寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

倉敷の色街跡を歩く(前編)

2009年02月27日 | 

「床屋」前の道に沿って西へ移動する。「川西橋」から「ナイター横丁」まではほぼ直線で約270m。川西町散策は1時間もあれば十分だ。

川西町一巡り→阿知3丁目(小河原呉服店・大橋邸)→大原美術館界隈→昼食→東町のルートで観光すると歴史の明暗が理解できる。遊里ばかり見てもあまり意味がないことを私は知っている(笑)

忘れられたスナック群

道筋には「旅館」「一膳飯屋」「酒屋」が並ぶ。そこから先に潰れたスナック群(女王蜂など)、廃業した寿司店がある。赤線廃止から次第に町の活気が失われていったものと思われる。

元寿司店

プレート1

所々に残る色彩の褪せたプレート類から色街の繁栄振りを偲ぶことは可能だ。小料理屋やスタンドも多数あったのだろう。現在の寂れようには悲しいものがあるが、これが時代の流れである。

プレート2

辻を右折して北上すれば前述の「橘湯」がある。周辺の建造物は一見の価値があると付け加えておく。

扇形の小窓

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一番街商店街を抜け「川西橋」を渡る

2009年02月27日 | 

JR倉敷駅を出る。かつて「三越」があった所は現在「天満屋」に変わっている。昨年の大晦日をもって「チボリ」も閉園となり寂しい限りだ。人通りの少ない「一番街商店街」を歩いて「川西橋」のたもとまで来た。

「川西橋」欄干と旧町名「平和町」標柱

「川西橋」は倉敷用水に掛かる小さな橋だ。ここで用水路はV字に折れ曲がる。橋には大正十五年(※完成)の銘が入っている。その脇に「平和町」標柱が立つ。現・阿知3丁目界隈はかつて平和町(昭和13年~昭和42年9月)という名であった。

橋の向こうが遊里の「川西町」。ゆえに「思案橋」の異名を持つ。私は迷うことなく橋を渡る。右側にタバコの自販機を見つけた。ここから左手の道を進むことにした。

「川西橋」を渡った先にタバコの自販機がある

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