青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

葉月・西鉄柳川

2024年12月21日 23時00分00秒 | カレンダー

(水都・アイスグリーンの涼しきに@西鉄柳川~矢加部間)

8月。恒例の夏の遠征は、4年ぶりくらいに飛行機のチケットを取って九州・福岡へ。九州を代表する私鉄である西日本鉄道と、その他福岡県の三セクだったり筑豊電鉄だったりと盛りだくさんの二泊三日でした。熱いし汗かくしで塩分を欲するのか、とんこつラーメンばっか食ってたな(ウマイからいいんだけど)。初日は西鉄貝塚線、2日目は天神・大牟田線+甘木鉄道、3日目が筑豊電鉄+平成筑豊鉄道。お好きな3日間、九州島内の全部の鉄道が乗り放題という「旅名人の九州満喫切符」って名前の素晴らしいきっぷを活用させていただきました(西鉄も一応ワンデーフリーきっぷあるんだけど、範囲が西鉄福岡~西鉄柳川までなんだよね)。今年の冬から、JRの「青春18きっぷ」も大幅なルール変更(分割利用不可、連続3日間か5日間のみ)がおこなわれて大幅に利便性が下がってしまったという話を聞いてしまうと、九州島内だけとはいえ3ヶ月の有効期間内に任意の3日間が連続でもバラでも使って乗り放題・・・というのは大きくクローズアップされてもいいのではないかと思ったりもする。

西鉄電車、もちろんじっくりと味わうのは今回が初めてのこと。子供の頃に「カラーブックス・日本の私鉄」なんかで見た西鉄電車ってのはオキサイドイエローの2000形とアイスグリーンの5000形というイメージが非常に強かったんですよね。2000形はとっくのとうに引退していたけれども、5000形は僅かに廃車も出始めてはいるものの、まだまだ天神大牟田線の主力車両として筑紫野を爆走していました。九州ってのは、それこそ水戸岡デザインのバリエーション豊かな特急軍団・・・「ソニック」とか「かもめ」とか「ゆふいんの森」とかさ、それこそ「ななつ星in九州」とか、本当ならそういう被写体を追っかけるのがフツーの鉄チャンの行動なのかもしれんけど、昭和50年代から走り始めてもうすぐ半世紀の電車を追いかけ回しているのだから病膏肓に入るという感じだ。それもこれも、西鉄5000形がカッコいいからなんだよね。罪深し。

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文月・横江

2024年12月19日 17時00分00秒 | カレンダー

(散居村の夏、日本の夏@富山地方鉄道・横江~岩峅寺間)

7月。7月は・・・実はパソコンの中をのぞいても大した写真を撮った形跡がない。そうだ、7月はすっかり都市対抗野球にハマってしまい、二週連続で東京ドームへ参戦したりしていて鉄活動をロクにしていないのであった。まあ、ご多分に漏れず今年の夏もアホみたいに暑かったというのはあるのだが。と言う訳で7月の写真がないので8月初旬の富山の写真を。意外にも富山も1年2か月ほど行っておらず、久々の訪問となった。コロナ以降、良くも悪くも安定してしまった地鉄の状況。あれだけのインバウンド需要があったのに、コロナ明けてもアルペンルートに向かっていた特急の本数はあまり復活せず、利用状況もあるのだろうが宇奈月方面の特急も事実上の休止となってしまった。中間の滑川・魚津地区はあい鉄のフリークエントなダイヤ構成に負けて1時間に1本と減便してしまったし、60形は特に運用を外れたりせず元気に活躍してはいるものの、特急もカンを付けなくなってそのままなんですよねえ。これは電鉄富山駅での作業の省力化ということなのか。あ、そうそう。電鉄富山駅も高架化工事のためにあの3面4線の大きなターミナルがしょぼい仮設駅になってしまっているというのもなんかピンと来ないんだなあ。そんなこんなで、あれほど通っていた富山方面の活動に少し陰りが見えたのが2024年の鉄活動だったかもしれない。

強い夏の日差しを浴びて散居村の風景を走る地鉄20020形。キャニオンエクスプレスが、唯一の地鉄の明るい話題だろうか。

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水無月・津軽大沢

2024年12月17日 17時00分00秒 | カレンダー

(霞む岩木と梅雨晴れの朝@弘南鉄道大鰐線・松木平~津軽大沢間)

