goo blog サービス終了のお知らせ 

青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

◆移転のお知らせ ~gooブログサービス終了に当たって~◆

2025年04月21日 06時00分00秒 | 日常

(青天の霹靂@gooブログのサ終)

移転のお知らせ(新URLはこちらです)

2004年の12月に開設し、現在に至るまで約21年間に亘り続けて来たこのブログですが、なんとブログサービスを提供していた「goo」が、2025年11月18日をもってブログサービスを終了することが発表されました。まったくもって21年間も続けることになるなんて思いませんでしたし、振り返って月日の長さを思うと、20代から50代の近くになるまで、ほぼ自分の半生を綴ったことになる。一日にどんくらいの人が見ているか分からないような仲間うちだけの話から始めてここまで、一番最初のあたりの文章とか見てると恥ずかしくてしょうがないんだけど、まあそれも自分の歩いてきた足跡である。

21年間で書いた記事の数は約3,360件、使った画像の枚数が約18,000枚。まあよくここまで書いたものだと自分でも思うし、21年間も書き溜めて来たものをそのままウェブの世界の藻屑として放り捨てるのも忍びないので、ひとまず「はてなブログ」にデータだけを移行して、仮住まいを構えた状況にあります。ただ、問題なのは文章(テキスト)の移行は出来るのですけど、記事における画像の設定までは引き継がないことなんですよね。「はてな」の新ブログで表示されている画像は、元のgooのサーバに置いてある画像をURLで引っ張って表示しているので、おそらく今年の11月以降にgoo側でデータが消去されれば自動的にリンクが切れ、記事上の画像は何も映らなくなります。ここがねえ・・・ここがどうやってもクリアできない問題点で、今後更新するモチベーションが続くかどうかの一番の分水嶺になっちゃうよね。

一応は(?)鉄道を中心に写真を掲載するスタイルでやって来たブログが、テキストはともかく画像を引き継がない・・・という意味をどう考えるか。まがりなりにも全国各地の鉄道風景をアーカイブとして残してきたものがなくなる(意味をなさなくなる)わけですし、画像を伴わない不完全な記事を残しておくことの意味ってあるのか?とも思うんですよね。自分のHDDには当然元の画像データが残っていますから、18,000枚をちまちまと新しいサイトに再度アップロードして、3,300件余の記事を再公開することは技術的には可能です。ただ、そんな手間のかかる作業をおこなうことは現実的じゃないですよね。1日1記事を編集しても、9年くらいかかる。そんなことやっとれんわ、というのが正直なところ。これで「はてな」がブログを辞めません!と宣言でもしてくれればいいけど、また同じことが起こるとも限らないですしね。少なからず読んでくれていた読者の皆様(まあこんな場末のブログでも1日500人くらいいるみたいです)の反応を励みに続けては行きたいですけども、全てが焼け野原になってからもう一回新しい一歩が踏み出せるのか。モチベーションが上がるか下がるかは11月以降。そこで、バタッと続けていく気持ちが萎えてしまう可能性はあります。

SNSやnoteみたいな新しい表現の場所が増え、市民権を得たことで、正直最近はブログを書く人もだいぶ減りましたし、自分が巡回していたブログでも、先行していわゆる「サ終」を決めたYahoo!やso-netなどでは、精力的に更新を行っていた人も筆を折っているのをいくつも見ました。巷では、「ブログなんてツール自体がもうオワコン」みたいな話もありまして、自分もそのうちの一人になってしまうのかと思うと、忸怩たる思いがあります。決してそんなことはないぞ、と思いたいのですが。

画像問題、何とかならないのか。
お知恵をお持ちの方は、ご教示願いたく。

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淡春をパステルに溶かして。

2025年04月15日 17時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(淡い春を渡る@原野谷川橋梁)

満開の桜並木続く原野谷川の堤防。木々芽吹く春の河原を、パステルカラーの「ゆるキャン△」ラッピングのTH2100形が渡って行く。もう天浜線ではすっかりおなじみになった「ゆるキャン△」ラッピング、昨今YouTubeなんかを少し覗けば、「女子のぼっちキャンプ」や「車中泊」みたいなジャンルの動画ってかなりの数があるんですけど、そういう「女子キャンプ」ブームを描いたこのアニメの原作者の方が浜松出身だそうで、その縁もあって放映されたドラマが浜松市や天浜線沿線を舞台に撮影されたのだとか。テレ東の深ドラ枠だったんだけど、福原遥と大原優乃だったんだなあ。どちらも当代きっての「癒し系俳優」という意味ではキャスティングが贅沢であった。大原優乃の独特のアニメ声、原作が二次元だから余計にフィットするんですよね。そんなゆるふわとしたパステルっぽい世界観を、ソフトレンズで表現してみました。それにしても地元企業にアニメにボカロ、集客のためであればノンジャンルにコラボして行くスタイルは逞しい。特にドラマやアニメは「聖地巡礼」的なツーリズムと親和性高いですからね。

原野谷川×満開の桜×ゆるキャン△ラッピング。遠州の淡い春を渡る。

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お客さま、それぞれ。

2025年04月13日 10時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(満開の桜迎えて@豊岡駅)

新所原方面行きのホームに満開の桜咲く豊岡駅。旧豊岡村の中心地にあります。国鉄時代は野部と称しておりましたが、おそらく兵庫県に先に豊岡駅があったからNGだったんでしょうね。相対式ホーム&2面2線の交換設備は掛川~天竜二俣間の王道パターンの配線です。ちなみに、先ほど訪れた原谷駅も三セク転換後に交換が復活したパターンですが、国鉄時代の二俣線は交換駅が少なく、遠江桜木・遠江森・遠江二俣・宮口・金指・西気賀・三ヶ日の7駅しかありませんでした。これでは列車の本数を増やすなんてとてもとても・・・ということで三セク転換後に原谷・豊岡・知波田の3駅に交換設備が復活。掛川口・新所原口ともに増発が可能となりました。

