昭和10年(1935)10月、第十四回北溟寮記念祭で販売された絵葉書セットから更にもう一枚お見せしよう。駆け足で高校に向かう寮生二人。朝寝坊をして飯も食わずにという状況なのかもしれない。ボロボロの学生服に雪駄履きというのが時代を感じさせる。
『戦前学生の食生活事情 / 上村行世(三省堂選書172 1992年)』に食堂の1日という一節があり、旧制高校生の寮生活を以下のように説明している。
学生時代はとかく生活が不規則になりがちで、夜更かしすることなども多いので、朝は時間ギリギリまで寝ていて朝食をとらないというようなことはよくあることだが、キャンパス内に寮があった旧制高校などではことにこのようなことが多かった。
……一年生の時はそうでもなかったのですが、二年になると横着になって、私もいつか朝寝坊の仲間入りをしたのです。寮の起床時、朝食時は何時であったか記憶はないが、八時に予鈴が鳴って八時十分が授業始であったことは間違いありません。ところがこの朝寝坊の徒は、予鈴を聞いて起きあがり、直ちに洋服を着、金だらいとタオルを持って井戸端にかけつけ、大急ぎで洗面し、食堂に駆け込んで、冷え切った汁を飯にかけてかき込み、金だらいとタオルを室に置き、教科書又はノートをつかんで教室に急ぐのですが、先生が十分以上遅れて教室に来ない限り大抵遅刻です。-明治三十三(一九〇〇)年ごろ・熊本-(花田大五郎『五高時代の想い出』)
……いくら寮が学校に近いとは言っても、起きるのが遅い。十分間で顔を洗って朝飯を食べて学校へかけつけるまでの忙しいことと言ったら大変なものだった。-大正六(一九一七)年ごろ・金沢)-(神保龍二『北の都』)
「下瀬は語る。寮の生活は、いっさいの制約なし。朝、顔をぷるぷるとやって、食堂へ行く時間がないので、すぐ教室へ。一時間目の休み時間に、寮へかけもどって、丼めしに汁をかけてかっこむ。」-昭和四(一九二九)年ごろ・山口(週刊朝日編『青春風土記 旧制高校物語3』
私は朝強い方だったので講義に遅刻した記憶はない(深酒で必修科目を自主休講にしてしまったことは例外とする)。朝食は下宿で済ませるのが常でトースト1枚にインスタントコーヒーか牛乳といった質素な内容だった。二年になると朝食を抜くことも多くなった。一日二食(昼と夜遅く)が祟って豚のように肥えてしまい親を唖然とさせたのであった(笑)
『戦前学生の食生活事情 / 上村行世(三省堂選書172 1992年)』に食堂の1日という一節があり、旧制高校生の寮生活を以下のように説明している。
学生時代はとかく生活が不規則になりがちで、夜更かしすることなども多いので、朝は時間ギリギリまで寝ていて朝食をとらないというようなことはよくあることだが、キャンパス内に寮があった旧制高校などではことにこのようなことが多かった。
……一年生の時はそうでもなかったのですが、二年になると横着になって、私もいつか朝寝坊の仲間入りをしたのです。寮の起床時、朝食時は何時であったか記憶はないが、八時に予鈴が鳴って八時十分が授業始であったことは間違いありません。ところがこの朝寝坊の徒は、予鈴を聞いて起きあがり、直ちに洋服を着、金だらいとタオルを持って井戸端にかけつけ、大急ぎで洗面し、食堂に駆け込んで、冷え切った汁を飯にかけてかき込み、金だらいとタオルを室に置き、教科書又はノートをつかんで教室に急ぐのですが、先生が十分以上遅れて教室に来ない限り大抵遅刻です。-明治三十三(一九〇〇)年ごろ・熊本-(花田大五郎『五高時代の想い出』)
……いくら寮が学校に近いとは言っても、起きるのが遅い。十分間で顔を洗って朝飯を食べて学校へかけつけるまでの忙しいことと言ったら大変なものだった。-大正六(一九一七)年ごろ・金沢)-(神保龍二『北の都』)
「下瀬は語る。寮の生活は、いっさいの制約なし。朝、顔をぷるぷるとやって、食堂へ行く時間がないので、すぐ教室へ。一時間目の休み時間に、寮へかけもどって、丼めしに汁をかけてかっこむ。」-昭和四(一九二九)年ごろ・山口(週刊朝日編『青春風土記 旧制高校物語3』
私は朝強い方だったので講義に遅刻した記憶はない(深酒で必修科目を自主休講にしてしまったことは例外とする)。朝食は下宿で済ませるのが常でトースト1枚にインスタントコーヒーか牛乳といった質素な内容だった。二年になると朝食を抜くことも多くなった。一日二食(昼と夜遅く)が祟って豚のように肥えてしまい親を唖然とさせたのであった(笑)