青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆関西見聞録その13 変わらなきゃ阪堺

2015年09月13日 07時31分23秒 | 阪堺電軌

(チン電に 乗ってお出かけ 孫と祖母@東湊駅)

御陵前の電停から堺の旧市街をフラフラと歩いて東湊の駅まで。さすがに午後とは言え夏の日差しを浴びて歩くのには疲れて来たので、しばらくここで休憩する事に。終点の浜寺駅前まではあと少し、孫を連れたお祖母ちゃんが乗り込む下り電車には乗客もまばら。このモ351型は1960年代に当時の木造車両の更新のために製造された鋼製車で、地元堺にあった帝国車輛で製造されました。帝国車輛はその場所柄ゆえ南海電鉄との関係が深く、東急車輛製造と合併して同社の大阪工場となってからも、長い間南海に新造車両を供給していましたね。

 

堺市の南側の住宅街にある東湊の駅。天王寺方面行きのホームの真裏には「えびすや」というお好み焼き屋さんがあって、いい匂いが辺りにたなびいている。まともに食事もしてなかったせいもあって思わずのれんをくぐりブタ玉を一枚オーダー。中はカウンターのみの小さい店で、既に常連さんと思しき二人組が瓶ビールを並べてゴキゲンになっていた。いかにもな大阪のおっちゃん夫婦に焼いてもらったブタ玉を駅のベンチに座って食べる。大ぶりのキャベツにフワリとした生地の焼き加減は、材料こそ同じでもやっぱり素人焼きのお好み焼きとは違った美味しさなのであります。


少しお腹も落ち着いたところで、阪堺電車の旅もラストスパート。東湊から新設の石津北、石津、船尾を出ると阪堺電車は築堤で大きく南海本線をオーバークロスして海側へ。車窓右側に浜寺公園の松林が見えて来ると、電車は僅かな乗客を乗せたままスピードを落とし、終点の浜寺駅前の電停に到着しました。

 

阪堺電車の浜寺駅前電停。海側に浜寺公園がある以外は閑静な住宅街の中にある。駅周辺に繁華街がある訳でもなく、何となく中途半端な場所で終点になっているなあと言う印象だが、昭和初期にはこの浜寺公園は白砂青松の景勝の地であり、夏は大阪方面からの海水浴客で大変な賑わいを見せたそうだ。今は埋め立てにより海岸線は遠く離れてしまっており、公園の松林だけが「海に近いんだなあ」と言う雰囲気にさせてくれる。

  

阪堺電車の浜寺駅前を出て左側には、かつては海水浴客を奪い合った南海本線の浜寺公園駅がある。明治40年、南海鉄道の開通と同時に作られたこの駅は、後に東京駅や日本銀行の本店などの設計を手掛ける辰野金吾氏の設計で作られたものです。辰野金吾氏は後の東大工学部にあたる帝国大学工科大学の学長を務めた人物で、突き出た車寄せの柱の一本一本に施された彫刻や壁のデザイン、2階にあしらわれた三角のドーマー窓の洒脱な感じといい、駅舎の醸し出す風格に圧倒されます。この駅には来てみたかったんですよね。

 

当時における鉄道と言うものは、西洋からやって来た文明の象徴であり、駅の柱に触れてみると、西洋に追い付け追い越せと一生懸命な時代のエネルギーが洋館作りの駅舎から伝わってくるようだ。その歴史といいデザイン性といい、南海本線の浜寺公園駅は国宝級の鉄道遺産なのでありますが、堺市が進める南海本線の連続立体交差事業に伴いその役目を終えようとしています。さすがに登録有形文化財としてもこの駅の価値は万人が認めるものであり、高架化後も保存されるようではありますが…

 

浜寺駅前の電停から折り返しの阪堺電車に乗って再び天王寺方面へ。浜寺駅前は一応出札口があって、日中は駅員も常駐しているようです。浜寺公園にはプールもあり、ちょうどプール帰りの子供たちが乗り込んだ阪堺電車は割と賑やかに浜寺駅前を出て行きます。西日に照らされた車内、堺市内をゴトゴトと走り抜ける電車に揺られて暫しうたた寝。


電車は大和川を越え、住吉の鳥居の前を通り、帝塚山の併用軌道を通って松虫電停までやって来ました。♪あれ松虫が鳴いている チンチロチンチロチンチロリン。日本の中の珍名駅のうちの一つでしょう。由来は大阪市阿倍野区の松虫通と言う地名から。で、その由来は後鳥羽上皇が寵愛した女官・松虫鈴虫姉妹がこの地に隠遁していた事に由来するとされているのだが、松虫鈴虫姉妹ってネーミングからして漫才コンビのようだ(笑)。とりあえず後鳥羽上皇と言われると自分はこのコピペが好きだ。懐かしいなw

  

松虫電停界隈からあべのハルカスを望む。レトロでクラシカルなチンチン電車に近未来的な高層ビルの取り合わせは、都電荒川線で言うと雑司ヶ谷のあたりからサンシャイン60を望むあのイメージでしょうか。松虫電停から天王寺駅前までは、あべの筋の上を併用軌道で走って行く阪堺電車。


夕日差し込む阿倍野交差点を行くモ351型。阿倍野電停から天王寺駅前までは、あべのハルカスだけでなく東急系のショッピング施設であるあべのキューズモールなど新型・大型の商業施設が開業しておりすこぶる賑やか。阿倍野、というのは天王寺駅の南側の一帯を指しますが、JRの駅は北側の地名を取って「天王寺」で、繁華街の地名は「阿倍野」、近鉄の駅名は「大阪阿部野橋」。三者三様なのがいかにも大阪らしい。


天王寺駅前で行きかう阪堺電車。駅前電停は1線しかなく、後続の電車は先発電車の発車まで駅の手前でしばらく待たされるシーンも多いですね…。天王寺駅前の電停はあべの筋に囲まれた川の中州のような場所にあり、地下道から狭い階段でしかアプローチが出来ないというおよそバリアフリーからかけ離れた状態。そのため、阿倍野地区の再開発に伴って、現在阪堺電車を含めた大規模な整備拡幅工事が始まっております。これによると、阿倍野交差点までの南車線の道路を2車線化し、阪堺電車は緑化帯を設置して道路の中央に移設。駅前電停はハルカスとキューズモールを繋ぐデッキからエレベーターと階段で直結し、立派な駅舎が改めて作られるようです。


すっかり夕方となり、駅前電停で電車を待つ人の波も延びて来ました。阿倍野地区の再開発と商業施設のオープンに伴い、天王寺駅前~浜寺駅前をメインルートとして上町線にテコ入れをした結果、この区間は乗客増の効果を享受しているようです。堺市内方面についてはひとまず行政からの補助金と言う形で当面の存続が確保された形となっていますが、新今宮や通天閣を擁する恵美須町方面の旧態依然とした感じから、今度は住吉~恵美須町間の存廃問題が出て来るような気がしてなりません。同区間の流動は南海本線で代替可能なこともありますしねえ。

いずれにしろ軌道路線と言うのは普通鉄道と比べてもより地元行政と密接に関係しており、生かすも殺すも大阪市と堺市の街づくりに対する考え方如何ではないでしょうか。天王寺駅前の再整備事業などからしても、阪堺電車も行政と連携して一生懸命変わろうと頑張ってはいるようですし、補助金とは言え久々の新車(堺トラム)も導入出来ました。宇都宮をはじめ、各都市で市街地活性化のためにLRT事業が積極的に検討されていますし、これからの阪堺電車には注目していきたいと思います。
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