナが申し込んでいた『ふしぎな国』という、地域で一番の特産品を決めるコンテストに出場して宣伝しようと試みるのであるが、兄に優勝をさらわれてしまい賞金を貰えなかったのみならず、更生させるために預かっていたマルティンが逃げ出して行方不明になってしまうのである。
 ジェルソミーナは一人でコンテストが開催されていた島に戻り、マルティンを見つけだし一夜を共に過ごした後、彼女を心配するあまり外で眠っていた家族のもとに明け方一人で戻って来る。やがてカメラがパンすると一家はいなくなっており、彼らが暮らしていた家は空っぽになっている。
 じわじわと追い詰められていったヴォルフガング一家は一体どうなったのかと勘案するならば、そもそも本作の冒頭で描かれていたものは3つの軍の車両のヘッドライトで、軍人の一人が「こんなところに家がある」と驚いていたのだから、本作で描かれていた「幽霊譚」は第二次世界大戦時にムッソリーニ政権がトスカーナ地方を支配する前の、のどかに暮らしていた昔懐かしき「家族の肖像」だったのではなかっただろうか。


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『キャロル』

2016-03-15 00:20:56 | goo映画レビュー

原題:『Carol』
監督:トッド・ヘインズ
脚本:フィリス・ナジー
撮影:エドワード・ラックマン
出演:ケイト・ブランシェット/ルーニー・マーラ/サラ・ポールソン/カイル・チャンドラー
2015年/アメリカ・イギリス

同性愛をも超える「肌合い」について

 舞台は1952年のアメリカのニューヨークで、主人公のキャロル・エアードはデパートのおもちゃ売り場の店員のテレーズ・ベリベットと恋仲になってしまうのであるが、テレーズにとっては「初恋」であっても、キャロルは既婚者でリンディーという幼い娘がいるのみならず、5、6年前から幼なじみのアビー・ゲルハルトと同性愛の関係もあり、それが原因で離婚調停中だった。
 それでもキャロルとテレーズは年末に2人で旅行を企て、それを知った夫のハージ・エアードは私立探偵を雇い、2人の密会現場の証拠となる録音記録を録られてしまう。キャロルとテレーズは一度は別れてしまうのだが、キャロルの誘い水に対してテレーズの方から関係の修復が試みられる。それは同性愛という欲望によるよりも、例えば、テレーズの友人の一人が『サンセット大通り(Sunset Boulevard)』(ビリー・ワイルダー監督 1950年)をテレビで何度も観ながらセリフまで記録しているのであるが、そのような「既成の物語」から抜け出て「同性愛」という当時では未踏の人生を歩みたいというテレーズの強い思いがあったように思う。あるいは肉体の快楽というよりも、意図したものかどうかは分からないが、キャロルが「忘れて」いった手袋をテレーズがキャロルの目論見通りに送り返したり、キャロルが隠し持っていた拳銃で私立探偵を撃とうとした際に弾が出なかったことから、事前にテレーズが弾を抜いていたと推察でき、キャロルを人殺しにしなかった点など、2人は本当に「肌が合う」のだと思うのである。


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『エヴェレスト 神々の山嶺』

2016-03-14 00:46:53 | goo映画レビュー

原題:『エヴェレスト 神々の山嶺』
監督:平山秀幸
脚本:加藤正人
撮影:北信康/村口徳行
出演:岡田准一/阿部寛/尾野真千子/ピエール瀧/甲本雅裕/風間俊介/佐々木蔵之介
2016年/日本

「エベレスト」と「エヴェレスト」の違いについて

 既に昨年11月に事実を基に丁寧に描かれていた『エベレスト 3D』(バルタザール・コルマウクル監督 2015年)と同じネタの作品を間隔を置かずに敢えてこの時期に公開してくるということは、かなりの自信がなければできないことだろうからと期待して観に行ったのであるが、別の意味で驚かされる作品ではあった。
 孤高の天才クライマーと呼ばれている羽生丈二が無謀にも単独で無酸素でエヴェレスト登頂を試みるのであるが、恋人だった岸涼子の指示も聞かずに登っていく羽生丈二は気が狂っているようにしか見えない。しかしそれはシェルパとして一緒に登っていた岸文太郎を事故で失い、ネパールに不法滞在している時点で頭がおかしくなっているという言い訳はつく。問題は羽生を追いかけて登っていった山岳カメラマンの深町誠の行動である。
 深町まで酸素ボンベを携えずエヴェレストに登ってしまう理由は、重装備で顔を覆ってしまうと岡田准一が主役をしている意味が無くなってしまうだろうから百歩譲るとしても、羽生の遺体を見つけた深町は羽生の声が聞こえるようになるのだが、深町が最も興味を持っていたジョージ・マロリーが所有していたフィルムの在りかを羽生に教えられてもどうでもよくなっており、だからと言って羽生の遺体を背負って下山するわけでもない。そして羽生が伝えるように「足がダメなら手で、手がダメなら目で、目がダメなら心で進め」という精神論を学んで下りてくる。これでは感動とは程遠いオカルトでしかないのではないだろうか。


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『インサイダーズ / 内部者たち』

2016-03-13 00:04:08 | goo映画レビュー

英題:『Inside Man』
監督:ウ・ミンホ
脚本:ウ・ミンホ
撮影:コ・ラクソン
出演:イ・ビョンホン/チョ・スンウ/ペク・ユンシク
2015年/韓国

瑕疵となるシーンについて

 大統領選挙が間近な中、裏社会で暗躍していたヤクザを取り仕切るアン・サングが「兄弟」として慕っていた保守系の新聞社の主幹であるガンヒに裏切られ、左手を失い、トイレで小銭を稼いでいる生活を送っていた。同じ頃、検事になったばかりの叩き上げのウ・ジャンフンはアン・サングが関わっていた裏金事件を捜査していたが、アン・サングに邪魔されて捜査は難航した上に打ち切りになってしまう。
 作品の性格上、詳細は避けるが、アン・サングが世間に告発した後に、彼の証言を裏付けるはずだった部下や女性が次々と暗殺された時には、敵方が強すぎるように感じたのであるが、それは本作において大きな瑕疵にはならない。寧ろ、瑕疵となるシーンはガンヒと現職の大統領と大手財閥の社長が多くの女性を侍らせて「乱交」するシーンで、中年の男たちが全裸で、いわば「本物」のパターでグラスにボールを入れるシーンは、さすが韓国でなければ撮れないシーンだとは思ったが、正直気分が悪くなった。


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『黒崎くんの言いなりになんてならない』

2016-03-12 00:49:21 | goo映画レビュー

原題:『黒崎くんの言いなりになんてならない』
監督:月川翔
脚本:松田裕子
撮影:木村信也
出演:小松菜奈/中島健人/千葉雄大/高月彩良/岸優太/岡山天音/中村靖日/池谷のぶえ
2016年/日本

いまだに「昭和」から抜けられない「平成の思春期」について

 作品の前半がダイジェストのように描かれており、ずいぶんと手を抜いた演出だと思って観ていたら、前半部分はテレビドラマとして既に放送されていたことを後で知った。
 異性と恋愛する前提として同性との友情を尊重するというのが、今時の若者のマナーであるのかどうかは定かではないが、例えば、梶祐介の誘いで赤羽由宇、芦川芽衣子、黒崎晴人、白河タクミの5人が遊園地に遊びに行った際に、途中で赤羽と黒崎のカップルと残りの3人がはぐれてしまったり、あるいはその後、学校内を赤羽が黒崎の行方を捜しまわったりするのであるが、彼らは全員スマートフォンを持っており電話をかけるだけで解決するはずなのに、何故わざわざ探しまわっているのか理解できない。つまり2015年11月頃の日本が描かれているはずの本作はいまだに「昭和」の物語をなぞっており、因ってこの「平成の青春物語」をそのまま信じる訳にはいかないのである。


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