青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆関西見聞録ファイナル 忘れられた鉄路

2015年09月14日 21時47分33秒 | 南海電鉄

(夕暮れ迫り…@南海汐見橋駅)

阪堺電車の訪問を終え、1泊2日の関西遠征もそろそろお開きが近づいて参りました。お財布の事も考え、帰りは新幹線を使わずに夜行の高速バスで帰る事にしたのだが、予約の時期が遅かったのか大阪市内からの便は満席。唯一空いていたのが和歌山から堺を通ってTDRに向かう和歌山バスの夜行便だったので、天王寺から再び堺市方面へ戻らなくてはなりません。もう一度阪堺電車に乗って堺市方面に出ても良かったんですが、天王寺から御堂筋線と千日前線を乗り継いで訪れたのはこの駅。南海汐見橋支線の汐見橋駅です。


当初は高野鉄道の大阪側のターミナルであった汐見橋の駅ですが、高野鉄道が南海鉄道と合併して以降は高野線の電車は南海本線に入ってなんばのターミナルに向かう電車が大半となり、汐見橋へ向かうルートは重要度が低下して行きます。そして岸里付近の高架化によってとうとう高野線とも切り離され、汐見橋~岸里玉出を結ぶ離れ小島の路線と化してしまいました。それでもまだこの区間は南海高野線のまま残り、都会の中のローカル線として現在に至ります。現在の駅舎は、戦後汐見橋がターミナルとしての機能を失った後に建てられた古びた味気ないモルタル塗りの駅ですが、小さいながら天井の高い改札口の姿に、僅かに昔日の栄華の面影を見るのでありました。


改札上の南海沿線観光案内図。左下の注記に「この案内図は昭和30年代のものです」と書かれているのだが、時の過ぎ行くままに破れ放題の案内図に残る表記には当然ながら現存しないものも多く含まれていて、ノスタルジックなタイムスリップ物件として汐見橋駅の名物になっております。地方競馬好きとしては1974年まで開催された大阪府下唯一の競馬場である岸和田の春木競馬場、和歌山の南には昭和63年まで開催されていた紀三井寺競馬場が目を引きます。南海の天王寺支線や平野線が当然残っていて、和歌山市内では海南や和歌浦に向かって軌道線(和歌山市内線)が走っています。埋め立てが進んだ今では考えられませんが、二色浜に並ぶ海水浴場のマークと浜寺公園のヘルスセンター。紀勢本線はまだ新宮までしか開通しておらず(紀勢西線時代)、淡路島には淡路交通と言う鉄道路線が走っていたのが分かります。もうちょっと寄りでカメラに収めて来なかったのが悔やまれますw

 

汐見橋支線の運行を担うのは南海2200型の2連。流線型のズームカー20000型に対して角ズームと言われた21000型を支線用に転用した車両で、2ドアのロングシート。夕暮れ迫るホームはいい具合に哀愁を帯びており、それでもこの路線にしては利用者の多い時間帯なのか2人の客が電車を待っていた。駅名票なども既に更新の対象からは外れているようで、おそらく昭和の時代からそのままなのではないかと思われる。


特にラッシュ時間帯の増発も土休日ダイヤもなく、終電間際を除けば毎日毎日30分間隔で汐見橋と岸里玉出の間をひたすら1編成が往復するルーチンワーク。南海本社の汐見橋支線に対しての扱いと言うのは、とにかく現在も運行していると言う事実以外には一切の無関心が貫かれているように思える(笑)。それでも南海がこの区間を廃止せずに残しているのは、交通審議会の答申でこの汐見橋の駅前を通る新なにわ筋の下に地下鉄を通し、新大阪まで通じる「なにわ筋線」を作る計画が残されているからと言うのが理由らしい。路線バスで1週間に1本しか走らない免許維持路線ってのがあるけど、その鉄道版ってところか。

  

ホームに待っていた2名の乗客+アタクシの計3名が乗り込んだ岸里玉出行きは、特に何の案内もなく汐見橋の駅を発車し、何ともうら寂しい大阪市街の西の外れを走り始めた。新なにわ筋と阪神高速堺線に沿って芦原町、木津川を過ぎ、木津川に行く手を阻まれるように南東に方角を変えて津守、西天下茶屋を過ぎると線路は単線になって高架に登り、終点の岸里玉出に到着する。所要時間僅か9分、距離4.6kmの忘れられた線路の旅が終わります。沿線には燈火眩しい繁華街のようなものは何もなく、木津川の駅から見た暮れて行く夕空が物悲しさを増幅させます。結局汐見橋を出てから岸里玉出までは誰も乗って来ませんでしたねえ。


岸里玉出で折り返しを待つ汐見橋支線の電車。乗客もまばらなこの区間をひたすら往復する運転士氏の気持ちはいかばかりか。自分が運転士だったら正直あまり担当したくない区間だなあ…(笑)。さすがに一日中ここを運転する行路ってのは組まれてないと思うけど、もしそんなんがあったらそれは日勤教育に等しい罰ゲームのような気がする。高野鉄道として開業してから110年余。マリー・ローランサンの名句じゃないが、廃線になるよりももっと哀れなのは、忘れられた鉄路なのかもしれない。


以上、1泊2日の関西見聞録。本当であったらもうちょいと足を延ばして水間鉄道でも1往復してこようかと思ったんだけど、さすがにそこまでの体力が残っていなかった(笑)。住吉大社の駅のコインロッカーにぶち込んでいた荷物を回収し、夜行バスの待つ堺駅前へ。充実した疲れではありますが、相当体力的には使い切った感のある私を待っていたのは、3列シートと言いながら最後尾の4列シートへぶち込まれた和歌山バスの夜行便でした(笑)。寝れるかどうかわかんなかったけど、結局寝ちゃったなあ。最後尾は4列でも足を前の通路に投げ出せる分寝やすいと言う利点はあるかもしれん。堺から横浜経由でTDRってどういうルートを通るのかなと思ってたんだけど、近畿道→西名阪→名阪国道→東名阪→伊勢湾岸→東名高速→保土ヶ谷BP→首都高速経由でした。新東名使わないのね。

予定では横浜のYCAT6:00だったんだけど、1時間近く早着してしまいました。
これにて夏の関西遠征大団円。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お盆関西見聞録その13 変わ... | トップ | 旧きヨコハマを愛でる »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
長レポ乙。 (ため。)
2015-09-14 22:24:40
特に阪急以降はいろいろ懐かしく思いながら見させて頂きました。俺の知ってる時代とはずいぶん変わったなぁ...というオッサンの感想が主だけど。

しかしまぁ一泊二日でこんなに詰め込め体力があるのは、日頃から仕事で外を動きまわってるせいかね。
デスクワークの俺からしたらそこが凄いわ。
返信する
ご無沙汰! (tatsuhiko)
2015-09-15 06:32:38
いや、もう体力ないよ(笑)。最近は休みになっても出歩く気力がなくてダラダラしちゃう事多いし。ヨメと子供と買い物に行っておしまい、みたいな過ごし方が増えちゃった。

近鉄南大阪線ユーザーとしては、天王寺の再開発ぶりは目を疑うくらいの変わりようかもしれませんね。今度は近鉄を極めてみようかと思ったけど、3泊4日くらいにしないと終わらなそう(笑)。
返信する

コメントを投稿

南海電鉄」カテゴリの最新記事