今日の「田中利典師曰く」は、〈師の教え〉(利典師のブログ 2017.2.12 付)。前回の朝日放送ラジオ「ちょっといい話」(一心寺提供)の後編である。師とは、五條順教猊下(げいか)のこと。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜。コロナ渦中の2020.3.30に撮影した
お坊さんになったばかりの利典師が、順教猊下から「志を大きく持ちなさい」というアドバイスを受けられたという話は、別のところでも書いておられた。それが利典師の心の大きな支えになり、のち吉野大峯の世界遺産登録(2004年)として実を結んだ。そこからまた、「紀伊山地三霊場会議」という協議会も生まれるという好循環が続く。では、以下に全文を紹介する。
「師の教え」・・・田中利典著述集290212
昨日の続きです。
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「師の教え」
私は15で得度を受けて僧侶になりました。ですから前の管長様には15の時からお仕えしました。管長さんはあんまりいろんなことを細かくは教えたりはされなかったんですが、一番最初に言われたことが「志を大きく持ちなさい」という言葉でした。
で、その後こうしていろんなことをさせていただくようにはなるんですけれども、最初に管長様にそう教えられたことが私の大きな支えになっています。
金峯山寺は平成16年に「世界文化遺産」に登録されましたが、この時も金峯山寺を世界遺産に登録出来ないかということで、ちょうど平成11年の12月25日、…金峯山寺は昔からなぜか12月25日が一山の納会(忘年会)なんですね。
で、この忘年会の席で管長様に「金峯山寺の世界遺産登録の運動を始めたいのですが」と申し上げたら「やってみろ」ということになりましてね。そこから始めるのですけれども、それも「志を大きく仕事をしなさい」っていうことをずっと言われていたので、ほんとはなるかどうか分からないけれどもともかくやってみようということで始めたのでした。
まあ、ほんとはなかなかそんなに簡単にいかないはずなんですが、ところが結構簡単にいったんですよ。平成11年の秋頃から私の中では思いついて、平成12年の11月には文化審議会で答申されました。もっと前から高野山、熊野は世界遺産の登録運動を始めておられたのですが、私はそれを知らなかったんですね。
ところが、私(吉野)が手を上げることで、紀伊半島全体で、吉野と熊野と高野がつながった。金峯山寺というお寺と金峯山寺が行っている吉野から熊野まで修行する「大峯奥駈修行」というのがあるんですが、このお寺と道の両方で世界遺産登録を目指したのです。
その奥駈の道がつながることで吉野と熊野がつながった。で、熊野には「熊野古道」という、高野とも大阪ともお伊勢さんともつながる道があった。紀伊半島全体が道でつながって、しかも吉野は修験道の聖地、高野は真言密教の聖地、熊野は神道の聖地。それぞれ違う宗教が道でつながることになりました。
日本人のいわゆる、神さんも仏さんも等しく拝んできたその日本独特の宗教文化・精神文化が、長年にわたって紀伊半島の大きな自然の中で育まれてきたという文化的景観がキーワードになって、あっという間に登録をされるんです。でも地元は初め「世界遺産になんか簡単になるかい?」という、そんなような空気もあったんですね。
奈良県も最初は「もうすでに奈良市の寺社と、斑鳩の法隆寺と二つもあるから仕事が増えるだけやし、動き回るのはやめてほしいなぁ」という消極的な感じだったのですが、県庁の中には応援をしてくれる人もあって、正式な登録活動をはじめてからわずか4年、平成16年7月8日に正式登録されたのでした。
ほんとにあっという間に、実現したのです。私は「世界最速」と言ってるんですよ(笑)。今は全国各地そこらじゅうで世界遺産登録の運動が始まってますが、高野にしろ熊野にしろ吉野にしろ、地元から推進して世界遺産登録が実現した事例の始まりのような形になりました。地域全体で、その地域が守ってきたいろんな資産を守っていこうという活動です。
その後、今度は登録が叶っただけではなくてそのことを始まりとして、世界遺産は自然と文化を二つながら保護・保全していこうというのが本来の目的ですから、熊野と高野にお声掛けして「紀伊山地三霊場会議」という、登録資産を持っている者同士の連絡協議会をつくりました。
