青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

大正の 浪漫魅せられ 八瀬の屋根。

2024年11月17日 10時00分00秒 | 叡山電鉄

(優雅な単車・デオ700系@宝ヶ池駅)

宝ヶ池の叡山本線ホームに到着するデオ700系723号車。デオ700系は、叡山電車の体質改善を目指して昭和の末期に導入された両運転台型の単車ですが、当時の叡電の厳しい財政状況を背景にしてか完全新造とはせず、それまで使用していた旧型車群の機器を流用し、ボディだけを武庫川車両工業で載せ替えて作られました。既に製造して30年を経過している車両ではありますが、近年リニューアルを施し内外装を一新。行き先表示がLEDになったり、塗装も古都を意識したクラシカルで雅なものにお色直しをされています。この723号車は、古都・洛北の山紫水明なイメージを取り込んだ青に近いパープル。光の加減によっていろいろな色に見えますけどね。

出町柳から八瀬比叡山口へ。そして、比叡山ケーブルに繋がりロープウェイへ。比叡山を縦走するルートの一部を構成する叡山本線ですから、たった1両では観光シーズンの京都ではその輸送力が懸念されるところではあります。デオ700の単行は約90人の定員ですから、大型の路線バスより若干多い程度。出町柳の駅のターミナルとしての大きさを考えると、16m車の単行を突っ込むのが一杯というスペースのなさなので、日中は15分に1本の頻繁運転で観光客を捌くことになります。

宝ヶ池で鞍馬線を分けた叡山本線は、三宅八幡を経て終点の八瀬比叡山口駅へ。以前は「八瀬遊園」という名前で駅に隣接する遊園地があり、夏に開かれる「八瀬グランドプール」を中心に賑わいを見せましたが、かつての経営母体であった京福電鉄の収益悪化に伴い2001年に閉園となっています。この「電鉄系レジャー施設」というものは、かつての私鉄運営の基本ともいうべきものでしたが、関西でいえば近鉄のあやめ池遊園、南海のさやま遊園やみさき公園、阪急の宝塚ファミリーランド、阪神の阪神パーク、平成時代にみーんななくなってしまいました。関西の電鉄系遊園地で元気なのって京阪の「ひらパー!」ことひらかたパークくらいなもんですよね。関東でも東急の二子玉川園、京成の谷津遊園、小田急向ヶ丘遊園、西武のとしまえん、京急だと油壷マリンパーク・・・はそれほど大きな施設じゃなかったけど、いずれも現存しません。

まあそれにしても、この叡山本線の八瀬比叡山口駅の造形の鮮やかさには目を奪われます。駅全体が木造の大屋根で覆われているのだけど、リベット打ちの鉄骨で組み上げられた柱と、屋根を支える細やかな骨組みと、それらを束ねる弓なりのアーチ型をした横梁が描き出す見事な幾何学模様は、駅舎としての「美」に溢れている。ただ駅の上に大屋根を組んだだけではなく、よく見るとホーム部分と線路部分を境に大屋根は二段構えになっていて、その間に明かり取りの窓を挟んでいるのがなんとも洒落ている。この効果で大屋根の下が暗くならずに済んでいるのだが、また粋なデザインだなあと。自分もそこそこ各地の「駅」というものを見て歩いている方だとは思うのだけど、五本の指に残るくらいの「魅せる」駅だと思う。秋本番になると駅の周囲は紅葉に包まれ、それもまた素晴らしい風景なんだそうだ。

秋の爽やかな風が吹き抜ける、山の小さなターミナル。この駅が建造されたのは大正14年(1925年)のこと。元々、現在の叡山電鉄本線を敷設したのは京都電燈という電力会社ですが、京都電燈は蹴上の水力発電所で発電される電力の供給を受け、文明開化の波に乗って京都市街の近代化を押し進めた会社でもあります。当時の電力会社というものは、基本的に西洋の思想を取り入れたハイカラな会社だったでしょうから、このようなヨーロッパのターミナルを思わせるような駅が出来るのもむべなるかな、といった感じを覚える。八瀬で有名なのは、紅葉がお堂の磨き抜かれた板張りの床に鏡のように映り込む「光明寺瑠璃光院」ですけども、JR東海のCMで火が付いてから、秋のシーズンは見学自体がプラチナチケットと化しているそうです。あまりにも有名になり過ぎたせいで現在公開は期間限定の完全予約制。自由見学は受け付けておらず、しかも夜の特別公開についてはJR東海ツアーズの期間限定のオプショナルツアーに参加しないと見ることが出来ないらしい。お金を払って「映える」風景を体験するのもいいんですけど、電車賃だけで眺めることが出来る最寄り駅の造形美も、なかなかのものがあると教えてあげたいですねえ・・・

すっかり八瀬比叡山口駅の雰囲気に魅せられてしまったので、すぐに立ち去るのは勿体ないなあ・・・と思い、ベンチに腰を下ろしてこの駅のありようにどっぷりと浸って過ごす小一時間。大屋根のターミナルに単車のデオが着くと、駅を守る老駅員が、律儀に比叡山へ向かう乗客を出迎えます。

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もみじきららの秋を往く。

2024年11月16日 17時00分00秒 | 叡山電鉄

(爽秋の貴船口を往く@叡山電鉄900系)

爽やかな風が吹く貴船口の駅近く、鞍馬川の小さな鉄橋を渡って行くのは叡山ご自慢の観光電車「きらら」ことデオ900系。乗降口の部分の窓は天地に長く、そして側面の窓は天井まで巻き込むような位置にもセットされていて、観光電車らしく眺望を重視した大きな窓が特徴。京都盆地の通勤通学輸送と、四季折々の風景を彩る貴船・鞍馬の観光輸送。春の桜や初夏の青葉、夏の新緑に二ノ瀬・貴船の秋の紅葉、そして冬は雪が降り積もることも珍しくない修験の里の鞍馬の山へ。叡山電車の役割は、地元輸送と観光輸送のハイブリッド。出町柳の駅の雰囲気から何となく感じていたのですが、叡山電車には江ノ電っぽさがだいぶ入っているように思う。デオ900系は、そこに箱根登山電車の山登りの要素がチョイと加わった、そんな感じの車両でもあります。

鞍馬行きの電車を見送り、貴船口の駅へ戻ると、折り返したきらら号が紅葉の青葉を横目にやって来た。電制を効かせて山を下りる900系。二ノ瀬~市原間には、通称「もみじのトンネル」と言われる区間があって、秋の紅葉の季節になるとこの「もみじのトンネル」はライトアップされて、その中を車内の照明を消した列車が通り抜ける・・・というのが恒例のイベントになっています。10月の半ばだと、流石にまだ色付く雰囲気すらかけらもなかったですが、青いもみじのトンネルも清々しいものです。そろそろ秋の京都も紅葉の時期になりますが、色付いたらさぞかし素晴らしい光景なのでしょう。まあ、紅葉の時期の京都なんて地獄のように混んでるでしょうから、個人的にはカネ貰っても行きたくありませんが・・・週末なんかは大勢のお客さんで叡山電鉄もかき入れ時になるのでしょうね。

秋深し 紅葉回廊 夜に咲く。

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鞍馬、クラファン、ケーブルカー。

2024年11月11日 22時00分00秒 | 叡山電鉄

(開山1200年の歴史@鞍馬寺)

さて、せっかく鞍馬まで来たことだし、トンボ帰りするのも勿体ないので鞍馬の山にお参りをして行こうと思います。別にそこまで寺社仏閣の類が好きなわけでもないんだけど、どうも旅先ではその土地土地の神社仏閣を訪ねることが多い。これは、日本のいわゆる「中小地方私鉄」というもの、大半の開業理由が1.鉱山型、2.温泉型、3.寺社仏閣型のどれか、というのが実感としてあって、必然的に「沿線で何かをする」ことの中に「お参り」が入ってくることが多いからだ。関東や京阪神の都市間鉄道(例えば新宿~八王子の京王帝都電鉄とか)は概ね大手私鉄になってしまうから、地方私鉄は「確たる目的」を持って作られ、そしてその目的のために生き残っているものが多い。鉱山型・・・は、今残っているので代表的なところでは三岐鉄道(藤原岳からのセメント輸送)ですかね。昔は石炭(三菱大夕張)硫化鉄(同和鉱業片上)とか亜鉛(栗原電鉄)、ニッケル(加悦鉄道)、硫黄(松尾鉱山)などの鉱物を運搬する小私鉄が全国にあったものですが、もはや日本では絶滅危惧種でもある。2。の温泉型は定山渓鉄道、山形交通の湯野浜線、花巻電鉄、北陸鉄道の廃止路線(山中線・山代線)、現役では福島交通(飯坂温泉)、上田交通(別所温泉)、神戸電鉄も祖を辿れば有馬温泉を目指した神戸有馬電気鉄道に行き当たる。

そして3.の寺社仏閣型。なんだかんだこれが一番多いんじゃないですかね。ここ叡山電鉄の鞍馬線がそうだし、同じ関西では水間鉄道(水間観音)、能勢電鉄(妙見山)、南海電鉄の高野線だって高野山への参詣鉄道である。特に関西は、この「お山の神社仏閣」×「鉄道線」×「鋼索線」のコラボというものが異常に多い。高野山も南海電車とケーブル連絡、妙見山も廃止されてしまったが能勢電の妙見口からケーブル&リフトで連絡、近鉄の生駒山(宝山寺)や信貴山にも生駒ケーブル・信貴山ケーブルがあって、そして「叡山」こと比叡山には、京都側からは比叡山ケーブルとロープウェー、そして滋賀県側からは坂本ケーブルが繋がっている。

そして、ここ鞍馬山にも「鞍馬ケーブル(鞍馬山鋼索鉄道)」があって、麓の鞍馬山の山門と本堂近くまでを結んでいる。途中で交換することのない全線単線のケーブルで、搬器も少し小ぶり。鞍馬山で天狗相手に修業を積んだ牛若丸にちなんで「牛若號Ⅳ」という名前が付いている。高低差90m程度、距離は僅か207mしかなく、この鞍馬山のケーブルが「日本一短い鋼索鉄道」ということになるのだそうです。いわゆる一般的なケーブルカーだと、路線の真ん中あたりで上り下りがすれ違いますよね。両方の搬器を釣瓶のようにして動かすことにより重さのバランスを取る訳でありますが、この鞍馬山のケーブルは全線単線。そのため、対になる搬器の代わりに、鋼索にはカウンターウエイト(おもり)を結び付けているのだそうです。

そして、この鞍馬山鋼索鉄道の特異なところと言えば、なんと言ってもお寺(鞍馬寺)が直営している・・・ということ。宗教法人が運営する日本で唯一の広義の鉄道(鋼索線)ということになりますが、そのため、運賃は「御寄進票」ということで寄付扱いになっておるのですね。宗教法人でも営利でやったらその売り上げは課税対象になってしまうから、あくまで鞍馬寺に「御寄進」をいただいた方々に、お礼としてケーブルカーの乗車を認めるという考え方で運営されています。なんかあれだな、寄付への返戻が乗車の権利という考え方は、今流行のクラウドファンディング的な考え方だな(笑)。

ということで、御寄進200円を納めさせていただいて訪れた鞍馬寺なのですが、「来年まで塗装工事中」ということで本堂の姿が全く見えなかった(笑)。なんともまあ締まらない話である。ってかね、夏の大宰府に続いてまたですかという感じで笑ってしまったよ。どうして私は「旅先の寺社仏閣に訪問した際に、そこが何故だか工事中」という輪廻から抜けられないのであろう。なんかこんな感じで方々の神様仏様の覚えが悪かったりするのは、やはり「普段のおこない」ということなのだろうか。悔い改めるべく、線香に火を付けて祈る初秋の鞍馬山。石段を登った背中に、一筋の汗が流れました。

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天狗の山のフトコロへ。

2024年11月09日 08時00分00秒 | 叡山電鉄

(未だ青葉の貴船の森よ@貴船口駅)

宝ヶ池の駅でやって来た鞍馬行きに飛び乗る。京都精華大前駅あたりまでは、学生や沿線住民の乗り降りもあったものの、二軒茶屋の駅を過ぎたあたりからは乗客は貴船や鞍馬方面へ向かうハイカーたちが中心となった。車窓の風景も、それまでの住宅街から洛北の山並みの裾に取りつき、目に飛び込んでくる緑の木々が鮮やかである。叡山電車の駅は基本的に無人で、乗降は車内の運転台脇にセットされたICカードリーダーか、駅のホームに置かれたカードリーダーにタッチするのを車掌氏が目視するというスタイル。乗降扱いをしながら車内と車外を行ったり来たり忙しくしているのだが、「ここから先は山の中に入って参ります、電波が悪くなりますので、モバイル系の乗車券をお持ちの方、チャージなどは早めにお済ませください・・・」という注意喚起の声掛けがあったり。切符を売るような車掌の仕事はなくなってしまったけど、そーいう声かけの仕事が新たに加わっていたりして、現代風だなあと思ったり。

市原から二ノ瀬にかけてまだまだ青葉の紅葉のトンネルを抜け、二ノ瀬で下り列車と交換。貴船口を出るといよいよ列車の目前に山は迫り、小さなトンネルをひとつ抜けると列車はスピードを緩め、終点の鞍馬の駅に到着する。山深く見えて未だに標高は230m程度、出町柳の駅からは180m程度を登って来たことになる。鞍馬の駅は頭端式の1面2線。決して大きくない叡山電車の2両の車体がギリギリに収まる長さのホームは、鞍馬山と対を成す龍王岳の間を流れる鞍馬川(鴨川の上流)との間の谷間にあって、僅かに開けた平地に押し込むように作られた、小さな山の終着駅である。

ホームでゆっくり終着駅の雰囲気を味わいたかったのだが、列車別改札で乗降を区切っているようで、駅員氏から「早く出てください」と駅からの退去を命ぜられて、すごすごと駅の外に出る。鞍馬の駅は「近畿の駅100選」にも選定された由緒ある駅で、鞍馬寺の参詣駅として社寺建築を模した造りになっている。駅前は鞍馬寺への参詣客と、周辺の山々をトレッキングするハイカーたちで賑わっていた。ちょっと人の引けた隙にこの一枚を撮影しているのだが、好天に恵まれた三連休の午前中ということで乗客は多かったですね。そしてさすが京都、その半分くらいが外国人のグループでインバウンドの勢いがハンパない。そして、折角の雰囲気のある駅なのに、駅の脇には観光客が残していったであろう山と積まれたゴミがあって殺風景である。ここ鞍馬でも、オーバーツーリズムの問題は顕在化しているのかもしれない。

奈良時代に鑑禎上人によって開山され、1200年の歴史を誇る鞍馬山。駅前は、何軒かのお土産屋と喫茶店が肩を寄せ合う小さな門前町であった。鞍馬山自体が、京の都の遠く北にある深山の霊山として崇められていたためか、華やかさとは無縁の、ひっそりとした山里という趣だ。駅前からしてお土産屋さんの雰囲気がいい。華美ではなく、どっしりした瓦屋根の二階家。鞍馬名産・木の芽煮と松茸昆布。京都らしいお土産だ。松茸・・・なんて言われるとそれなりのお値段を想像してしまうのだが、店先を冷やかしてみるとそうでもなかった。どのくらい松茸が入っているのかは定かではないが、流石に輸入ものだろう。京都は丹波を中心に松茸が有名だが、そんなところの天然ものを使ったらそれこそ目の玉が飛び出るような値段になってしまうに違いない。

そうそう、鞍馬と言えば、「鞍馬天狗」の故郷。かの牛若丸こと源義経も、若き頃に鞍馬山にこもり、鞍馬天狗の手ほどきを受けて武術を学んだのだそうな。「♪京の五条の橋の上 大の大人の弁慶は 長い薙刀(なぎなた)振り上げて 牛若めがけて 切りかかる・・・」。童謡「牛若丸」に唄われた「京の五条の橋」は、現在の国道1号線の五条大橋のこと。鞍馬から五条大橋までは、今では出町柳で京阪電車に乗り換えて清水五条まで45分程度ですが、その昔の昔、京の都から鞍馬の山は、それはもう遠く離れた山奥の修験場というイメージであっただろう。鞍馬天狗の正体は、鞍馬山大僧坊と呼ばれた伝説の修験者であるとされますが、その正しいところはよく分かっておりません。

大きな鞍馬天狗のお面の奥、ちょっと目立たないところに、昭和の時代の叡山電車のエースとも言える「デナ21」のカットモデルが置かれていました。叡山電車と言えばこのモスグリーンにベージュのカラーリングですよね・・・。「京都の名車御三家」と言えば、個人的には京阪京津線の80形、京都市電の1900形、そして叡山電鉄のデナ21じゃないかと思っておるんですがどうでしょう。京都電燈時代からの歴史ある車両ですから、惜しむらくはカットモデルじゃなくて丸で保存しておいていただきたかったと思うのですけど、財政の厳しい中ではそれはなかなか難しかったのでしょうかね。

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宝ヶ池で考えた。

2024年11月04日 13時00分00秒 | 叡山電鉄

(ばっさりとした分岐駅@宝ヶ池駅)

叡山電車の宝ヶ池駅。ここで、鞍馬線と叡山本線が分岐します。複線から複線をバサッと分けるこのシンプルな配線がなんとも関西の私鉄っぽさっがあるよね。これは感覚的なものなのかもしれないけど、関東の私鉄って駅を出てから本線と支線が分かれて行くけど、関西の私鉄って駅の前で本線と支線の系統が分かれて行くイメージがある。代表的なのが阪急電車(能勢電鉄を含む)の配線なんですけど、南海の岸里玉出とか、京阪の中書島とかもそうだよね。関東の場合は、東京へ向かう本線筋に対して従する支線筋という明確な主従の関係があるけれど、関西は京阪神+奈良・和歌山という拠点がそれぞれの求心力を持ってネットワーク化しているから、どっちが主従ということもないからなのかな。あと、系統別で複々線を採用する区間が多いってのもあるかもしれない。

宝ヶ池の駅は3面4線。叡山本線と鞍馬線がそれぞれ相対式にホームを持ち、その間に挟まれたホームは島式。関東の私鉄だと、2面4線にしてそれぞれのホームで八瀬比叡山口・鞍馬行きの上下の電車を発着させそう。前述しましたが、分かりやすく言えば関東は「方向」でホームを分けるけど、関西は「系統(路線)」でホームを分ける傾向があるので、違うホームから同じ行き先の電車が出ることがある。これが関東から来ると慣れんのよね。ここ宝ヶ池駅と関東代表として東武動物公園駅小平駅をどちらも公式のHPのリンクで見比べていただきますが、宝ヶ池の駅から出町柳行きに乗ろうとすると、駅の案内をよく見ないと「次の出町柳行きはどっちのホームから出るかが分からん」ということになる。関東だと、だいたい方向別にまとまっているから同じ行き先の電車は同じホームから出発するんだけど、割と関西は「系統別」のホーム分離も幅を利かせていますよね・・・その極め付けが阪急の大阪梅田とか十三なんですけど。

本線・鞍馬線の分岐を渡って宝ヶ池の駅に進入する叡電の800形。大きな窓に前面の後退角、ストライプのデザインと居並ぶ抵抗器が、調べなくても絶妙に平成初期の電車のテイストって感じがする車両である。ここらへんがストライクゾーンの人って結構多そう。鞍馬の山を登り降りするために、強力なモーターと制御装置を備えているオール電動車編成。標高で言えば出町柳が約50m、宝ヶ池で90m弱、終点の鞍馬で230m強。比高では180m程度なるも、二の瀬駅周辺からは50‰の勾配を示す場所もあって、洛北の登山電車という感じの重装備を施してあります。当然、叡電も「パーミル会」に所属しています。

宝ヶ池では、鞍馬の山から下って来た叡山電車のエース「きらら」ことデオ900形と並びました。この「デオ」という型式、叡山電車独特のもので、電動車の「デ」、大型車の「オ」で=「デオ」という型式が採られています。じゃあなにかい、小型だと「デコ」なのかい。と思わず江戸っ子のクマさんが身を乗り出して来そうなのですが、「デコ」という型式の採用は過去の叡電の歴史上でもありません。その代わりと言っちゃあなんですが、昔の叡電の車両にはもう一つ「デナ」という型式がありましてな。デは分かるけど、ナってなんだよって思うじゃないですか。これが「中型(ナカガタ)」の「ナ」のことなんだそうです。思わず「チュウガタじゃないんかい!」って言いたくなりますよね。そういうもんらしいです(笑)。

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