街へ出て行く親子連れと女子高生が桜の木の下で列車を待っていると、やって来たのは「天浜線さくらトレイン」のヘッドマークを付けたTH2100形。ラッピングのないスッピンの天浜線現行色です。このシンプルな浜名湖ブルーと三ケ日のミカン山のオレンジ&グリーン、以前はいつでも眺められたものですが、ラッピング天国の天浜線においては今や貴重なものになっています。そうそう、天浜線もこのTH2100形に置き換えの計画が進んでいて、2025年以降順次新型気動車への交換が決まっているのだそうで。そんな古くも見えないんですけどね。沿線の財政が比較的豊かな市町村に恵まれているが故でしょうか。

発車間際にどっと駆け込んで来たのが外国人の労働者の皆さん。近隣の工場で働いているのだと思われるけど、おそらく国際免許などを持たない彼らには、たまのお出掛けには天浜線が日常の貴重な足なのでしょう。日本国内の技能労働力不足を埋める彼らが意外にも地方の鉄道のユーザーになっていること、最近出かけた先で案外リアルに感じるものでもあります。特に沿線が工業地帯を走る路線に多いんですよねえ・・・北関東とか特に顕著で、東武小泉線とか両毛線とかね。

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春の里山、桜サミット散歩道。

2025年04月11日 22時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(桜のサミットを抜けて@敷地~豊岡間)

掛川から森町を経て天竜へ向かうレールは、磐田原台地の北の裾を縫うように超えながら進みます。敷地から豊岡にかけては、かつての森町と豊岡村の境を成す小さなサミットがありますが、天浜線はそんなサミットを100m程度の短いトンネル(敷地トンネル)で越えて行きます。トンネルの取り付きの築堤にいい雰囲気の桜が咲いていて、地元の方が代わる代わるお花見がてらの写真を撮りに来ていました。花のリレー・プロジェクトラッピングの落ち着いたお茶畑のような塗装が、春の里山を走り抜けていきます。

遠州森から天竜二俣にかけては新東名高速道路と併走して走る天浜線。風景だけを見ればのどかな里山の春景色ですが、この竹林の向こう側には新磐田スマートインターチェンジと、その周辺に作られた新しい工業団地があったりして。森町でもこの辺りは古くから次郎柿という柿の名産地で、駅近くの農協では柿を使ったワインなども売られていた。お茶だけかと思いきや、柿のワインとはおしゃれ。どんな味がするのか気になったのだが。そして走って行くうなぴっぴごー!号。「音街ウナ」というボーカロイドとのコラボラッピング・・・なのだが、すみません、おじさんにはよく分かりません(笑)。浜名湖だからウナギ繋がり?というのはなんとなくわかるのだけれども。

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我ら三セクの優等生。

2025年04月09日 22時00分00秒 | 天竜浜名湖鉄道

(青空の春の朝に@原谷駅)

桜木の駅で、駅守のおばちゃんに別れを告げ、原谷の駅へ。ここも桜木の駅と同様、開業当時のままの素敵な木造駅舎が残されている。天浜線は、掛川から浜名湖の北側を大きく回って新所原へ向かいますが、前半戦の掛川~天竜二俣間は、磐田原台地の間を刻むように流れる何本もの小河川を超え、細かいアップダウンを繰り返しながら北西方向へ進んで行きます。原谷、と書いて「はらのや」と読むのだが、駅の東側を流れる川は「原野谷川」で、「野」を抜いた理由は不明。天浜線は駅の北側で原野谷川を渡りますが、その川沿いには桜並木があって、この時期は多くの花見客で賑わうのだそうで。

木製ラッチを通して、朝の光がホームに差し込んでくる原谷駅。国鉄二俣線時代は交換設備が取っ払われていたようで、三セク転換直後に増発のために設備を復活させたのだそうな。国鉄時代の時刻表を紐解くと、二俣線の輸送実態は今と比べると随分お粗末なもので、昭和50年代前半では全線で1日10~11往復程度。そしてその半分は遠江二俣(現在の天竜二俣)や金指で折り返す区間便で、日中は2時間おきに1本あるかないか。昔の写真を探せば、何両か繋がれたバス窓のキハ10系が行き交うだけの、ちょっとこれで利用するのはなあ・・・というあまりヤル気の感じられない、典型的な国鉄赤字ローカル線でした。

朝の掛川口は、比較的多くの列車が運転されていて、遠州森行きの区間便などの設定もある。現行ダイヤでは朝ラッシュの7時台が20分間隔なので、三セクにしてはかなりの高頻度運転ではないだろうか。掛川口の1日の発着は現在25往復前後、国鉄時代に比べると2.5倍の本数を運行しており、沿線の通勤通学需要に応えています。1985年の三セク転換は国鉄分割民営化を前にした第一期生で、早期に地元への運営に切り替えて成功した例のひとつと見做すことも出来ますが、最近はその高頻度運転を支える乗務員の確保に苦労していて、先日までは列車を間引いた特別ダイヤを組むなど影響が出始めています。開業当時はおそらく国鉄からの転籍組などもいたのだろうけど、まあどこも厳しいですからねえ・・・

ファンには一番人気のエヴァンゲリオンラッピングと、奥浜名湖駅近くの地元養蜂園がスポンサーの「BUNBUNTRAIN」の交換風景。
カラフルなのはいいけれど、ノーマルな天浜線色がちょっと恋しい、桜満開の原谷駅です。

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