紀伊山地の三霊場というのは道も登録されていますし、三つの霊場が大変広く、1万3千ヘクタールという日本で一番広大な広がりがあります。その分、いろんなことが起こるじゃないですか。
ですからやはり皆で考えていこう、次の世代に伝えられるように、守っていくためには単に文化振興とか、観光振興とかではなくて、守っていくための手立ても考えようという取り組みです。
現在(当時)は高野山の松長有慶座主猊下に総裁を務めていただいて、年に一回守るための会議を開催しています。そういう大きな活動を進めて来られたのも、若い頃に管長猊下に「志を大きく持ったお坊さんになりなさい」という教えをいただいたお陰と思っています。
38年間お務めして、先年管長様はお亡くなりにはなるのですけれども、今でも管長様の墓前に行くと、自分に「志を大きく行動しているか。これで間違いがないか」と、自問自答しています。
ほんとにあまり細かいことはおっしゃらなかったのですが、最初にそういうことを言うていただいたことが、後々の自分をつくっていくのに大きな力になった、と思っています。大変、私にとってありがたいことですね。
そういう意味では単に世界遺産になったことをゴールとせずに、なったことから始めるということで次の世代につなげていく、そういう志を継ぐ人をお寺の中に、あるいは地元の人の中につくっていくことも、管長様の「志を大きく持ちなさい」とお教えていただいたことを、若い人たちにつなげていくことになるのではないかなと思っているところです。 (平成24年12月30日 放送)
※『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)より
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本文は昨日につづき、朝日放送ラジオの一心寺提供「ちょっといい話」に出演した内容が書籍になって出た文章の転記ですが、放送内容自体は毎回、全然違うものなので、話も別です。
局から出演に際して、2つ話を用意してくださいと言われていて、順教猊下のことを紹介しました。半分、私の自慢話みたいになってしまいましたが…。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜。コロナ渦中の2020.3.30に撮影した
お坊さんになったばかりの利典師が、順教猊下から「志を大きく持ちなさい」というアドバイスを受けられたという話は、別のところでも書いておられた。それが利典師の心の大きな支えになり、のち吉野大峯の世界遺産登録(2004年)として実を結んだ。そこからまた、「紀伊山地三霊場会議」という協議会も生まれるという好循環が続く。では、以下に全文を紹介する。
「師の教え」・・・田中利典著述集290212
昨日の続きです。
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「師の教え」
私は15で得度を受けて僧侶になりました。ですから前の管長様には15の時からお仕えしました。管長さんはあんまりいろんなことを細かくは教えたりはされなかったんですが、一番最初に言われたことが「志を大きく持ちなさい」という言葉でした。
で、その後こうしていろんなことをさせていただくようにはなるんですけれども、最初に管長様にそう教えられたことが私の大きな支えになっています。
金峯山寺は平成16年に「世界文化遺産」に登録されましたが、この時も金峯山寺を世界遺産に登録出来ないかということで、ちょうど平成11年の12月25日、…金峯山寺は昔からなぜか12月25日が一山の納会(忘年会)なんですね。
で、この忘年会の席で管長様に「金峯山寺の世界遺産登録の運動を始めたいのですが」と申し上げたら「やってみろ」ということになりましてね。そこから始めるのですけれども、それも「志を大きく仕事をしなさい」っていうことをずっと言われていたので、ほんとはなるかどうか分からないけれどもともかくやってみようということで始めたのでした。
まあ、ほんとはなかなかそんなに簡単にいかないはずなんですが、ところが結構簡単にいったんですよ。平成11年の秋頃から私の中では思いついて、平成12年の11月には文化審議会で答申されました。もっと前から高野山、熊野は世界遺産の登録運動を始めておられたのですが、私はそれを知らなかったんですね。
ところが、私(吉野)が手を上げることで、紀伊半島全体で、吉野と熊野と高野がつながった。金峯山寺というお寺と金峯山寺が行っている吉野から熊野まで修行する「大峯奥駈修行」というのがあるんですが、このお寺と道の両方で世界遺産登録を目指したのです。
その奥駈の道がつながることで吉野と熊野がつながった。で、熊野には「熊野古道」という、高野とも大阪ともお伊勢さんともつながる道があった。紀伊半島全体が道でつながって、しかも吉野は修験道の聖地、高野は真言密教の聖地、熊野は神道の聖地。それぞれ違う宗教が道でつながることになりました。
日本人のいわゆる、神さんも仏さんも等しく拝んできたその日本独特の宗教文化・精神文化が、長年にわたって紀伊半島の大きな自然の中で育まれてきたという文化的景観がキーワードになって、あっという間に登録をされるんです。でも地元は初め「世界遺産になんか簡単になるかい?」という、そんなような空気もあったんですね。
奈良県も最初は「もうすでに奈良市の寺社と、斑鳩の法隆寺と二つもあるから仕事が増えるだけやし、動き回るのはやめてほしいなぁ」という消極的な感じだったのですが、県庁の中には応援をしてくれる人もあって、正式な登録活動をはじめてからわずか4年、平成16年7月8日に正式登録されたのでした。
ほんとにあっという間に、実現したのです。私は「世界最速」と言ってるんですよ(笑)。今は全国各地そこらじゅうで世界遺産登録の運動が始まってますが、高野にしろ熊野にしろ吉野にしろ、地元から推進して世界遺産登録が実現した事例の始まりのような形になりました。地域全体で、その地域が守ってきたいろんな資産を守っていこうという活動です。
その後、今度は登録が叶っただけではなくてそのことを始まりとして、世界遺産は自然と文化を二つながら保護・保全していこうというのが本来の目的ですから、熊野と高野にお声掛けして「紀伊山地三霊場会議」という、登録資産を持っている者同士の連絡協議会をつくりました。
紀伊山地の三霊場というのは道も登録されていますし、三つの霊場が大変広く、1万3千ヘクタールという日本で一番広大な広がりがあります。その分、いろんなことが起こるじゃないですか。
ですからやはり皆で考えていこう、次の世代に伝えられるように、守っていくためには単に文化振興とか、観光振興とかではなくて、守っていくための手立ても考えようという取り組みです。
現在(当時)は高野山の松長有慶座主猊下に総裁を務めていただいて、年に一回守るための会議を開催しています。そういう大きな活動を進めて来られたのも、若い頃に管長猊下に「志を大きく持ったお坊さんになりなさい」という教えをいただいたお陰と思っています。
38年間お務めして、先年管長様はお亡くなりにはなるのですけれども、今でも管長様の墓前に行くと、自分に「志を大きく行動しているか。これで間違いがないか」と、自問自答しています。
ほんとにあまり細かいことはおっしゃらなかったのですが、最初にそういうことを言うていただいたことが、後々の自分をつくっていくのに大きな力になった、と思っています。大変、私にとってありがたいことですね。
そういう意味では単に世界遺産になったことをゴールとせずに、なったことから始めるということで次の世代につなげていく、そういう志を継ぐ人をお寺の中に、あるいは地元の人の中につくっていくことも、管長様の「志を大きく持ちなさい」とお教えていただいたことを、若い人たちにつなげていくことになるのではないかなと思っているところです。 (平成24年12月30日 放送)
※『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)より
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本文は昨日につづき、朝日放送ラジオの一心寺提供「ちょっといい話」に出演した内容が書籍になって出た文章の転記ですが、放送内容自体は毎回、全然違うものなので、話も別です。
局から出演に際して、2つ話を用意してくださいと言われていて、順教猊下のことを紹介しました。半分、私の自慢話みたいになってしまいましたが…。