寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

北陸新幹線の列車の名前を募集します。(JR西日本・JR東日本)

2013年06月22日 | 日記
平成26年(2014)度末、北陸新幹線が金沢まで開通する予定。ということで新幹線にふさわしい名前を一般から募集中という話である。何か嬉しくなり遠方からちゃっかり応募させてもらった。

昭和50年春に山陽新幹線が開通した時の喜びを私は今もはっきりと覚えている。福山は新幹線が停まるようになって急激に発展した。確かに自然は失われていったが、そんなことに感傷的になるガキなど皆無であった。便利さを追い求めることは当たり前だと誰もが認識していたのである。

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広島県道260号福山港松浜線を東進(その6)

2013年06月22日 | 郷土史
広島県道260号沿い、広陽産業西隣にポツンと川口新四国八十八カ所第十六番石仏が祀られている。広陽産業(福山市東川口町2丁目10‐7)北側は広大な空き地である(住所表記:福山市東川口町1丁目3)。関係者以外立入禁止区域の中‥‥‥福山港(内港)寄りに巨木が立つ。

東川口町1丁目3の空き地(日本化薬の社宅跡)

東川口町1丁目3の空き地(栴檀の木)

「福山菱の会」のホームページによれば、ここは日本化薬の社宅が建っていた場所だが、戦前用地が軍に接収され倉があったという。歩兵第四十一聯隊兵営(現・緑町公園及びココローズ)にも近く、何らかの関係があったのだろう。栴檀(せんだん)の大木は私の生まれる遥か前から福山の発展を見てきたことになる。

 現在、巡礼道路として石佛が祀られている堤防より入江の海を埋め立てた土地、すなわち日本化薬住宅、運送会社がある土地は、廿山(はたちやま)新涯といわれています。
 廿山とは、福山藩の抱え力士の名です。その力士は天保二年に死んでいます。城内の阿部藩主の前で廿山が角力をとり、この川口新涯の土地の一部、すなわち文久三年(一八六三年)に埋め立てられた入江の部分を、ほうびとして与えられたので廿山新開(新涯)と呼ぶようになったそうです。

『おもしろふくやま史 / 平井隆夫(二〇〇一年)』

山田薬品隣の地神

広陽産業から東へ約50m、広島恵友堂山田薬品(同町3丁目1‐50)脇にまた地神さんが配置されている。丸みを帯びた石には大正五年(1916)建立の銘がある。

大正五年に建立された石仏

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野菜にも人間にも恵みの雨となった 

2013年06月22日 | 日記
カンカン照りが続いて畑の野菜は一向に大きくならなかった。水道の水を少々やったところで焼け石に水であったのである。それがどうであろう、2日前には干からびていたナス(画像)が見事に息を吹き返した。そしてキュウリは一気に倍の長さになった。雨の力は本当にすごい。へたり気味の人間も恵みの雨には感謝している。

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