6月。気まぐれに覗いた横浜の地下街のチケットショップ。株主総会前で期限が近いせいか、投げ売りになっていたJR東日本の株主優待券を使って、初夏の津軽へ。初訪問の津軽鉄道と、私の大好きな弘南鉄道。なんで大好きなのかって?と聞かれると言い表せないが、好きなんだよねえ。かつては渋谷と横浜を結んでいた銀色の電車が走る弘南鉄道は、軽やかさがありつつ、それでいてしっかりと津軽の町々を結ぶインターアーバンとして根を下ろしている。観光的には、太宰治にストーブ列車、冬の地吹雪に吉幾三のド演歌の世界が見える津軽鉄道に軍配が上がるんでしょうけど。岩木山をバックに柏農高校前の長い長い夕暮れを楽しんだり、ほろ酔い加減のりんごねぷた電車に揺られて夜の大鰐線を楽しんで、乗ったり、降りたり、撮ったり。地方私鉄の郊外電車のターミナルとしては日本一の雰囲気を持つと思っている中央弘前の駅の近くに宿を取り、翌日は朝もはよから大鰐温泉の青柳会館の熱めのお湯でシャッキリ目覚めた後は、リンゴ畑を睥睨する津軽大沢の高架橋に登った。早朝はいい感じに見えていたお岩木山も、遅めの大鰐線の始発電車が通る事には稜線も朧ろ。それでも、梅雨晴れの朝の陽射しを浴びて、銀色の電車が私の下を通り過ぎて行きました。

そして、年末に届いた大鰐線の廃線の報。
2027年度まで・・・という時間が残されて、やはり津軽は冬に行ってこそ華かなあ。と算段を練っているところであります。

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皐月・本銚子

2024年12月15日 10時00分00秒 | カレンダー

(新緑に南海グリーンを添えて@銚子電鉄・本銚子駅)

5月。ゴールデンウィークはかなり久し振りに子供と一緒に銚子まで行って遊んできた。ちょうど南海22000系が往時の南海グリーンを纏って復活デビューしたという報を聞いてましたのでね。現在の銚子電鉄、通常時は朝以外は1運用なので、目当ての編成が入らないと一日空振りで終わってしまうのだが、GW対応で日中にも増便対応があり、その増便に南海カラーが充当されたわけである。関東の西側から「とっぱずれ」の銚子まで片道4時間以上かかるのだから、関東平野は広い。夕方まで子供と一緒に電車に揺られて、ぬれ煎餅を買って、遊んで、遊んで・・・なんてこの日以来やってないのだが、いまは来年早々の受験に備えて今はひたすら勉強の日々を送っている。無事に志望の学校に合格したあかつきには、それなりの卒業旅行でもさせてやろうかなあと思っているのだが。銚子電鉄は、銀座線のお古(1000系)の時代から、伊予鉄のお古(京王グリーン車)の時代を経て今度は「角ズーム」こと南海22000系→2200系への置き換えを進めていて、この編成のほかにもう1本が導入されることが決まっている。関西私鉄の車両が関東で走ることも結構珍しいことのように思うのだが、銚子電鉄については条件と価格が折り合えばという中での出モノだったということか。

新緑のカーテンに包まれた本銚子の駅に、上り電車の銚子行きがやって来た。
「本銚子」=「本調子」とか、「上り銚子はいい銚子」なんて言って縁起物にしているようだが、この流れにあやかって学業成就と行きますかどうか。

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卯月・更地

2024年12月13日 17時00分00秒 | カレンダー

(桜は、いつまでも待っている@旧名鉄谷汲線・更地駅跡)

4月。2024年の桜は、樽見鉄道を中心にした根尾谷の桜を愛でに行きました。岐阜県美濃地方の北部、根尾川の周辺は「根尾の薄墨桜」で有名な桜の名所。樽見鉄道では、谷汲口駅の桜が有名ですけど、そこにお邪魔する前に立ち寄ったのがこの駅の桜。名鉄谷汲線・更地駅跡。平成中期に全廃された「名鉄600V区間」のうち、最北の路線であった名鉄谷汲線は、谷汲山華厳寺へ向かう参詣鉄道として、廃線まで戦前生まれの旧型ツリカケ電車がのんびりと走っていた路線です。谷汲線が現役だった頃は、春になるとこの一本桜とオールドタイマーの赤い電車の組み合わせを求めて、多くの鉄道ファンがこの駅を訪れたそうです。この駅の春の情景を旧型電車と収めた写真の情景が素晴らしくて、いつか訪れたいと思っていたんですけどね。谷汲線の廃止って2001年(平成13年)9月のことなので、それこそ笠松競馬に行くついでにでも岐阜で一泊して訪れることは出来ていたのではないか。そう思うと、戻らない時計の針を無理矢理でも戻したくなる。

春は更地の桜、夏は根尾川に作られる赤石の簗(やな)、秋は谷汲山の紅葉、そして冬は根尾谷を白く染める雪景色。
四季折々を走る谷汲線の鉄路の風景を思い浮かべながら、今なお残されたのっぺらぼうのキロポストに語り掛ける、更地の春の朝です。

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