青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

殖産興業、扇の要の駅で。

2025年03月24日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(立山社檀、雪積む駅に@岩峅寺駅)

黒部川の作った平野から、谷を伝って宇奈月へ。常願寺川の作った平野から、谷を伝って立山へ。富山の二つの大河は、地鉄電車とは切っても切れない関係性にあります。黒部川も常願寺川も、北アルプスの山々から流れ出た土砂で大きな扇状地と平野を形成していますが、常願寺川の作った扇状地の要に当たるのがここ岩峅寺の駅。滑川から扇状地の縁を通ってやって来た立山鐵道と、富山から神通川との平野の境目をなぞるようにやって来た富山県営鉄道の路線がここで交わります。今の不二越・上滝線の始祖である富山県営鉄道は、常願寺川の電源開発による殖産興業と治山治水の重責を担って建設された「富山市ヨリ上滝ヲ経テ藤橋(立山)ニ至ル」鉄道のこと。現在でも市電・地下鉄などに市営鉄道(交通局)は残っていますけど、国鉄やJRを継承して第三セクター方式で設立された県管理の鉄道ではなく、県が直接建設して運営を行っていた鉄道会社ってのは歴史上では千葉・富山・宮崎・沖縄くらいで、あまりないんだそうです。宮崎県営鉄道は現在でも日南線の一部として残っているようですが、沖縄県営鉄道は沖縄戦で壊滅してしまい、戦後はアメリカの統治によってクルマ優先の社会が形成され、鉄道は残りませんでしたのでね。

そんな二つの鉄道が寄り添うように接続する駅が、岩峅寺。開業当初は、立山鐵道が「立山(たちやま)」、富山県営鉄道が「岩峅寺(いわくらじ)」を名乗り、立山鐵道の駅は少し手前の場所にありましたが、立山鐵道が富山電鐵に買収合併された際に両駅を統合。現在のようなスタイルとなっています。空中写真で見ると、立山線の線路が駅のところで少し西側にカーブし、上滝線のホームに寄り添うような形になってるんですけど、おそらく統合時に線路を少し移設したものと思われます。立山線ホームと上滝線ホームを繋ぐ小さな回廊。積もる雪から通路を守る屋根には、何本もの梁が渡された丈夫な造り。駅名票の「ホクセイアルミサッシ」の広告がいかにも地鉄。日本軽金属系列の高岡のアルミメーカーですが、地鉄の駅名票と言えば、「ホクセイアルミサッシ」か「皇國晴(みくにばれ)」ですよね。そもそも、富山県営鉄道や黒部鉄道が目指した常願寺川や黒部川の電源開発で生み出された豊富な電力が、ボーキサイト→アルミナ→アルミニウムという精錬の過程で大量の電力を必要とするアルミ精錬と、富山県の地場産業としてのアルミ製品の製造(サッシなど)に結びついている訳で、富山県営鉄道からアルミサッシまでの道のりは繋がっています。

上滝線の折り返しホーム。現在は、上滝線は全列車が岩峅寺折り返しになっていますが、かつては富山から立山までのメインルートは上滝線経由でした。建設の経緯を考えるとそれは自然な事なんですが、だんだんとメインは寺田から五百石経由に移行されて行きます。それでも、90年代の後半までは一部南富山回りの立山行きが運転されていたんですけどね。今は立山線に向かう1番線ホームはたまの貸し切り団臨くらいでしか使われません。明確な記録を知らないので何とも言えませんが、上滝線回りの立山行きが運転されなくなっちゃったのっていつくらいからなんでしょう。ご存じの方がおられたらご教示いただきたいところ。

ダルマストーブの炎が赤く揺らめく待合室。陽が落ちて、足元から寒さが這い上がってくるような岩峅寺の駅。広い待合室にこのストーブ一つではとても暖かいとは言えないけれども、風が遮られて炎の色があるだけでホッと一息つける。煌々と灯る駅務員室の灯り。かつては大勢の乗務員や駅員が出入りしていたものと思われるのだけど、今は初老の駅員が一人で窓口を守っている。少し前までは、相当にご高齢のおじいちゃん駅員が岩峅寺の駅の窓口におられて、何度もそのおじいちゃんからキップを買ったことがあったのだけど、さすがに交替されたのだろうか。

