青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

如月 立山/秦野

2022年12月12日 17時00分00秒 | カレンダー

(雪の要塞@富山地方鉄道立山線・立山駅)

2月は、北陸の本気の冬を楽しみたくて地鉄へ。行ったのが2月の上旬なので、それなりに雪があるにはあったのだが、一月後半の豪雪のピークは過ぎていたようだ。それでも立山線沿線を奥に奥に向かって詰めて行くと相応の冬らしい景色が残っており、それこそ早朝や深夜は手を外に出すのも憚られるような凍て付く寒さがあった。立山から吹き下ろして来る刺すような風に吹かれながら、夜の立山駅で折り返す60形のワンショット。雪の要塞に囲まれたホームに、人影は全く見えず。

今年の小田急で一番の衝撃と言えば、3月に定期運行から撤退したVSEが挙げられましょうか。ロールアウトから15年かそこらでフラッグシップとも言えるロマンスカーが引退してしまうのは、正直コロナ禍で特急車が余剰となる中でハイスペック過ぎて保守管理が面倒な特殊な油圧装置付きの連接台車連接台車を持つVSEが狙い撃ちにされてしまったのかな、と思わなくもない。普段から目にする車両でもあったから、いきなり「定期運行はなくなります」と言われても素直に撮りに行くのもなんか気恥ずかしいような気もして、結局重い腰を上げたのが引退間際の2月の終わり。朝からスカっ晴れの権現山の展望台に登って、秦野盆地と大磯丘陵、そしてその向こうの箱根外輪山をバックに白き貴婦人の残された日々をシャッターに収めたのでありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

睦月/会津荒海・武川

2022年12月10日 15時00分00秒 | カレンダー

(雪中の交換風景、最後の冬@会津鉄道・会津荒海駅)

早くも今年も12月、って事はぼちぼち一年間の振り返りとして恒例の「来年のカレンダーを作りながら今年を振り返ってみよう」という企画の季節になったという事です。今年の趣味活動、どうだったかなあ・・・と考えてみると、結局ある程度この趣味も年数が経ってくると、自分の好きな所には行くけど、ご新規さんにお邪魔するというのがなかなか少なくなって来るもんだな、と。そうなると、被写体的にはルーティンワークを繰り返してしまっているような気がしてならんのです。あと、明らかに泊まりの遠征が減ってしまったのは反省かも。日帰りで行ける程度の場所しか行っておらんという事だもんな。という訳でスタートは一月、前年末に2023年春のダイヤ改正を持って運用を外れる事が発表された東武6050系を追って子供と雪の南会津へ。薄々気づいてはいたんで、小まめに撮り溜めておいて良かったとは思う。ただ、やはりこの車両が消えてしまってからは、日光鬼怒川方面へ足を向ける事も少なくなりましたねえ・・・

両パン時期の秩父詣でも私的ルーティンワークの一つ。今年のトピックスは、デキ105の茶色塗装化ですね。今はスカイブルーを標準色とする秩父のデキですが、スカイブルー以前の国鉄の旧型電機チックな茶色塗装を復刻。裾に巻かれたホワイトラインがキリっと全体のイメージを引き締めていますよね。何年か前に茶釜塗装はあったけど(デキ505だっけ?)、やはり100番台に塗られると風格が違うって感じでカッコいい。確かこの日は冬場の中でも一番撮影しやすい720Xのスジに入ってくれたんで、終日まったりとリバイバルカラーを愛でる事が出来たのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上州の 風に吹かれて 旅の味。

2022年12月05日 17時00分00秒 | バス

(戦い済んで日が暮れて@群馬藤岡駅前)

上野村から神流町、そして万場での休憩を経て、午後の奥多野線バスは神流川の流れを新町駅へ向けて戻って行きます。神流町ではハイキング帰りの乗客を、鬼石から藤岡へ向かって、そこそこの停留所からそこそこの乗客があり、新町駅に向かって立ち客も出る状態になりました。何となくバスの車内もワサワサッとした感じになりましたので、帰りは敢えて新町の駅までは出ず、途中の群馬藤岡駅で下車してみることに。

