(立山社檀、雪積む駅に@岩峅寺駅)
黒部川の作った平野から、谷を伝って宇奈月へ。常願寺川の作った平野から、谷を伝って立山へ。富山の二つの大河は、地鉄電車とは切っても切れない関係性にあります。黒部川も常願寺川も、北アルプスの山々から流れ出た土砂で大きな扇状地と平野を形成していますが、常願寺川の作った扇状地の要に当たるのがここ岩峅寺の駅。滑川から扇状地の縁を通ってやって来た立山鐵道と、富山から神通川との平野の境目をなぞるようにやって来た富山県営鉄道の路線がここで交わります。今の不二越・上滝線の始祖である富山県営鉄道は、常願寺川の電源開発による殖産興業と治山治水の重責を担って建設された「富山市ヨリ上滝ヲ経テ藤橋(立山)ニ至ル」鉄道のこと。現在でも市電・地下鉄などに市営鉄道(交通局)は残っていますけど、国鉄やJRを継承して第三セクター方式で設立された県管理の鉄道ではなく、県が直接建設して運営を行っていた鉄道会社ってのは歴史上では千葉・富山・宮崎・沖縄くらいで、あまりないんだそうです。宮崎県営鉄道は現在でも日南線の一部として残っているようですが、沖縄県営鉄道は沖縄戦で壊滅してしまい、戦後はアメリカの統治によってクルマ優先の社会が形成され、鉄道は残りませんでしたのでね。
そんな二つの鉄道が寄り添うように接続する駅が、岩峅寺。開業当初は、立山鐵道が「立山(たちやま)」、富山県営鉄道が「岩峅寺(いわくらじ)」を名乗り、立山鐵道の駅は少し手前の場所にありましたが、立山鐵道が富山電鐵に買収合併された際に両駅を統合。現在のようなスタイルとなっています。空中写真で見ると、立山線の線路が駅のところで少し西側にカーブし、上滝線のホームに寄り添うような形になってるんですけど、おそらく統合時に線路を少し移設したものと思われます。立山線ホームと上滝線ホームを繋ぐ小さな回廊。積もる雪から通路を守る屋根には、何本もの梁が渡された丈夫な造り。駅名票の「ホクセイアルミサッシ」の広告がいかにも地鉄。日本軽金属系列の高岡のアルミメーカーですが、地鉄の駅名票と言えば、「ホクセイアルミサッシ」か「皇國晴(みくにばれ)」ですよね。そもそも、富山県営鉄道や黒部鉄道が目指した常願寺川や黒部川の電源開発で生み出された豊富な電力が、ボーキサイト→アルミナ→アルミニウムという精錬の過程で大量の電力を必要とするアルミ精錬と、富山県の地場産業としてのアルミ製品の製造(サッシなど)に結びついている訳で、富山県営鉄道からアルミサッシまでの道のりは繋がっています。
上滝線の折り返しホーム。現在は、上滝線は全列車が岩峅寺折り返しになっていますが、かつては富山から立山までのメインルートは上滝線経由でした。建設の経緯を考えるとそれは自然な事なんですが、だんだんとメインは寺田から五百石経由に移行されて行きます。それでも、90年代の後半までは一部南富山回りの立山行きが運転されていたんですけどね。今は立山線に向かう1番線ホームはたまの貸し切り団臨くらいでしか使われません。明確な記録を知らないので何とも言えませんが、上滝線回りの立山行きが運転されなくなっちゃったのっていつくらいからなんでしょう。ご存じの方がおられたらご教示いただきたいところ。
ダルマストーブの炎が赤く揺らめく待合室。陽が落ちて、足元から寒さが這い上がってくるような岩峅寺の駅。広い待合室にこのストーブ一つではとても暖かいとは言えないけれども、風が遮られて炎の色があるだけでホッと一息つける。煌々と灯る駅務員室の灯り。かつては大勢の乗務員や駅員が出入りしていたものと思われるのだけど、今は初老の駅員が一人で窓口を守っている。少し前までは、相当にご高齢のおじいちゃん駅員が岩峅寺の駅の窓口におられて、何度もそのおじいちゃんからキップを買ったことがあったのだけど、さすがに交替されたのだろうか。
駅の雰囲気に浸りながら、宵の口の岩峅寺の駅に佇む。この駅のランドマークのひとつでもある、上市の「日本海みそ」の看板を照らして山行きの電車がやって来た。
この電車に乗って、夜の立山へ向かって行こうと思う。
地鉄の深淵を覗きに行こうとするとき、また深淵もこちらを見ている。