寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

三原市の高山へ登る(後編)

2013年06月06日 | 
やぶ蚊の猛襲に帽子を振り回して対抗しているうちはまだ元気があった。上へ登って行くにつれて木がめっきり少なくなり蚊もいなくなった。喜んだのも束の間、私は手を地面について前屈姿勢になった。

周りに掴むものがないというのは本当に恐ろしい。前進するごとに土砂が下にドドドと鈍い音を立てては落ちる。おまけにスニーカーの裏はツルツルである。これだけ悪条件が重なれば滑落の危険性は非常に大きい。私はトカゲのように斜面にへばりついてゆっくりゆっくり山を登った。

登山途中の景色

木々が生えたところまで来て漸く下を見る余裕が出た。本郷町本郷と高坂町真良の境辺りに到着したものと思われた。とりあえず安全な場所に移動して景色を楽しむことにした。

高山から沼田川周辺を望む

弧を描く沼田川に沿って山陽本線の線路が延びており、本郷宿の動きが手に取るように分かる。沼田小早川氏がその昔築いたという高山城はどんな感じであったのだろうか。

高山から新高山周辺を望む

西方の山が新高山(にいたかやま 小早川隆景公が新しい城を築いてここから移った)だが、今では両山の下(高山トンネル⇔新高山トンネル)を山陽新幹線が行き来するのである。葉っぱが多過ぎて新高山城跡がよく見えないのが残念であった。

高山山頂

山頂付近で特に標識は見当たらなかった。高山城跡の遺構はここから北方にいくつかあるはずだが、獣道を往く自信はなかった。コンパスを持たない私は何度も方向を見失い冷や汗を流していた。かつてワンゲル部の先輩が後輩たちに「標高が低いからといって山をなめちゃーいけん。大事になるど」と話していたことをふと思い出した。

冷たいお茶を飲み干した私は冷静さを何とか取り戻すことできた。そして記憶を頼りに上がって来た道を引き返すことにした。赤ちゃんのハイハイにも見える無様な恰好だったが、大怪我だけは避けたかったのである。

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三原市の高山へ登る(前編)

2013年06月06日 | 
坂道をほぼ上った辺りから急に家が増える。傾斜地を削って造った新興住宅地に特有の配置である。確か城山団地という名がついていたはずだ。

本郷北4丁目の本郷地所

本郷北4丁目のサンパティオ

サンパティオ前で息を整え坂を一気に駆け上がる。山の麓に天理教の分教会が建っているのを確認して林へ一人で入った。

本郷北4丁目の天理教分教会

私はすぐに登山道が未整備であることを悟った。しかし「ここまで来て帰るわけにもいかんしな。とりあえず行ける所まで行ってみよう」と思い雑草をかき分け、汗を流しながら道なき道を進んだのである。

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