寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

ワラビ入り炊き込みご飯

2014年06月04日 | 家飯
中国地方が梅雨入りした。カンカン照りの日はご飯をあまり受け付けないのだけれど、雨になると味噌汁とセットで食べたくなる。今日の夕食は五目炊き込みご飯だった。具材はワラビ、人参、油揚げ、干しエビ、筍。薄口醤油のみを使用して淡い色合いに仕上げた。各素材の持ち味を活かすためあえて控えめな味付けにした。旨味過多では面白くないのだ。

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福山市神辺町の古城山から高屋川沿いを望む

2014年06月04日 | 郷土史
私は旧山陽道から離れて丘に上り(旧深安郡神辺町営)古城住宅に辿り着いた。小さな平屋が並ぶ一角は非常に静かである。テレビの音声が流れる古い部屋の住民は年寄りだった。

古城住宅


 古城山城は、神辺城の東北方における小丘で東は平野に境し、古城山の名をもって呼ばれているので便宜かくは称することとする。
 この山は既に原史時代の部で記述しているように、古墳が営まれていたのを、頂点を削平して城郭となしたもので、昭和九年高屋川の改修により切り取ったとき石槨があらわれたといわれ、十数年ののちもなお須恵器の破片が散じていた。
 更に昭和三十一年には大々的に掘り下げて、公営住宅を建築したので、全く城郭としての形態をのこしていない。この丘陵は、円錐状の小岡の南にいま一つの小丘があって、前方後円墳とも見られていたが、その後円部が本丸で、前方部に二の丸ともいうべき郭が設けられ、堀は古墳時代からめぐらされていたとも思われ、地形によってそれがうかがわれる。
 西方山腹の八幡社(昭和九年山頂に移した)は宗教的な防備として、その冥加は大きなものとされていたことであろう。

『神辺町史 前巻(昭和四十七年)』

川北と平野の境を望む

川北と平野の境(山陽道)が一望できる場所に移動した私は天保十一年(1843)六月の備後大洪水の様子を想像した後、高屋川の流れと堤が変わっていることも自分の目で確かめた。そして平野村が治安維持という重要な役割を担っていた意味合いをはっきりと理解したのである。

高屋川の堤

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夏が旬の鱸(スズキ)

2014年06月04日 | 食材
鱸(スズキ)は夏を代表する魚である。寿司のネタとしても人気が高いし、奉書焼は特に有名である。切身にした残り(アラ)を魚屋やスーパーで見かけた時には買いだ。鱗を落して霜降りするまでが初心者にはちょっとしんどいが、ぜひこの基本的な手順を覚えてほしい。頭を使った骨蒸しは非常に簡単で味はすこぶるいい。下処理した頭に軽く塩を振り、酒で割った昆布出汁を加えて15分弱蒸すだけである。目玉や口周りのゼラチン質、頬や胸鰭付け根の肉は非常に美味。瀬戸内の大アコウ(キジハタ)の骨蒸しが作りたくなった。

骨蒸し

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