寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県福山市丸之内1丁目・備後護国神社・みたま祭前夜祭

2014年08月07日 | 郷土史
家に急いで帰る途中、備後護国神社に寄った。既に大勢の人たちが広場に集まり城北中学(?)の演奏が始まっていた。子どもの数に私は驚いた。今年は屋台が出てとても和やかな雰囲気である。私は警備の人から団扇を貰い汗だくの顔をあおいだ。

団扇

団扇2

団扇の裏には『慰霊碑クイズラリー』が印刷されて日本史に興味を持たせる作りとなっていた。慰霊碑の意味合いを考える上でも題字を書いた人を知るのは重要だ。

慰霊碑

若い学生や生徒に正しい歴史を教えるのが昭和40年代に生まれた者の務めだと私は思う。団塊からポスト団塊世代が(故意に)手をつけなかったことに光を当てる作業は楽ではないが、少しずつ進めていけばいい。「反日極左が説く平和(勧善懲悪)とは実にいかがわしい。疑問に感じたことは自分で徹底的に調べよう」と思う人を増やすことが今一番求められている(笑)

神社前広場

金魚すくい

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和20年8月8日の福山空襲で生死を分けたもの

2014年08月07日 | 郷土史
それは運だけとも言い切れない。昭和20年7月の終わり、空爆を予告するビラが福山市内に投下されて、特高・警察が回収する前に拾って読んだ市民はかなりいた(『福山空襲の記録』)。近々(8月中)爆撃があるという噂は相当広まっていたと思われ、万が一の時にはどう避難したらよいかを大人は考えたはずである。

私は数年前に大正生まれの人物(兵庫県のハイカラな都市で青春時代を過ごし、敗戦色が濃厚になってから祖父母が暮らす福山に疎開して空襲を経験した)から聞いた話を忘れられない。その人は私に「米軍機が大都市を空爆するやり方を知っていたから命拾いした」とはっきり言ったのである。絨毯爆撃とはまず照明弾を投下して目標エリアの外側を火の海にする。その後内側に焼夷弾を大量に投下して木造家屋と市民を焼き尽くすというえげつない戦法だった。

つまり空爆が始まったら一目散に枠外に逃げることが最善策だった(ただし戦時中男性は延焼を防ぐためにその場に残って消火に努めることを義務付けられていた)のである。このことを少なくとも私の祖父母は知らなかった(二人は運が良くて助かった例だ)。市中心部に居を構えていた人の多くが有益な情報を聞かされることなく炎に包まれ亡くなったと言えよう。戦勝国の非人道的行為と軍部・警察・役所の情報統制の問題を合わせて考えてこなかったことが広島の平和教育を歪なものにしてしまったのではないだろうか。きれいごとばかり言う団塊世代の罪は非常に大きいのである。

城

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

季節・体調に応じてレシピを変更するのは当たり前

2014年08月07日 | 日記
味覚音痴の人間は面白いことにいつも決まった食べ方しかしない。私はワンパターンが大嫌いだから同じ料理を繰り返す時には微妙にレシピをいじる。味噌汁においては具材だけでなく薬味・味噌も替える。

また夏の餃子には白菜を入れずにキャベツとニラと玉ネギにして塩分をほんの気持ち増やす。汗をかく時期には体が自然に塩を求める。病気のため減塩せざるを得ないのであれば香辛料を工夫したらよい。料理は頭を使うだけでかなり美味しくなるはずだ。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする