寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

昔の料理雑誌を開いて思ったこと

2009年11月20日 | 日記
1993年発行のdancyuを本棚から探し当て流し読みをした。予想に反してあまり古さを感じなかった。

この頃は非常に読み応えがある記事が多かったが…。長くやっているうちにマンネリに陥る危険性は雑誌だけでなくテレビにもある。ローカル放送局制作の番組にはそれが特に顕著である。「京阪神の人間と比べて舌も目も肥えていないから批判もできないのだろう」という友人の意見も多少は当たっている。

しかし、県民すべてがそうとは私にはどうしても思えないのである。批判の投書やメールが届いているのに「目の曇った上層部」が握り潰しているのではないかという疑念が湧く。

「面白みに欠ける猿」が座長を務めていられるのはそういう訳かもしれない。耳の痛い意見にこそ実は「体質改善への道」が隠されている。賢者はすぐ「悪手」に気付いて変えるが、愚者は意固地になって「悪手」を打ち泥沼に入る。

プロの将棋は「悪手」を重ねた方が負ける。私はこの対局を最後まで見守ろうと思っている(笑)

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熟し柿を入れたポテトサラダ

2009年11月20日 | 家飯

熟し柿を使った料理を10分ほど考えて「スイーツ兼酒の肴」を作ってみようと思った。

サツマイモの皮をむき乱切りにして茹で粉吹き芋にする(味付けは塩少々)。これを軽く潰して熱い内にワインビネガーを加えて混ぜ合わせ冷蔵庫にしばらく入れておく。

完全に冷めてから食べやすい大きさにカットした熟し柿を投入して完成。今日はサツマイモのポテトサラダにシードルを合わせた。

ほのかな甘みでホクホクのサツマイモ、高い糖度のプルプル柿、そして爽やかな風味のリンゴ酒。甘みの競演をじっくりと堪能した。改良すべき点が大いにあるが、晩秋の料理としてレパートリーに加えることにした。

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食べ頃を過ぎた柿

2009年11月19日 | 食材

子どもの頃は悪ガキ連中と柿をもぎに山まで行ったものである。他人の畑の熟した柿を一つだけパクるのだ。盗みの後ろめたさがあったことは間違いないが、食べ過ぎると腹をこわすことを我々は経験的に知っていたのである(笑)

あれから30年以上経過した今では柿の木を見ることすら困難になっている。私は紀州産の柿をスピーカの上に置いてどれくらいで熟すか試してみた。今日でちょうど8日目。オレンジ色に変わったのを見て「もうよかろう」と思った。

強く握ると汁が飛び出そうだ。中はグミ状になっているに違いない。どう調理すべきかしばらく考えることにした。

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どくとるマンボウ青春記 / 北 杜夫

2009年11月19日 | 書籍

北杜夫(本名:斉藤宗吉)さんの自伝的小説を初めて読んだのは二十歳前後の頃で笑い転げたことをよく覚えている。今この本を読み返すと人生は悲喜劇の繰り返しだという思いを強くする。小説の冒頭には実に意味のある言葉が並ぶ。

 青春とは、明るい、華やかな、生気に満ちたものであろうか。それとも、もっとうらぶれて、陰欝な、抑圧されたものであろうか。
 むろん、さまざまな青春があろう、人それぞれ、時代に応じ、いろんな環境によって。
 ともあれ、いまこうして机に向っている私は、もうじき四十歳になる。四十歳、かつてその響きをいかほど軽蔑したことであろう。四十歳、そんなものは大半は腹のでっぱった動脈硬化症で、この世にとって無益な邪魔物で、よく臆面もなく生きていやがるな、と思ったものである。まさか、自分がそんな年齢になるとは考えてもみなかった。
 しかし、カレンダーと戸籍係によって、人はいやでもいつかは四十になる。あなたが二十七歳であれ、十五歳であれ、あるいは母の胎内にようやく宿ったばかりにしろ、いつかはそうなる。従って、四十歳をあまりこきおろさないがいい。そうでないと、いつか後悔する。
 人間というものはとかく身勝手なもので、私は五十歳になれば五十を弁護し、六十になれば六十を讃美するであろう。

北さんは敗戦の直前に旧制松本高等学校に合格し、東京を離れる。松本を選択した理由は受験倍率の低さもあったらしい。

旧制松本高等学校正門

 昭和二十年八月一日、新入生たちはヒマラヤ杉に囲まれた古風な校舎のある松本高等学校の門をくぐった。そして一場の訓辞のあと、校舎とは縁を切られ、そのまま大町のアルミ工場へと送られた。
 新入生を指導してくれる上級生はいなかったものの、しかし何人かの落第組がいた。このドッペリ生は、旧制高校の伝統をせい一杯に私らに伝えてくれた。大体ほかの学校では落第生は小さくなっているはずだのに、高校では彼らは大きな顔をし、堂々たる指導者なのであった。彼らは寮歌を教え、集会コンパを開くことを教えた。その多くは観念的な形骸で、今の世にもってきたら噴飯物であることも確かだが、それでもやっぱし何ものかが含まれていたと言ってよい。

この作品では主人公が蛮カラな先輩や同級生に囲まれて馬鹿をやりながら成長してゆく様子がユーモアたっぷりに描かれる。どんなに窮屈な時代であっても人は楽しみを見つけようとすることが読み取れて面白い。

 終戦から一ヶ月経ち、九月二十日、学校は再開された。私たちは今度こそ勉強を業とする学生として、ヒマラヤ杉の立ち並ぶ校門をくぐり、伝統ある思誠寮に入寮したはずだ。
 しかし、いくらも授業はなかった。半分は旧練兵場を畠にする作業だったり、休講も多かった。教師もまた飢えているのだった。

戦が終ってからも食糧事情はたやすく改善せず、学生は小粒のアマガエルの肉片をヒーターであぶり醤油をつけて食べたりもしている。

 毎度の雑炊がだんだんと薄くなっていった。それに箸を立ててみて、箸が立つときは喜ばねばならなかった。そのころ最大の御馳走は、固い飯のカレーライスだったが、それも米ではなく、コーリャンの飯であった。はじめ米とまぜて赤白ダンダラだったものが、ついにコーリャンだけの赤い飯になってしまった。
 食卓には大根などの漬物も出た。四人に一皿で、ちらと見てそこに十四切れあるとすると、なんとか体面を損わず、ごく自然に四切れを食べられないものかと、私は痛切に考えた。大根にはいくらかのビタミンがあろう。そして当時の私たちにとって、「栄養失調」という概念は今の世なら癌に当るのであった。

コーリャンは馬の餌である。それを弁当箱に詰めて疎開先の学校に持って行く毒蝮三太夫さんは心無い同級生からからかわれたと告白していたが、「食べられるものは何でも口にした時代」が我が国にもあったのだ。

 高等学校の寮歌では、青春とは、よく涙とか理想とか追憶とか戦いとか苦悩とか創造だとか歌われる。私の場合には、まず空腹があり、そのあとでようやく涙や追憶や創造が出てきたようだ。
 ともあれ、学校が再開されたその秋は、畠のネギを盗んできたり、柿を盗みに行ったり、そんなことばかり思い出される。盗むことを私たちは「パクる」と言った。「包むパッケン」からきた言葉らしい…

これを読めば昭和一桁生まれが「物を粗末にするな」と口すっぱく言う理由がよくわかる。私などは祖父母、両親から当たり前のように教えられた最後の世代であろう。その躾(しつけ)は今でも生きている。

旧制松本高等学校

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記憶の中の友(後編)

2009年11月18日 | 学生時代

Aはこうも言った。「目新しいことを追うのは誰にでもできる。だから本当に自分がいいと思ったことに関して徹底的に調査して独自の考えをまとめればすばらしいものになるよ」

本を読んで蓄えただけの知識をひけらかす人間は所詮「平面体」である。一方、実施検証をした上で結論を出せる人間が「立方体」というのが私の持論だ。広島市に転居して初めて「奥行きのある人間」に出会った気がした。

「多数派に決して迎合することなく己の考えを論理的にまとめて話す」手法は主にAから学んだ。卒業以来一度も会ってないが、顔を合わせる機会があれば「感謝の念」を短い言葉で表したいと思っている。

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記憶の中の友(中編)

2009年11月18日 | 学生時代

Aの父親が育った家は広島西遊廓跡の近くにあった。そこでは祖母がずっと一人暮らしを続けていた。それゆえ父親は老母の元にAを置こうと考え彼も賛同した。この話を聞いてしばらくして共同生活の場(下宿先)を訪ねた時のことである。彼は意外なことを口にした。

「親父と兄弟は勉強ができたが、俺はさっぱりだったよ」自嘲気味に話したものの悲壮感はまるで無かった。他の同期が「第一志望校に落ちた恨み」をネチネチとぶちまけるのとは違い遥かに「大人」だった。「己の学力」を冷静に分析した上で新天地での生活を謳歌しようと前向きに考えていた。

Aは本を読むことの面白さをさらりと説き、私の関心を引いた。そして東京という街を語る際に「クドさ」を感じさせない点は見事だった。「的確で個人的な感情を抑制した説明」は私の胸に強く響いたのである。

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記憶の中の友(前編)

2009年11月17日 | 学生時代

中区東千田町の大学には多くの「都落ち学生」が集まっていた。彼らは阪大や九大を受験して見事に失敗し、嫌々ながら第二志望校に進学したのである。私なども西へ下ったという意味では同類になるのだろうが、決定的な違いは第一志望で入ったことだった。

籍を置いた学部の広島県人の占める割合は2割にも満たなかった。私はマイノリティーに属していたが、その頂点にいたのは東京から来た男(A)だった。Aは東京育ち、山崎努と獅子舞の田村を足して2で割ったようなマスクでとりわけ目立った。歯切れのよい言葉と洗練された所作に田舎者はカルチャーショックを受けたのである。

九州出身者が「格好つけやがって」と対抗意識をむき出しにするのが滑稽だったので「肩に力が入り過ぎているのはむしろお前の方だろう」と私はあえて指摘し火に油を注いだ。Aと口を利くようになった経緯は思い出せないが、おそらく友達の紹介だろう。

Aとは音楽の話をよくした。フュージョンが好きだと言うので「BLOW BY BLOW」のカセットテープを貸した。次の日、彼は「良かったよ」と感想を述べた上でギタリストの名前を尋ね「レプトン(大学北門の対面にあったレンタルCD店)」に向かった。耳が確かで行動力のある人だと思った。

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大根の煮物が胃袋にしみ渡る

2009年11月17日 | 家飯

厚切りにした大根を面取りもせずに(笑)昆布出汁で炊いただけ。薄口醤油と酒を少し加えて味を調える。簡素な料理だが、寒い日にはご馳走だ。ふーふーと息を吹きかけながら食べる。程よいかたさの大根が喉を通り胃に着地するとじわじわしみて来る。

肉の煮込みを脇に添えて葛あんかけにするもよし。いろんな応用ができると思う。最高気温9℃の今日は精進料理で熱燗を飲み体を温めたのである。

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たたきごぼうの素朴な味わい

2009年11月17日 | 食材

ごぼうはまことに面白い食材だ。味を含ませて食べるものと思いがちだが、実は大して味付けしなくても美味しいのである。素の味を生かした料理としては天ぷらとたたきごぼうがあるが、今回は後者について話してみよう。

水洗いして泥を落とし、たわしで擦ったごぼうを4つ割りにする。酢水にさっと晒してから歯応えが残る程度に茹で上げる。本当はここでごぼうを叩くのだろうが、歯の丈夫な方は省いても構わないだろう。

白ごまを乾煎りしてすり鉢であたり、醤油を加えてごぼうと和える。必要最小限の旨みを足したごぼうを噛んでいると甘みが結構強いことに気づく。顎をしっかり使って味わうことを現代人は忘れているのではないかと思った。やわらかいものばかりが持て囃されるのもどこか妙だ(笑)

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寒い日には生姜湯を

2009年11月16日 | 日記

今晩はやけに冷える。裸足でいるのが辛くなり厚手のソックスを履いた。さらにジャンパーを羽織ったがどうも落ち着かない。

そこで台所に向かい、卸し金を取り出して生姜をすり下ろした。湯飲みに生姜の絞り汁と砂糖を少し入れて熱湯を注ぐ。生姜のさわやかな香りを嗅ぎながらゆっくり味わった。

しばらくすると体がポカポカしてきた。生姜は体を温める薬としても使えるのだ。私はようやく読みかけの本を開く気になった。

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手羽先と根菜類のがめ煮風

2009年11月16日 | 家飯

手羽先は食べやすい大きさに切断して霜降り処理を行う。肉と下ゆでした野菜を出汁(爪昆布+煮干+鰹節でとったもの)で炊く。醤油、味醂で味をつけながら落し蓋をして汁気がなくなるまで加熱する。

手羽から出たゼラチンが根菜類を包んでよりおいしくなっている。今回は中高年向きにあっさり味に仕上げたが、若い人は肉・野菜を油で炒めてから煮込めばよいと思う。

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霜降り処理の重要性

2009年11月15日 | 食材

霜降りとは生の魚や肉をお湯(注し水をして85℃くらいに調整)に浸けて表面が白っぽくなったら冷水にとることである。和食の場合は魚を煮付ける前に行うことが多い。魚特有の生臭さを抜くとともに鱗や汚れを落とす。その後のアク取り作業が随分と楽になるはずだ。魚が苦手な人はぜひ試してほしい。やるとやらないのとでは味は大きく変わってくる。

私は鶏肉(ブロイラー)の臭み消しとして霜降り処理をする。余分な脂を落とす目的もある。湯に浸けておく時間は10秒程度だから旨みの流出は許容範囲だ。炒めないで肉そぼろを作る際にもこの工程は有効だ。

以前、北岡三千男さんがある雑誌に「カキのしゃぶしゃぶ」の作り方を公開していたが、カキの下処理を見て「さすがプロだな」と思った。カキの汚れを大根おろしで落とした後にやはり霜降りしていたからだ。この料理を作るのはカキの値段が下がる年明けになるだろう(笑)

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不満足なオムレツの出来栄え

2009年11月15日 | 家飯

男というものは何故卵料理が好きなのだろうか。身近な食材でこの数十年間ほとんど価格が変わっていないのも理由の一つだろう。出し巻き、ゆで卵、目玉焼き、オムレツ、茶碗蒸しなどは全て好物だが、出し巻きと茶碗蒸しは手間なのでほとんど作らない。

オムレツは比較的よく作る。最初からバターを使うやり方、サラダ油で焼き上げてからバターを塗る方法があるが、私は後者でやっている。フライパンを傾けてまとめてみるもののまともなオムレツができるのは稀である。今回はあまりにひどくて布巾で整形するのも止めたくらいだ(笑)

若林和人先生がツボを押さえた解説でキノコのオムレツなんかを作ってくれれば有り難いと勝手に密かな期待を寄せている。

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「“原発”に揺れる町~山口 上関原発計画・住民たちの27年~」

2009年11月14日 | 日記
多くの国民が電力を浪費し、世界が二酸化炭素排出量削減に取り組む中、原子力発電所の果たす役割は少なくないと思う。しかし、私自身は原発について深く考えたことはなかった。原発とは都会から遠く離れた所に建設されるということを漠然と認識しているだけだ。

20代の時、私は関東で暮らしており、新鮮な魚を求めて常陸那珂湊へ定期的に買い出しに行った。その際には必ず東海村の前を通らなければならなかった。正直、気分は良くなかった。放射能漏れ事故がたまに発生していたからである。あの辺りで獲れるヒラメやツブ貝が馬鹿でかいのを見て私達は「ここまで大きくなるのは放射能の影響だろうか」などと下らない冗談を飛ばして恐怖感を打ち消していた。

NHK(ふるさと発)制作の上関原発絡みの番組を見ながら、昔の記憶の糸を辿って苦笑したのだ。番組は反対派と推進派の双方を取材していた。豊かな漁場が損なわれることを心配する祝島の漁師、原発誘致によって国と電力会社からもたらされる財源で町おこしをするべきと考える人、どちらの言い分も正当性がある。上関町民は2つに分かれて27年間も争ってきた。「町の皆が幸せになることを忘れてはならない」という推進派の言葉が頭からしばらく離れなかった。

というのは、交付金で温浴施設やふるさと市場を建設して果たして人口増加(町の活性化)につながるのだろうかと疑問が生じたからである。

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茶のこころ世界へ / 千玄室(NHK人間講座)

2009年11月14日 | 書籍

時々手に取って読みたくなる本が幾つか書斎にある。そのうちの一つをご紹介するとしよう。NHK人間講座「茶のこころ 世界へ」は2004年8月に発行されたもので当時著者は裏千家の十五代家元であった。利休の追い求めた世界を分かりやすく説明すると共に現代人へ苦言を呈している。