駅の雰囲気に浸りながら、宵の口の岩峅寺の駅に佇む。この駅のランドマークのひとつでもある、上市の「日本海みそ」の看板を照らして山行きの電車がやって来た。
この電車に乗って、夜の立山へ向かって行こうと思う。
地鉄の深淵を覗きに行こうとするとき、また深淵もこちらを見ている。

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翁に尋ねしレールの先に。

2025年03月22日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雪の立山、轍を踏んで@千垣駅)

横江から千垣へ、一駅歩みを進めただけで、雪は深くそして激しさを増してきた。雪の行軍、轍を踏んで・・・ではないが、さきほど薄日の差した鋳物師沢で眺めたレッドアローがイカついライトを光らせながら山を下りて来た。雪が凄いと見えて、定刻から5分程度の遅れ。ここまで雪が降ってしまうと、列車の音などは全く聞こえない。放送が入る訳でもないので、よく目を凝らしていないと気付かないうちに電車がやって来る。それにしても、雪の中で雪をずっと見ているのは案外目に来るもので、なんというかこう・・・目がシパシパしてくるね。実際、スキー場などでずっと雪の照り返しを受けていると、雪焼けもそうなんだけど目が紫外線にやられてしまうことがあるらしい。そういうのを「雪目(電気性眼炎)」というのだそうだが。そして、千垣の鉄橋では、大雪にまみれながら三脚を立て、撮影に勤しんでいる同業者がいた。自分も千垣の鉄橋は当然検討したアングルなんだけど、この雪ではひょっとしたら視界が効かずに撮れないのでは・・・と思ってパスしてしまった。素敵な一枚が撮れていたのだとしたら、ご同慶の至りだ。

有峰口。さらに雪は深く。駅へ向かう路地に積もる雪が、その高さを増してゆく。岩峅寺から先、立山までずっと無人駅になっているのだけれど、有峰口は岩峅寺~立山間の唯一の交換駅となっているので、除雪のための保線係員が待機していることがあります。ポイントのトングレールにはヒーターが入ってはいるのでしょうけど、降雪でポイント不転換とかなったら大変でしょうからね。途中の千垣の鉄橋は10km/h程度の超徐行なので、ゆっくりと有峰口の駅に進入する60形。乗客は、カメラを持った数人のマニアのみで、沿線住民らしき乗客の姿はなかった。立山方面で沿線住民が居住しているのってギリギリで本宮辺りまでですけど、有峰口もね、基本的に鉄道で来る人って有峰湖や薬師岳に向かう登山客がほとんど。全く沿線住民の利用がないとまでは言えませんが、基本的に現在はアルペンルートへの観光路線という機能に特化していて、地元住民の流動はごく僅かという状態が続いています。

そんな中で、先日恒例の4月15日のダイヤ改正が発表されました。色々と厳しい地鉄の現状を訴えるような極めて緊縮的な減便ダイヤです。公式から発表された文章を読み、そして実際のダイヤを眺めていて、何とも暗澹たる思いに苛まれるような厳しい内容にクラクラしてしまうのでありますが、現実を見るためにとりあえず内容をまとめておきます。

【本 線】電鉄富山発
(現行)平日70本 土休日68本
(改正後)平日64本(▲6本)土休日45本(▲23本)
【上滝線】電鉄富山発
(現行)平日27本 土休日24本
(改正後)平日25本(▲2本)土休日20本(▲4本)

まず本線と上滝線。両線とも平日は僅かな減便で維持されたものの、大きく縮減しているのが本線筋の土休日のダイヤで、特に電鉄富山口では改正前から▲23本の大減便となります。これは20本あった上市行きの区間運転を7本(▲13本)に削減した影響が大きく、土休日では一番のボリュームゾーンである電鉄富山~寺田間でも30分間隔の時間帯が発生します。終電もこれまでの23:30発上市行きが23:00発と30分繰り上がることにより、東京からの最終の新幹線である「かがやき519号(富山23:12着)」からの接続はなくなりました。また、日中の宇奈月温泉行きの減便により、本線では上市~新魚津間が大きく間引かれ、全日8~15時台で90~120分間隔になります。黒部側では新魚津~宇奈月温泉間で3本の区間運転を設定しているので、あいの風と並行する上市~滑川~新魚津間の利用者減に伴う苦境がダイヤ上からも浮き彫りとなりました。2時間に1本となると、流石に公共交通として利用できる危険水域を超えてきていると思われるのであるが、「対富山」ということを見据えた時に、黒部・魚津・滑川方面からは時間も運賃も本数も圧勝のあい鉄には全く太刀打ちできず、かつ黒部・宇奈月方面は北陸新幹線との競争にも負けてしまったということなのでしょう。

【富山・電鉄富山~魚津・新魚津】
地鉄・・・約1時間780円 あい鉄・・・約25分600円
【富山・電鉄富山~黒部宇奈月温泉・新黒部】
地鉄・・・約1時間20分1,200円 北陸新幹線・・・12分1,470円(自由席特急料金込み)

地鉄側の上市でスイッチバックする線形の悪さはあれど、どう贔屓目に見たところで勝負にならない。特に対黒部の新幹線との落差は、料金こそ地鉄に僅かに軍配が上がってはいるものの、1時間20分と12分では270円の差など爆散してしまうだろう。同時に富山をスタートしたとて、黒部宇奈月温泉に新幹線が着く頃に、地鉄の電車は常願寺川を渡ってまだ越中三郷あたりをウロウロしているのだから。

【立山線】寺田発
(現行)平日28本 土休日26本
(改正後)平日27本(▲1本) 土休日22本(▲4本)
(備考)冬ダイヤでの岩峅寺以遠の部分運休実施 岩峅寺発で平日9:01~14:32、土休日9:01~14:42まで運転なし

そして立山線。寺田発では平日はそこまで本数は変わりませんが、土休日は8時台と16時台が整理されての減便です。そして今回のダイヤ改正で一番衝撃的だったのは、冬ダイヤにおける岩峅寺~立山間の日中部分運休でしょうか(上部時刻表ピンク地が冬ダイヤ運休)。確かに、アルペンルートが閉ざされるこの時期の立山線、もとより岩峅寺から先なぞは細々としたスキー需要(立山山麓スキー場)以外はマニアオンリーの空気輸送なんですけども、ついに大ナタが振るわれることになります。千垣駅から芦峅寺の集落へ向かう立山町のコミュバスも、この冬から定期運行を止め、「要請があった時のみ運行する」というデマンドタイプへの実証実験がおこなわれていて、ようはこの区間は春から秋のアルペンルートの一部として機能すればよく、地元民への公共交通としてのオーダーは相当薄れているのでしょう。勿論冬季の荒天時の除雪対応や日中の保守管理の間合いの確保、単純に行路短縮による乗務員の負担減、冬期の豪雪地帯を走行する消費電力の抑制など、地鉄側にとってもメリットの大きい話であるのだが・・・それと、地味に朝イチの快速急行KB301が消滅してるのね。冬ダイヤでは岩峅寺行きの普通電車になってしまったのは悲しい。

このダイヤ改正。「富山県の交通体系の一元化」「(官営鉄道とは)並行すれども競争せず」「立山貫光」という地鉄の理念が大きく崩れかけているのを目の当たりにして、天国の佐伯宗義翁ならばこの窮地をどう切り抜けようと思うのだろうか。民営鉄道の衰退は時代の流れと諦めるか、それこそさらなる大同団結を目指して、一県一鉄道体制へ向けて舵を切るか。ぜひとも聞いてみたいものである。

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危機はいつでも、音もなく忍び寄る。

2025年03月20日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(厳冬・地鉄の深奥へ@横江駅)

岩峅寺から先、アルペンルートが閉ざされた時期の冬の立山線は、僅かながらの沿線住民の利用と、これも僅かながらの立山山麓スキー場の利用客を運ぶだけの静かな車内となります。静かに雪の降る午後の横江の駅。鋳物師沢では一瞬の晴れ間があったけれど、岩峅寺で曇り始めて、横江では小雪。だんだんと山深くなっていく立山線、一駅ごとに気象条件が変わって行くのは黒部線と同じ。何年か前に補修工事をしていたかと思うのだが、その効果はあまり続かずまた草臥れた雰囲気の色濃くなってきた横江の駅。床には枯葉が吹き込み、ベンチに土埃がそのままになっていて、待合室の中とかも荒れ気味。うーん、管理状態が悪くなっているのは気がかりですね。たまたまなら仕方ないのだけど。山行きの電車は60形のカターレ富山号。草臥れ状態の駅に似つかわしくないと言っては失礼か、鮮やかな青い差し色が雪に映えた。

雪は降ったりやんだり、目まぐるしい横江の駅の午後。積もった雪が、差してきた薄日に輝いて美しい。横江の集落は、北アルプスの前山に当たる尖山(標高559m)の麓にあって、駅前には駅の利用者向けと登山客向けの共同の駐車場が整備されています。小さく静かな集落で、あまり人が歩いているところを見たことはありません。横江の駅から立山方面へ500mほど行った場所に上横江という駅があり、開業当時はそちらが横江駅を名乗っていましたが、昭和になって現在の場所に駅が開設されると、こちらが横江駅を名乗るようになります。上横江はススキの草むらの中にポツンと棒線のホームが残るだけの駅となり、末期の頃は富山行きが朝に2本、立山行きが夕に2本止まるだけで、ほとんどの列車が通過していました。

雪の立山から、音もなく降りて来る60形。ひたすらに人待ち顔の雪をかぶったホームの待合室には寒風をしのぐ引き戸もないのだが、上滝線から立山線の岩峅寺から先にはこのスタイルの待合室が多い。かつてこの区間を建設した富山県営鉄道スタイルということなのだろう。電制を効かせて山を下りて来た60形、床下だけでなく車体の側面にも雪がこびり付いていて、立山線奥部の積雪の高さを物語るようだ。横から眺めてみても、電鉄富山行きの乗客は片手で余るほどの姿しか見えなかったのだが、冬の立山線はいつもこうだから・・・なんて思いながら撮影してたんですよね。

危機はいつでも、音もなく忍び寄る。
この「いつもこうだから・・・」に、どうやら大ナタが振るわれてしまうことなど、この時は知る由もなかったのでありました。

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富山の沃野、雪に眠る。

2025年03月18日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(束の間の青空@釜ヶ淵~沢中山間)

大雪の黒部平野から大きく場面転換して、常願寺川が作り出す富山平野へ。この日の午後は立山線を狙いに行きました。お馴染みの鋳物師沢の陸橋。このポイント、陸橋の下にクルマを置けるスペースがあるのだが、そこには農家さんの農機具が置かれていた。冬の間、陸橋の下は農機具を雪から守るための車庫代わりになっているらしい。駐車スペースまで入る細道が除雪されてなかったらどうしようかなと思ったのだが、何とか道は通じていて一安心。もう何度となく立った陸橋のお立ち台は、遠く富山湾を見晴るかす眺望が売り。春の田植えと早苗の頃、夏の青々とした田園風景、初秋の黄金の稔りと季節ごとの顔がありますけども、この時期は一面の雪野原で、またひときわ美しいですねえ・・・。この雪が表土を守り、土壌を潤し、低温下で雑菌を消毒して清浄化し、秋の豊かな実りに繋がって行く訳だ。雪の中の二条のレール、遠くから微かに踏切の音。赤い矢が一矢、山へ向かって上って行きました。

そうそう、最近のコメの高騰ね。近所のスーパーでの売価が5kgで税込み4,000円を超えていて、巷では投機的な動きの中でブローカーが買い占めているのだとか、外国人が儲かるからと農家から直接コメを買い付けているのだとか、本当なのかどうなのか真偽不明の流言飛語が飛び交っております。そういった話も全くの嘘ではないんでしょうが、そもそもが昨年来コメが足りていなかったのではないか・・・?というのが通説になりつつあります。去年の秋の「新米が出てくれば価格は徐々に安定する」という農水大臣の談話も今となっては虚しく、今回の令和の米騒動、何のことはない「政策の失敗とそもそもの需要の見誤り」ということなんでしょうね。それもこれも半世紀に近づこうかという期間続けられた政府の減反政策は、作らなくても儲かるといういびつな状況を生み出し、補助金漬けで自立するチカラのなくなってしまったコメ農家と、就労世代がどんどん高齢化し、新規参入の起こらない構造を生み出してしまいました。コメ農家の衰退ってのが、結局現代日本の抱える「地方の衰退と過疎化」の元凶のひとつ。今になって「食糧安全保障!」とか言い始めた経済右派の方々には、ぜひともここに強力なテコ入れと人員の投入を図っていただきたいものである。

