寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市内海町・カネト水産・たこまつり・8月9日と10日

2014年08月08日 | 日記
今内海町は熱い(暑い)。台風接近が心配だが、明日と明後日の両日たこまつりが開催される。旬の魚介を使った惣菜・地元産野菜や果物の販売もある。

ゆでダコ教室

中でも目玉はゆでダコ教室。タコを購入してさばき方を教えてもらうというものである。人間はお金を使うとかなり真剣になる。胴(頭)をひっくり返して内臓を抜き体全体を揉みこみ汚れを落として塩茹でにする工程を体験するとまず忘れないはずだ。美味しいものを口にするまでに漁業関係者や飲食店の努力があることを知る、非常によい企画だ。

内海の町おこしには謙虚さと面白さの両方があるため城下町の人間としても応援(≒宣伝)したくなる。同じ港町でも極左が入り込んで結果が出ていないところがあるが、他人(県政)の所為にする時点で既に駄目だ。低レベルな町は無視して今の方向性と県知事との良好な関係を維持してほしい。それが福山市全体のためにもなるのだから。

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広島県福山市寺町・大念寺の石造物

2014年08月08日 | 郷土史
浄土宗・大念寺の所在地は福山市寺町1‐20。旧街道から一本北の通り沿いにある。境内西南隅の大きな石仏(西向き)の鼻は無残にもげている。

石仏

石仏の顔面

所々に見える不自然な黒い染みは福山空襲の際に炎に包まれて出来たものだろう。六地蔵の一つも頭が失われておりやはりこちらも全体が黒っぽく変色している。「福山空襲焼失家屋地図」を見ると寺町周辺は焼け野原になったことが分かる。

六地蔵

被災地図から寺町周辺を拡大

大念寺は(旧深津郡)深津村から三吉村に移転した専故寺と深い関わりがあった寺と伝えられるが、境内の北西隅に深津高地に残る卒塔婆(福山藩初期の御仕置場跡地付近)とよく似た石造物が並べられている。

石造物

以前私は(首塚のあった)専故寺が福山空襲で焼け落ちて再興されなかった(※地図では何故か赤く塗られていないので修正を施した)と書いた。専故寺の檀家は戦後大念寺に移ったとの記述をある文献で読んだ記憶があるが、確認は取っていない。藩政時代に仕置された数多くの罪人(無縁仏)をどう供養したのかは非常に気になるところだ。まともな郷土史研究家を福山で育てるためにも現住職には機会を設けて語っていただきたいものである。

石造物2

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この街の歴史展2014 戦災~この街の復興(NHK福山1Fギャラリー)

2014年08月08日 | 郷土史
アメリカは昔から無駄なことをしない国である。爆撃する価値があると判断した都市は徹底的に潰した。広島県でいえば広島市、呉市、福山市が該当する。焼け野原となった福山は戦後多くの人たちの血のにじむような努力によって急速に復興する。敗戦が尾道の地位低下を早め福山を県第二の都市に押し上げたという見方も可能だ。

今回の展示は復興の過程に力点が置かれておりぜひ親子で見て欲しい内容である。白黒写真の選択のセンスは大したもので解説も手短でよい。福山駅前は約70年の間に目まぐるしく変貌した。人々の多様な要求に応じて商業施設が入船町・緑町・明神町などに分散し人の流れが駅前に集中することは無くなったが、重要なエリアとして再開発は続いている。今後、伏見町をどのように造り直すかが更なる発展のネックとなろう。

再開発地区

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