寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山ニューキャッスルホテル・クレール・料理のワールドカップ

2014年06月05日 | 日記
まもなくワールドカップ開催である。日本の初戦は6月15日(日本時間)、コートジボワールとあたる。ニューキャッスルホテルのカフェ&ビュッフェレストラン・クレールでは今月1日から料理のワールドカップというディナ―バイキングを始めた。

トルティージャ(スパニッシュオムレツ)やシュラスコ(ブラジルの肉の串焼き)など各国の代表的な料理を味わえる面白い企画である。値段も手ごろで老若男女が楽しめそうだ。

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福山市神辺町平野・古市荒神社と一里塚跡(前編)

2014年06月05日 | 郷土史
私は古市公民館(神辺町字平野146‐2)まで足を延ばした。公民館の南側が荒神社境内で山陽道寄り(南西角辺り)に一里塚跡の標柱が建っていた。

一里塚跡の標柱

 西国街道は…五街道に準じた重要な交通路で、文祿・慶長のころは、備中高屋宿より御領・神辺へ出て、中津原から郷分村へ入り、今津を通り西村・御調郡三成村を経て三原に至る順路であった 備陽六郡志 。しかし、水野領時代の万治二年(一六五八)三百石に及ぶ沼隈郡高須村の新開造成地が完成すると、西国街道は今津宿より高須村へ入り海岸沿いに尾道・三原を経由することとなった。かくて、水野領内の西国街道は備中後月郡高屋村から尾道坊寺カ峠まで七里弱で、その間に宿駅が高屋・神辺・今津の三カ所、一里塚は上御領村・平野村・中津原村・山手村・赤坂村・今津村・高須村の七カ所にあった。

『福山市史 近世編』

平野の一里塚周辺(神辺宿絵図)

現代人は一里塚の間隔を正確な数値と思いがちだが、実は違う。あくまでも大体の目安だったと覚えておくべきだ。一里塚は街道の両側に置かれていたことは当時の絵図からも分かる。平野古市の荒神社に参拝した後、境内東側のモルタル建築の前で足を止めた。

平野古市の荒神社

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鯛あら炊き

2014年06月05日 | 食材
真鯛の頭は美味しい部位である。天然物が安く手に入ったのであら炊きにすることにした。厚い鱗を大まかに取り霜降りする。冷水に移して指やスプーンを使って鱗の残りや血の塊などを除去する。

霜降り処理

あら炊き

下処理の済んだ鯛の頭を出刃包丁で分割して行平鍋に移す。酒と砂糖を加えて火にかける。濃口醤油を数回に分けて足し短時間で煮詰める。木の芽をあしらって完成。食べ応え満点のあら炊きを堪能した。鯛の鯛を久しぶりに取り出していい気分である。

鯛の鯛

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