再び旧山陽道に戻り東へ進む。神辺宿の東出口付近(高屋川の土手下)に立派な石組みが残っている。その上には「広島県福山市神辺町字平野古市百七十三番ノ二 / 国土交通省管理区間(ここから下流)」と記された白い標柱が建つ。
まさにここが旧安那郡川北村と平野村の境にあたる。高屋川が増水した時には石組みの溝の部分に止水板をはめ込み土嚢を積み宿場町に水が流れ込まないようにしていたという。
私は街道右手の空き地奥に祠があることに近付いた。若宮神社の名称を確認した時に非常に冷たい霊気を感じた。「もしや」と思い周辺を調査すると古城山の麓(岩肌)に墓らしき地蔵のようなものも祀られている。
そして古城住宅へと続く細い道の脇に萬霊塔を見つけて推測が確信に変わった。この辺りが福山城築城前に設けられた御仕置場と地元に伝わっていることを知ったのはそれからまもなくのことであった。余談になるが、神辺宿の外れには杉原時代の首立場と言われる場所(湯坂谷)も存在する。
まさにここが旧安那郡川北村と平野村の境にあたる。高屋川が増水した時には石組みの溝の部分に止水板をはめ込み土嚢を積み宿場町に水が流れ込まないようにしていたという。
私は街道右手の空き地奥に祠があることに近付いた。若宮神社の名称を確認した時に非常に冷たい霊気を感じた。「もしや」と思い周辺を調査すると古城山の麓(岩肌)に墓らしき地蔵のようなものも祀られている。
そして古城住宅へと続く細い道の脇に萬霊塔を見つけて推測が確信に変わった。この辺りが福山城築城前に設けられた御仕置場と地元に伝わっていることを知ったのはそれからまもなくのことであった。余談になるが、神辺宿の外れには杉原時代の首立場と言われる場所(湯坂谷)も存在する。