そう言えば、大正時代に米騒動が起こったのはこの富山県の魚津の街でしたね。魚津に行くと、「米騒動発祥の地」なんて看板が掲げられているらしいのだが、そんなもんの発祥の地はなくてもいいんであって(笑)。政府もコメ高騰対策に対して遅きに失した感のある備蓄米の放出などを始めましたが、あんまり国民を飢えさせるとそれこそ農林水産省の打ちこわしが起こっちゃうかもしれませんよ。

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「雪に強い」が強みのはずで。

2025年03月16日 09時00分00秒 | 富山地方鉄道

(新幹線の隣りの駅@舌山駅)

新黒部の駅からおよそ東に400m、舌山の駅。どこか北海道を思わせる風貌の、アイスグリーンに塗られた古風な駅舎。舌山駅には、駅の隣りに農協と農業倉庫があって、その倉庫への荷捌きや荷下ろしのために大きな広場があるんですが、その広場もすっかりが雪に埋もれている。かつては黒部平野で収穫されたコメや農産物をここに集めて、貨車で運び出していたのでしょう。地鉄の貨物取り扱いが終了したのは1983年(昭和56年)のこと。国鉄によるヤード系集結輸送の廃止とほぼ同時だったんですね。この翌年に、国鉄は1両1両の貨車を方々から操車場に集めて貨物列車に仕立てるようなまだるっこしい貨物輸送の方式を全廃し、現在のコンテナ方式による拠点間一括輸送に舵を切りました。日本の鉄道貨物輸送にとって「1983~84年の国鉄のヤード型輸送廃止」って結構重要な転換点で、これをきっかけにして貨物輸送を止めた私鉄もすごく多かった。別府鉄道なんか、営業自体を止めてしまいましたからね。

閑話休題。舌山の駅は、新黒部駅から400mしか離れておりませんので、乗客の流動面での役割はほぼ新黒部の駅に譲った形になりました。ただ、新黒部の駅は1面1線の停留場の形になっているので、列車交換の設備と富山・宇奈月双方向への折り返しの出発信号機を持つ舌山の駅は運転上の機能としては重要。以前は夕方の舌山行きなんてのもありましたね。実質新黒部行の電車だったわけですが、新黒部では電車を逆方向に出発させることが出来ませんからね。

道路事情がおぼつかない昭和30~40年代くらいまで、大雪の日に頼りになるのは、クルマよりも断然鉄道だったんですよね。それゆえ雪の多い北陸地方には国鉄線から枝葉のように分かれて、国鉄の通らない街へ村へ、養分を隅々に行き渡らせるように無数の中小私鉄が伸びていました。福井鉄道の南越線や鯖浦線、北陸鉄道の能美線や小松線、片山津線や粟津線に山中・山代線。そして石動からの加越能鉄道庄川線とか・・・みんななくなっちゃいましたけどね。長いこと雪に閉ざされる冬の暮らしを何とかしようと、日本海側の都市は克雪対策にはどこも相当な予算を使ってきた歴史がありますし、幹線道路や高速道路の除雪体制も日進月歩の勢いで改善されて行きましたし、むしろ最近は「大雪が降る」っていわれると鉄道会社の方がさっさと白旗を上げる傾向にあります。勿論、昔に比べると「気象災害時に取りうるリスク」に対する考え方が変わったという社会全体のフェーズの変化もあると思うのですが、なんというか、「別に無理して動かさなくてもいいでしょ(客も少ないし人もいないしおカネもかかるし)」みたいな、或る意味諦観というか、宜しくない意味での開き直りみたいなのってありませんか・・・?

乗客の流動は新黒部に・・・と言いながら、列車を待っていたら、宇奈月温泉行きからしっかりと利用者が降りてきた。
この程度の雪は珍しくもないと思うのだけど、視界も効かない大雪ですから、運転するよりしてもらった方が楽なことは間違いないようです。

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