寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

踏切のある風景

2010年10月04日 | 

広電の踏切に着いた時には遮断機が下りるところであった。電車通過待ちの間、私は生まれ故郷の中心部から踏切が消えたのはいつ頃だったか考えていた。

保育園に通っていた時分は山陽本線が走る土手が近くにあり、昆虫の宝庫であった。緑の風景が減り始めたのは昭和40年代の末、すなわち新幹線の高架工事が始まり出してからだ。

昭和50(1975)年3月10日に山陽新幹線開通。高架2階を在来線が、3階を新幹線が通る光景を城下町の人間は誇らしく思ったが、周辺の騒音は当時大きな問題になった。新幹線が通るたびに家が揺れると子どもらは騒いでいた。木枠の窓がアルミサッシに替わるのはそれからすぐであったと思う。

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宮島口行きの電車に乗る(後編)

2010年10月04日 | 

実はどの駅で自分が下車するべきか決めかねていた。目的地の前後ならどこでも良かったのだ。東京の街を知る人間にとって2駅分歩くことは大した問題ではなかった。

結局一つ手前の小さな駅で降りることにした。緑色の電車を見送った私は右手の踏切に向かって歩いた。

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