釣瓶落としの秋の日はとうに暮れた群馬藤岡の駅。トンガリ屋根が瀟洒なスタイルです。群馬県の旧国名は上野(こうずけ)国ですが、常磐・東北・上越方面のターミナルである上野駅との混同を避けて、旧国名を冠した駅は一つもありません。その代わり、県名である「群馬」を冠した駅はいくつかあって、群馬総社(上越線)、群馬八幡(信越本線)、群馬原町(吾妻線)、そしてここ群馬藤岡があります。この駅が八高北線として開業したのは1931年(昭和6年)のこと。その僅か2年前に、東武日光線に藤岡駅(栃木県旧藤岡町)が開業しており、そことの混同を避けたものと思われます。

ここ群馬藤岡と、一つ先の児玉までは高崎市への通勤通学圏内と見え、ダイヤ的にもそれなりの本数が設定されています。八高線で一番本数の少ないローカルな区間ってのが小川町~児玉間なのだけど、秩父鉄道と接続する寄居周辺がエアポケットなのは、勿論並行して東武東上線があったりする点もそうだろうし、関東の長大ローカル線である八高線を通しで乗り通すタテの移動の需要は少ないという事なのでしょうな。折しも夕方の帰宅時間、八高線のエース車両であるキハ110から、それぞれ大勢の学生が降りて来て、改札口へ去って行きます。群馬の高校生、キハの窓辺にスタバを置いて、帰りの列車でウトウトと微睡む。高崎デートの帰りかな。

帰りは群馬藤岡から高崎へ出て、上野東京ラインの始発グリーンでもキメて帰ろうという趣向。この時間でも、八高線の藤岡方面から高崎方面への流動はそれなり。藤岡市に県立高校が3つくらいあるので、土曜日でも部活とか校外活動とかの需要は多いんでしょうね。

時間が夕方時だったので、少し小腹を満たしてから帰りたく、高崎駅ホームの立ち食いそばでおばちゃんにかき揚げそばの注文を乞う。のだが、「ごめんねー!今日天ぷらみんな売れちゃって!たぬきくらいしかないけど!今日はお天気良くていっぱい出ちゃったのよ!アタシも今日は売れそうだと思ってさ!いっぱい揚げたんだけど!ごめんねー!」という事で、たぬきそばになった。ワカメたっぷり、揚げ置きで少ししなっとした揚げ玉に、関東らしい醤油濃いめのツユが染み込んで行く。正直麺は袋めんの茹でそばで、くたっとした感じのいわゆる昔ながらの味なんだけど、美味いとか美味くないじゃなくて、この高崎の立ち食いそばは「ホームの風」で食わせる味なんだよな。看板にあるように、まさに「旅の味」なんだよ。

自分がたぬきそばを手繰っている間にも、ポツリポツリと地元客が入って来て注文をしていくホームの立ち食いそば。今は立ち食いそばに限らずみんな供食店舗をコンコースに引き上げちゃうけど、ホームの風を調味料にして食わせる味ってのがあんだよね。国鉄の時代は駅弁駅そばを中心に外部業者に委託する業務が多くて(「民業圧迫」とならぬよう、国鉄として携われる業務に制限があった)、それがバリエーションに繋がっていたものだけど、結局鉄道会社の本業が不動産デベロッパーになった結果「自分のシマで外部業者に仕事させる」事に忌避感が強くなり、既存業者の契約を打ち切って没個性化したのが平成以降の駅の供食事情。勿論ハイブランドの有名店が駅のモールを飾る事でオシャレで豊かになった側面もあるけど、やっぱりこういうホームの立ち食いそば店みたいな雰囲気ってのは得難いもんがあるよね。

ちなみに個人的には、高崎駅は上信電鉄のホームの脇っちょにある「たかべん」の立ち食いそばの醤油ラーメンが好きだった。それこそ高崎競馬があった頃からバリバリに贔屓にしてたんですよね。気付いたらいつの間にかたかべんじゃなくなってたんだよな、あの立ち食いそば。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西上州、バス旅は酔いて朧に。 

