寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県立歴史博物館友の会・文化講演会「地図と文化 ‐江戸時代の地図の効用‐」

2014年06月06日 | 日記
明日(6月7日 土曜日)午後2時半から広島県立歴史博物館(福山市西町2丁目)地階で「地図と文化 ‐江戸時代の地図の効用‐」と題した講演会が開かれる(無料)。地図所有者たちの動向や地図版元の出版戦略をみていくことで、江戸時代の社会や文化のなかで地図の位置づけ(効用)を考えるという内容で、上杉和央氏を講師として招く。

聴講したかったが、どうやら行けそうにない。話題になった企画展「未知なる世界への憧れと挑戦」は6月8日が最終日。ということで土曜日に時間の余裕がある方には博物館に足を運ぶことをすすめたい。

特別展示

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福山市神辺町平野・古市荒神社と一里塚跡(後編)

2014年06月06日 | 郷土史
御野村第五部のエンボス表示が見られる倉庫状の建物前の石碑には「金五百圓 ガソリン喞筒購入資金寄附 在布哇カフルイ 小林元市」の刻銘があった。布哇はハワイと読む。

石碑

ハワイ州マウイ島北部の都市カルフイ在住の日本人が消防用ガソリンポンプの購入資金として地元へ多額の寄附をしたという意味だろうか。石碑の南側が石仏を祀った祠である。

石仏

平野の一里塚周辺地図


神辺と近世山陽道の一里塚
 江戸時代の古地図を見ると,よく街道に一里塚の記号が書き入れてある。その起源についてはまちまちであるが,近世山陽道(旧山陽道)では制度的には寛永十年(1633)とも言われている。

 当時の旅人にとって,一里塚は的確に目的地に近づく里程標であった。一里は三十六町と定められるのが普通であり,一里毎に道路の両側に土石を積んで堠とし,松或いは榎を植えた。その木陰は旅の疲れを休めるのに恰好な場所であり,多くの場合には喉をうるおすための井戸がその傍らにあった。

 平野一里塚敷地内に,道路に面して遺在する小井戸。近隣の古老の話では非常に古く,江戸期の旅人に役立った井戸かもしれない。

『風土記№1 / 菅波堅次(1982)』の記述通り、平野の一里塚(南)敷地付近に井戸が残っていた。我々は木の有無についてばかり語りがちだが、井戸の果たした役割についても思いを馳せるべきであろう。福山市中心部(城下町)から神辺町平野まで(念仏街道…木綿橋→通り町→土橋・惣門→千田大峠→唐丸峠・湯坂峠→神辺宿)自転車で旅をするといろんな発見があって非常に面白い。

一里塚跡(南)近くの井戸

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企画展:「福山市史」ができるまで~その舞台裏~前期(まなびの館ローズコム3階歴史資料室)

2014年06月06日 | 日記
6月3日から福山市史編纂の舞台裏に関する企画展が霞町のローズコム3階で始まっている。展示資料の目玉は昭和20年(1945)9月初旬に米軍機が撮影した福山市街の空中写真である。

同年8月8日の空襲で焼け野原となった部分は白く写っており被害の大きさを実感できるし、東深津や多治米の辺りは田園風景が広がっていたことが分かる。また枕崎台風による被害が発生する前の状態を知る上でも貴重な記録と言える。これから僅か20年ほどで福山は劇的な復興を遂げ広島県第2の都市となったことを考えると感慨深いものがある。他には木造の神島橋の写真(絵葉書)が珍しい。展示は8月3日まで。親子でぜひ見て欲しい内容である。


展示内容

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