寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

20年前の東広島市西条(その2)

2008年07月21日 | 学生時代
初めて西条キャンパスの下見に行ったのは昭和63(1988)年3月のことだ。友達と駅から大学まで歩くつもりだったが、あまりの遠さに途中で断念してバスに乗った。現在のバス路線とは異なり、回り道をして大学に向かうので距離は5km程度あったと思われる。

大学の周りには飲食店やコンビニや本屋がないのを車窓から見て一同は暗い顔つきになった。広島に戻る前にフジ東広島店に入って遅い昼食を取った。そしてレコードショップ(音響堂?)で中森明菜の新譜「Stock」を土産として買ったことを覚えている。

フジはその後名前をフジグランと改めたが、収益が上がらないために平成19(2007)年9月末をもって閉鎖された。建物は既に取り壊されて更地になっている。土地を購入した広島市中区のアーバンコーポーレーションがマンションを建設するらしい。跡地の対面が中央公園で昔の面影が微かに残っている。

中央公園の石碑

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20年前の東広島市西条(その1)

2008年07月21日 | 学生時代

20年前(昭和63年)の今頃は、大学生として2回目の夏休みを過ごしていた。地元に早々に帰省して家庭教師のバイトをしながら、免許取得のために自動車学校に通っていた。

休み明けの試験で単位が揃った者は専門課程に進むことが決まっており、何となく憂鬱であった。1年半暮らした思い出深い広島の街を去り、未開の東広島市に移住しなけばならないのが堪らなく嫌だったのである。

私は10月上旬に東広島市民となった。西条駅前のバス・タクシー乗り場の汚さは呆れるほどで「酷い田舎に来たもんだな」と思った。当時大きなスーパーといえば近くの「フジ」か「西条プラザ」を指した。

大学に向かうバスは1時間に1本あるかないかで、車を持たない人間にとっては頭痛の種だった。「島流し」に慣れるまで軽く半年を要したが、次第に「待つ」ことや「我慢する」ことの意味を覚えていった。

駐車場から西条プラザを望む

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