2022年12月03日 09時00分00秒 | バス

(山の味@上野村ふれあい館)

しおじの湯から、紅葉の山を愛でながら歩いて一時間程度。村の物産を扱う「上野村ふれあい館」にやって来ました。クルマではないのであまり大荷物にはしたくないのだけど、ひょんな事から折角ここまでやって来たのだから何かお土産を・・・と物産館の中をウロウロ。イワナの燻製や甘露煮、天然のはちみつ、クルミ、木工製品などなどやはり山のモノが多い訳ですが、一番フィーチャーされていた「十石みそ」という麦みそを購入。秩父から群馬にかけては美味しい味噌蔵が多いっすよね。私が愛用しているのは秩父のヤマブ味噌なのだけど、これで煮ぼととか豚味噌とか作るのが最高に美味しいのよ。

西上州の山間部を繋ぐ奥多野線のポンチョ。撮り鉄・・・はするのだけど、撮りバスはあまりやったことがない。列車もそうだが、車体の角度の取り方が難しいっすね。あと、バスの場合って基本的に乗降口がある側がオモテ面なんだろうけど、そうなると道路の歩道側から撮影するしかないのかしら。例えばだけど、オモテ面を順光で狙うには、南面した広い交差点で東側から来たバスが左折するところをインから狙う、みたいな極めて限られたシーンでしかカットが狙いにくいですね。交通の多い都市部でバス撮りしてる人とか、レールの上を確実にやって来る鉄道とは違うご苦労が絶えないのではないかと・・・

「しおじの湯」へ向かう午後のバス。これが折り返して来て私の乗る新町行きのバスとなるのでしょう。11月の上旬の上野村の紅葉は実に見事と言うほかはなく、物産館の路傍に植わった真っ赤に色付いたモミジが、早くも山影に入り始めた上野村の国道を往く西上州の長距離路線バスにエールを送っておりました。

バスが折り返してくるまでの30分、物産館のテラスで売店で買った缶チューハイを吞みながらまったりと紅葉を愛でる。午後の光に鮮やかにガラスに写り込んだ紅葉がシンメトリーに美しく。昼食に続いてのアルコール投入、全ての感情を大自然に放り出して一人でチビチビとやっていたら、だんだんと世の中の事はどうでも良くなって来る。どうせであればこのままこの村に泊まって、もう少し山里の静かな秋を楽しみたい気持ちもあったのだけど、無慈悲にもバスの到着する時間となった。しゃあねえ、行くか。

上野村ふれあい館15時発の新町駅前行バスが到着。バスは名産のイノブタがあしらわれた「おいでよ!上野村」のラッピングバス。あれ、さっき「しおじの湯」に向けて登ってったバスじゃないのね。さすがに同じ乗務員がインターバルを持たずに70km以上の距離を往復する行路にはなっていないのだろうか。10:40に新町駅発のふれあい館行きのバスがあるので、これが休憩を挟んでしおじの湯14:50発のバスに充当されているのかな。片道3時間なので、即折り返しの行路では乗務員さんがトイレも昼食の時間も取れないだろうしな。

日の暮れた上野村の山里を走る日野ポンチョ。尻から伝わるゴツゴツとした振動に体を預け、小さな集落のバス停の名前が淡々と読み上げられていくのをただ聞いていた。「恐竜センター」ってバス停がいきなり出て来てビックリしたり。上野村や神流町の周辺は、秩父山地から続く石灰岩質の山塊が多く、採掘の際に恐竜の化石が出土する事も多いのだとか。そう言えば、秩父鉄道で武州原谷から積み込まれる石灰石を産出している叶山鉱山ってのも、山自体がペルム紀に造成された巨大な石灰岩体で、上野村と神流町に跨ったあたりにあるのだったなあ。

砥根平、小春、乙父(おっち)、乙母(おとも)、蛇木、尾附、古鉄橋、伝田郷・・・何しろ新町駅まで130近くのバス停を通過する路線である。特徴的な名前もいくつかあったのだが、アルコール混じりの虚ろなアタマでは、とても覚えきれるものではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする