連休最終日、ようやっと晴れたので中央本線のはまかいじとかホリ快やまなしとか桃ずきんとか撮ってみんべ!と勇んで起きてはみたものの、そんなに子供が早く起きる訳もなく。出渋ってしまったのでそんなに遠くには行けないなあ…って事で高尾~相模湖間の通称「裏高尾」を中心にちょこちょこと回ってみました。折しも連休最終日、乾いた空気はようやっとの秋らしさ。手頃な日帰りハイクで高尾山界隈は熟年ハイカーで相当の人出でございます。小名路(西浅川)から小仏峠へ通じる江戸の時代の甲州道にも街道そぞろ歩きのハイカーがちらほら、細い道に宿場の名残を残す好ましい雰囲気の道を走れば、圏央道の八王子JCTの下から中央本線のレンガのガードを抜け、山へ向かう小道を上がった裏高尾のお立ち台。後ろに小仏峠、右に高尾山、左に八王子の城山を控え、江戸時代には小仏の関所が置かれた要害の隘路。高速道路と綾なしながら一気に山深くなる甲州への道のとば口に立って子供と構える午前11時。
まずは前菜、長野色115系。長野車115の行動半径はとっても広く、北は信越本線の柿崎から南は中央本線の立川まで顔を出すのですが、しれっと中央特快のE233と並んで高尾に止まってるのを見るとお前ちょっと出しゃばり過ぎだぞと(笑)。なんつーか、長野色ってのは姨捨だの長坂だの雄大な山並みを望む場所を走るのが似あってるのであって、こういう山深い場所を走るにはやっぱり豊田色の115のほうが似合うと思うのだがいかに。
お次はE257特急あずさ。E351がスーパーあずさ専業で充当されるのとは異なり、あずさ・かいじの両運用で大月や韮崎や山梨市などの中堅都市を細かく拾うオールラウンダー。後ろの大きな螺旋状の構造物は圏央道の八王子JCT、高尾~笹子トンネルまでの未改良が祟って平均速度が上げられないのが東線特急の泣き所ですが、中央道も土休日の夕方は小仏TNを先頭にしたクソ渋滞が毎週のように続くのでどっちもどっちと言ったところか。
先頭には光が回るけど、裏高尾の光線状態がイマイチだったんで巡光の撮影地を探し続けて結局梁川の手前まで来てしまった。聞けばこの土曜日には天皇皇后両陛下のお召しが走ったとかで中央東線沿線は超厳戒態勢の大フィーバーだったらしいが、その反動なのかどこも静かなもの。甲州街道の路側帯からこの周辺では珍しいすっきりしたストレートを駆ける特急あずさ@E257。単線っぽく見えますけど高尾~大月間は複線化の際の線造を別線で付け替えたものが多く、ここも上り線は山側を長いトンネルでぶっこ抜いております。本数が全然違うとはいえ今日はスーパーあずさに出会わんのう。
桂川の対岸から四方津~梁川間を走る山スカを。山間を流れる桂川が作り出した僅かな河岸段丘上の平地を甲州街道と中央東線が走り、それに沿ってウナギの寝床のように梁川の集落が続きます。梁川の駅ってのは中央本線で下って来ると新宿から最初の無人駅だったりするのだが、新宿を基本にすると大月辺りまでは十分に通勤圏内なんでそれなりに新しい住宅も目立ちますね。
子供と一緒にメシ食ったり、新しい撮影地を開拓しがてらロケハンしたりして日が傾きかけた裏高尾へ再び。ここで夕方の山スカ運用549M小淵沢行きを。車内のアコモは長野車に劣るけど、やっぱ笹子からこっちの風景には山スカが馴染みます。バックに映る八王子JCTの右側の森を中央東線は湯(い)の花トンネルで抜けてるんだけど、終戦直前にこんな悲劇的な事件があった事はあまり知られてませんね。
すっかり裏高尾のお立ち台側は陽が当たらなくなって来たんだけど、バックはまだ陽が当たってるようなこんなシチュエーションが一番撮り辛いですね。構図内で明暗の差を出さないように用心しながらタテ構図で。ホントだったら手前のススキは光に当たって輝いてるのがベストだけど、これがないと雑然とした草っぱらの斜面が目立っちゃうしねと言い訳タラタラの特急かいじ。
だんだんと秋の陽は小仏峠へ傾き、そろそろ撮るのもいっぱいかなあと思える時間。この裏高尾から北に山一つ越えた場所にある八王子市の恩方町は、童謡「夕焼け小焼け」の生まれた場所なんだそうだが、ここ裏高尾も雰囲気のある秋の夕暮れになって来た。斜光を浴びて小仏トンネルを出たE257が下って来る姿をインカーブで。線路端のススキと電柱の長い影。
秋の光に輝く道を、初老のハイカー二人連れが帰路を急ぐ姿を見ていると妙にせつなくなって、山のお寺の鐘が鳴る前に道具を仕舞って今日はこれまで。
お手々つないで皆かえろ、カラスと一緒に帰りましょ。
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