寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

6月に突入!

2014年06月01日 | 日記
今日も真夏日になった。6月初めの気温とは信じがたい。少し動けば汗が流れ木陰で静かにアイスクリームを舐めていたい気分だった。午後の予定は大幅に変更となり文献の下読みをして夜を迎えたのであった(笑)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陽道神辺宿(七日市の神辺東本陣跡と荒神社)

2014年06月01日 | 郷土史
福山市神辺町大字川北583‐6のお宅の東側を流れる用水路上のフェンスに「東本陣跡」と彫られた木板が取り付けられている。石柱でないので見落とす人もいるようでこの下辺りに神辺宿絵図を足すのも一つの手であろう。神辺東本陣が現存しないのは江戸時代の大火事で焼失したためである。

神辺の大火
 文化四年(1807)神辺宿は大火事に見舞われ,川北の殆ど全部,川南の相当部分が灰燼に帰している。

 この大火により,それまでの建物,文献類の大部分の焼失したことは,神辺宿の江戸初期,中期の解明を困難にしている大きな原因ともなっている。
 菅茶山の伯父で,漢学和歌狂歌に長じ,筑前黒田藩主に進講したと伝える高橋慎庵の遺稿も,東本陣と共に焼失した。
 神辺宿の東端である七日市の“出口”に近い菅茶山宅も,この文化の大火に罹災したようである。

『風土記№1 / 菅波堅次(1982)』

安那郡川北村の両本陣と御茶屋の関係については『近世神辺宿の町並 神辺の歴史と文化 ‐第九号‐(昭和五七年)』に詳しい記述があるので一部を紹介しておく。

神辺宿の町並
 …菅茶山の編著である『福山志料』は、文化年間初頭(一八〇〇年頃)の神辺宿の本陣について 休泊ハミナ川北村ニ引受テ本陣アリ と記している。この時期における本陣は三日市の尾道屋菅波家(西本陣)と七日市の本荘屋菅波家(東本陣)が勤めていた。尾道屋菅波家が本陣を勤めた始めは、寛文年間(一六六〇年頃)と伝えられているが、本荘屋菅波家のそれは明らかではない。尾道屋菅波家が本陣を始めたと同時期頃に、福山藩は藩直営の公用通行者の休泊を賄う施設、「御茶屋屋敷」を経営していたと考えられる。それは、元禄十三年(一六七〇)に作成された『川北村検地帳』に、 一屋敷 弐拾壱間 弐拾間 壱反四畝歩 茶屋屋敷 と記載されていることから推測される。尚、同検地帳は尾道屋菅波家の屋敷面積を「二反二畝拾四歩」と記し、その土地は同家五代目五郎三郎が名請している。『福山志料』は御茶屋屋敷について、 三日市ニアリコゝニテ薩摩候ヲ饗セラレシコトアリ五十年前ナリ今ハコホタル と綴り、文化年間には既に消滅していたことを明らかにしている。…寛永十二年(一六三五)参勤交代の制が敷かれると、山陽道の宿駅を領国内に抱えた大名は、宿駅業務を支障なく遂行する業務を負った。そのため福山藩は宿場町に茶屋屋敷を設置し、公用通行者の休泊業務の運営に当った。その後、尾道屋菅波家が本陣としての機能を十分果す施設を整備するとゝもに、その分家筋に当る本荘屋菅波家も本陣としての施設を整備するに及んで、藩直営の「茶屋屋敷」は不要となり廃棄した。

『近世神辺宿の町並 神辺の歴史と文化 ‐第九号‐(昭和五七年)』

七日市荒神社の玉垣

胡神社

東本陣跡の木板の(道路を挟んだ)向かい(北側)に「七日市荒神社(川北651)」が鎮座する。境内には、廉塾から数軒先にあったと推測される七日市の市夷が移設されている。

江戸後期の神辺宿復元図(高札場~東本陣~廉塾)

七日市荒神社

七日市荒神社から更に東へ行くと「茶山饅頭総本舗谷口屋(川北641)」そして菅茶山が開いた「廉塾(川北640)」が並んでいる。どちらも神辺宿の名所であり休日には多くの観光客の姿が見られる。

谷口屋

廉塾の門

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福山市光南町3丁目1・ラーメン大統領の跡地に分譲マンションが建つ模様

2014年06月01日 | 日記
私は野上交番前交差点(野上町3丁目1・藤原ビル前)を南下する際に異変に気付いた。ラーメン大統領福山光南店と珈琲茶館があった場所が更地になって分譲マンション建設予定地の看板が出ていたのである。ネットで調べたところラーメン屋は今年の3月をもって営業を終了していた。

福山市中心部はあちこちでマンションの建設が進んでいる。郊外からJR福山駅周辺に移り住む人が増えているとよく耳にするようになった。運転免許を返上した年寄りがより便利な場所で暮らしたいと思うのは自然なことだ。この場所なら1km以内に商業施設・銀行・郵便局・コンビニ・病院など全て揃っているしバス停も近い。不安要因の少ない平地に幅広い年齢層が集まるのは全国で見られる傾向だ。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする