青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆関西見聞録その12 泉州堺の足として

2015年09月08日 22時56分29秒 | 阪堺電軌

(阪堺と言えば雲形デザイン@東湊駅)

阪堺電車と言えば、最古参のモ161型と、この雲形カラーのデザイン。何だかクリーニング屋の外壁のようなこの塗装は、個人的には阪堺電車のトレードマークだと思いますね。モ161型は冷房が付いていないので夏の時期はよほどのことがない限り運用に入らないので、訪問した時期が悪かったかな。正月の住吉大社初詣ダイヤの時なら、雲形デザインのモ161型が走っているのを見る事が出来るそうです。

  

今池の電停から乗った阪堺線を北天下茶屋で降りる。電停に繋がる路地は軽自動車が通るのがやっとと言うほどの狭い路地で、そこに一杯飲み屋やら古びた書店やらお好み焼き屋やらが肩を寄せ合うようにして続いている。阪堺線は上町線と比較しても、なおのこと大阪の土着臭が強い地域を走っているような気がするな。漫画の「じゃりん子チエ」って舞台がこの辺りだったと思うけど、まんまその世界観がそのまま広がっているんだよね。


住吉で上町線と合流し、恵美須町からの電車は車庫のある我孫子道まで。ここで後続の堺市内方面行きに乗り換えます。阪堺の車庫をちょっと域外からでも覗かせてもらおっかなー、という気分でいたのだが、残念なことにあんまりマニアの方がお好きでない現業の方がいらっしゃったため断念(笑)。いいじゃんよーちょっとくらい、とは思うのですが、思った以上にカメラを嫌がる方がいらっしゃる事も自覚しなくてはなりません。

  

我孫子道を出ると、電車は長い長い大和川の鉄橋を渡って大阪市から堺市に入ります。橋を渡り切った場所にあるのが大和川電停。堤防の縁にそのまま乗っかるようにある電停で、川っぷちにある工場から機械の物音が聞こえて来るだけの川風の停車場である。夏だからいいが、冬なんかここで電車を待っていたらめっちゃ寒そうである。


阪堺電車の大和川橋梁。橋長198.57mのプレートガーター橋であり、1911年に大阪の横河橋梁が製作した逸品。朝顔鉢のような鉄柱の返しの部分がとてもアーティスティックではないでしょーか。鉄柱同士を繋ぐトラスの部分も、大きくクロスしてある上の部分は細かな網目のトラスになってて美しいですよね。同じ大和川橋梁では、関西本線の第四大和川橋梁が有名ですけど(プレートガーターをワーレントラスで支えていると言うとってもトリッキーな鉄橋なんですよ)、阪堺の大和川橋梁も芸術的な土木遺産だと思いますね。

  

軌道車両が渡る橋としては、加越能鉄道(現万葉線)の庄川橋梁に次いで日本でも有数の長さなんじゃないでしょうかね。渡って行く車両の小ささが際立ちます。造りが細身でちょっと華奢に見えるくらいの橋ですけど、まあ乗っかる車両の大きさ重さを考えたらこのくらいでちょうど良いのかもしれない。

 

堺市内に入ると、綾ノ町から紀州街道に出てここからは併用軌道。道路に挟まれた専用地帯を走ります。専用地帯なので車の進入はありませんが、道路信号に合わせて歩みを止めるのは同じこと。信号も多くなかなか速度は上がりません。堺市は中世より交易都市として発展した商人の町であり、阪堺電車が走って行く紀州街道(旧道)の周囲には歴史的な文化財が多く残されております。その独特な地番の割り振りからも、古くから栄えた都市であることが窺い知れますね。

  

堺市内のこの辺り、電停の名前も大小路・宿院・寺地町とそこはかとなく歴史の由来を感じる名前が続きますが、江戸時代は徳川御三家の一つである紀州徳川家が参勤交代のために使うなど、紀州街道は大阪と和歌山を結ぶ重要な交通路だったんですね。ふと信号の名前を見ると「南旅篭町」とはまた由緒正しそうな地名です。

 

堺市内の併用軌道の最南端、御陵前電停付近を行く阪堺電車。天気予報は曇り時々雨くらいの話だったのに、すっかり晴れ上がった夏の午後。ハデハデしい広告ラッピングを巻いたモ701型同士が行き交います。シングルアームとZ型パンタとそれぞれに違いがあるようですが、軌道線車両だと大きなフトン叩きのようなZ型パンタの方がカッコいいかな。


泉州堺から大阪ミナミへの足として活躍して来た阪堺電車ですが、堺市内の利用については年々進行する乗客減により慢性的な赤字状態が続いており、完全に重荷になっている状況にあります。阪堺サイドも一度は不採算を理由に我孫子道以南の廃止を堺市側に通告するなど危機に瀕しておりましたが、協議の結果は堺市側が阪堺および親会社である南海に10年間で50億円の設備補助金や割引運賃の助成金(大阪市内→堺市内区間の乗り越しが290円→210円に割引)を出す事を条件に立て直しを図る事になりました。3編成が投入された「堺トラム」もその一環として導入されたものですが、この長期間における大型の助成は、大阪都構想とも絡み合い継続的な支援もいつひっくり返るか予断は許さない状況だとか。

御陵前から再び専用軌道に戻った阪堺線は、堺市の旧市街を南に向けて走って行きます。堺市駅から海側の臨海部と、南海高野線の堺東駅周辺の開発が進んでいるのに比べ、この辺りの旧市街は再開発もされず空洞化しているように思えますねえ。神戸電鉄もそうだけど、都市計画と人口流動の噛み合わせの悪さであっという間に鉄道事業なんてものは不採算に陥ってしまうものだと痛感させられる。計画では堺駅から堺東駅に向かって市内を東西に横断するLRT事業と結節するという活性化策もあったらしいのだが…
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