寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

再選を目指して出馬表明した湯崎広島県知事

2013年06月26日 | 広島県政
湯崎英彦広島県知事は本日出馬を表明した。予想通りの展開である。湯崎県政となって大きな光が当てられ得をした三原市。それに対してウチはどうだったか。

単一思考の長を選出すると確実に下々の人間が大損をする。一部の特定の者だけに餅を配る代表などは「言論の自由」を確立する上でもはっきり言って不用だ(笑)

田舎町の衰退をすべて行政(広島県)の所為にしていたのでは駄目である。住民は「市(及び県)全体の利益」を考えた上で理性的に発言し行動すべきなのだ。思い通りにならないからと言ってガキのようにむくれて話し合いを拒否するようでは先は見えている(→間違いなく干乾びる)

己のビジョンを明確にしかも丁寧に説明した上でぶれずに前進する人物を私は陰から手伝いたくなる。周りを自発的に動かすのは結局のところその人の持つ「徳の大きさ」だろう。

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広島県道260号福山港松浜線を東進(その9)

2013年06月26日 | 郷土史
東川口町3丁目の信号機を過ぎると中国バス・観音堂バス停である。このすぐ隣が福山小売酒販組合(福山市東川口町1丁目4‐17)で南側の空きスペースに大きな石碑が建っている。

中国バス・観音堂バス停

上田玄蕃直次之碑

上田玄蕃直次なる人物は水野勝種公の時代の首席家老で川口新涯造成の指揮者である。石碑の裏面には昭和四十四年(一九六九)十二月吉日建之の銘が入っている。

上田玄蕃直次之碑(裏面)

川口一ツ樋の樋之堂

石碑の東隣には川口一ツ樋の樋之堂が安置され詳しい説明板が建つ。福山藩の干拓事業推進の歴史を理解する上でこの遺構は大変重要である。

川口一ツ樋の「樋之堂」由来の記
 当川口地区は、福山の開祖水野勝成公の曾孫、四代勝種公により、寛文十一年(一六七一)、福山多治米沖に干拓された。
 工事は、東半分を首席家老上田玄蕃、西半分を次席家老中山外記により、堅固な堤防を以って築成された。
 沖堤・東堤・西堤の内側に、「汐廻し」を造り、堤防の下に藪を配置した。芦荻生い茂る塩地の内陸に、道路と用悪水路を造り、芦田川より用水を引き入れ、悪水を「汐廻し川」に集め、「天然樋」又の名「一ツ樋」より、入江に放流した。此の樋を、覆い且つ支えた建物が、此の「樋之堂」である。
 当時、此の樋門を、管理する土木部会(現在の土地改良区)の先達と、当面樋蓋を、手廻しロクロで上げ下ろしする、操作員達の仕事は、実に大変なものであった。

 天然樋門(一ツ樋)の大改築は、昭和二十七年から二十八年に掛けて、県の補助を得て完成された。それに伴って、住民に親しまれた此の「樋之堂」は、その任務を果して、居所を二転三転した。…
 今般、現改良区の役員会に於いて、此の「樋之堂」は、その屋根を補修し、柱・桁の一部を修復して、本場所即ち、川口八幡神社御旅所である此の地に、末永く、安置する事に決定を見たのである。

 平成十三年四月吉日 福山市土地改良区 川口工区

川口一ツ樋の樋之堂由来の記

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赤しそのアク抜き・梅の本漬け

2013年06月26日 | 食材
水洗いして泥などの汚れを落とした赤しそに塩(葉の重量の約2割)を(二度に分けて)加えてしっかり手もみする。濃い紫色の汁はアクなので捨てる。

アク抜きした赤しそを白梅酢に入れる

発色した赤しそ

液切りした赤しそを白梅酢(梅を塩漬けして出てきた水分のこと)と混ぜ合わせて発色させる。梅と赤しそが交互になるように瓶詰して重しをのせて本漬けは完了。我が家では大体3年間漬け込んでいる。

梅の本漬け

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