 茶道では、亭主と客が一体になるということをやかましく言います。亭主は客の心になり客は主の心になり、ということが主客互換、賓と主が一緒になるということです。お互いがお互いの心になりあう、ということをいちばん大きな道として教えるわけですので、そいういう意味からも、お茶によって悟りという境地に達するのは禅の悟りとほぼ同じであるということがいえるのです。

 利休が主張するわび茶についての思想的、哲学的な教えが、『南方録』という本に残されております。その冒頭に「家は漏らぬほど、食は飢えぬほどにて事足れり。薪水の労をとり、ただ湯をわかし茶をたてて、仏に供え、人にも与え、我も飲む。花を供えて香を焚き、これみな仏祖のあとを行なうものなり」と書かれています。

 家は漏らぬほど、食は飢えぬほどというのは、いうならば分相応です。人間にとっていちばん何が大事かと問われれば、人によって生きるための手段はいろいろあるでしょう。でも、その人、その人の生活というものは、他人が口を出せない領分でもあります。ではありますが、分相応という気持については、すべての人間が持っておく必要のある非常に大事なことであるといえます。それを利休は茶の湯の根本の思想として教えたわけです。それから薪水の労をとる。湯を単に沸かすにも、自分が薪を割って、そして炭を作って、その炭で湯を沸かして、ほどよい湯加減ができたところで、その点てた一服のお茶は、自分がさっさと飲むのではなくて、自分が自服するのではなくて、まず仏様にお供えする。今、自分がここにあるということは、ご先祖との長い長いつながり、さらに親とのつながり、兄弟、同胞たちとのつながりがあって、ここに生きさせていただいているということを感謝しなければならない。それがために、まず仏に点てたお茶を供える。そしてそこにいる人にも与えて、最後には自分がいただくという教えです。

 利休居士はここでいま一つ大切なことを教えます。それは、知足安分の教えです。…汗水たらして収穫したものをキリスト教では神にささげ、茶の湯では仏にささげるのです。そしてともどもにその収穫を喜び合ってお互いに分け合う、相手にまず差し上げる。一日の労をねぎらい、いちばん最後に自分がそれをいただく。…

 物質文化を謳歌する現代社会では、物のありがたみが失われつつあります。そして、足るを知らずに物質的欲望に走り、物質的欲望に振りまわされがちです。血眼になって、おのれの利益追求を際限なく展開します。そこでは手にした物質の代償として、精神の安定が失われていきます。…

 四百年前の身分の上下や立場をやかましくいった時代に、武士といえども帯刀をしたまま茶室に入ることは許されません。茶室の入り口には刀掛があり、刀をそこにおいて扇子一本で茶室に入るのです。小さな躙口ですから、入るときにはどうしても平伏しなければなりません。そのとき、人は自分の足下を見つめます。これは人間にとって大事なことで、自分を省みるという心が生じます。そこに心の転機があるのです。

 茶室に入った人は、いままで知らない者どうしでもそこに座った以上は深い人間関係を持つようになります。そのつながりというものは一碗のお茶ではありますが、人間が人間に対し、相通じあってゆく道が自覚できるわけです。すべてが傲慢になってしまった現代人にとって切磋琢磨の行為は最も大切なことではないでしょうか。

 最近はグルメになって懐石といっても贅沢すぎますね。懐石というのは旬のものを本当に、さっと差し上げるということです。

 人間には出会いというものが非常に大事です。世界中のどこの国の方々とも、言葉ができなくても、出会い、触れあうことが大切です。同時に、お互いの心が癒されるということのために、この一碗の茶を点てさせていただきますという気持ちで点てています。

 神仏に供えるのと同じように、人間はみな貴人、みんな尊い人だと思うのです。だから、みんな尊いという気持でお互いが接したならば、忌まわしい事件は起こりません。人の心が驕り、自分たちの主張だけが正しいと思ってやっていくと、人間を不幸に落としてしまいます。

 人間どうしは本当につまらぬことでいさかいをしたり、他愛もないことで争います。そんなことより大きな気持を持って、お互いのやっていることを見守ってあげよう、理解してあげよう、近づいていってあげようという気持がなければならないと思います。

頭から湯気を出している西方の山猿さん、理解できたかい。歪んだイデオロギーにとらわれていては進化しないよ。答えは複数あるから面白いんだと私は思う。

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