今日の「田中利典師曰く」は、〈蝋月供養法〉(師のブログ 2017.12.5 付)。年の暮れの蝋月(臘月=12月)の1日~8日に、1年を振り返って「蔵王権現供養法」を毎朝1座、行じるということなのだ。〈この思いつきは、吉野の権現様から、自坊の権現様への、思し召しだったのかもしれない〉とお書きである。では、以下に全文を紹介する。
※トップ写真は、椿寿庵(ちんじゅあん=大和郡山市)の椿(2010.2.6 撮影)
「蝋月供養法」
蝋月、つまり12月である。この12月1日から8日まで、禅宗では蝋八大接心といい、お釈迦さまがお悟りを開かれた成道(じょうどう)を記念して、昼夜寝ずに座禅する修行会がある。私は禅宗門ではないので、接心の座禅は出来ないが、代わりに、1日から8日まで蔵王権現供養法を毎朝、1座つとめている。
平成26年春に吉野山の役職を辞して、故郷綾部の自坊林南院に帰山したが、その節、50日100座の蔵王権現供養法を修した。自坊での活動を本格的に行っていくという、私なりの覚悟での修行だったが、だんだんと身辺が忙しくなり、またまた自坊のことがおろそかになりつつある。
そんな中、先の金峯山寺八千枚大護摩供で随喜した折、管長の八千枚護摩供修法の脇で、管長登壇の毎座ごとに、蔵王権現供養法を行じた。それが八座だった。そしてそのとき、自坊での、蝋八供養法を発心するところとなったのである。この思いつきは、吉野の権現様から、自坊の権現様への、思し召しだったのかもしれない。
自坊は来年開山45年を迎える。師である父の開基以来、綾部の地に金峯山修験の法灯が灯り、その灯を受け継いだ私だが、父のようにはなかなか大きな灯になっていかない。私なりの灯火のつなぎ方があるのかもしれないと懊悩する中で、ともかく、長年怠ったご本尊のご供養を申し上げようと発心した次第である。
生来、自分のこととなると、あまり熱心に取り組めないところがある。しかしながらまずは足下を堅固にしないと、なにをやっても砂上の楼閣となってしまうだろう。ただいま、猛省中である。
今年は5月に(マイコプラズマ)肺炎に罹患し、その後も体調不良が続いている。いろいろと考えるところも多い毎日なのである。蝋月にこの一年を振り返り、修行のひとときを過ごさせていただいている。ありがたいことである。とりあえずは蝋八をきちんとおさめて、また前に進むことが出来ればと思っている。
※トップ写真は、椿寿庵(ちんじゅあん=大和郡山市)の椿(2010.2.6 撮影)
「蝋月供養法」
蝋月、つまり12月である。この12月1日から8日まで、禅宗では蝋八大接心といい、お釈迦さまがお悟りを開かれた成道(じょうどう)を記念して、昼夜寝ずに座禅する修行会がある。私は禅宗門ではないので、接心の座禅は出来ないが、代わりに、1日から8日まで蔵王権現供養法を毎朝、1座つとめている。
平成26年春に吉野山の役職を辞して、故郷綾部の自坊林南院に帰山したが、その節、50日100座の蔵王権現供養法を修した。自坊での活動を本格的に行っていくという、私なりの覚悟での修行だったが、だんだんと身辺が忙しくなり、またまた自坊のことがおろそかになりつつある。
そんな中、先の金峯山寺八千枚大護摩供で随喜した折、管長の八千枚護摩供修法の脇で、管長登壇の毎座ごとに、蔵王権現供養法を行じた。それが八座だった。そしてそのとき、自坊での、蝋八供養法を発心するところとなったのである。この思いつきは、吉野の権現様から、自坊の権現様への、思し召しだったのかもしれない。
自坊は来年開山45年を迎える。師である父の開基以来、綾部の地に金峯山修験の法灯が灯り、その灯を受け継いだ私だが、父のようにはなかなか大きな灯になっていかない。私なりの灯火のつなぎ方があるのかもしれないと懊悩する中で、ともかく、長年怠ったご本尊のご供養を申し上げようと発心した次第である。
生来、自分のこととなると、あまり熱心に取り組めないところがある。しかしながらまずは足下を堅固にしないと、なにをやっても砂上の楼閣となってしまうだろう。ただいま、猛省中である。
今年は5月に(マイコプラズマ)肺炎に罹患し、その後も体調不良が続いている。いろいろと考えるところも多い毎日なのである。蝋月にこの一年を振り返り、修行のひとときを過ごさせていただいている。ありがたいことである。とりあえずは蝋八をきちんとおさめて、また前に進むことが出来ればと思っている。