澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ネパールの”毛沢東”派

2008年05月31日 18時09分30秒 | Weblog

”毛沢東派”などという懐かしい言葉が飛び込んできた。

つい先日、「共和制」に移行したネパールでは、”毛沢東派”が結構な勢力を維持しているらしい。
本家の中国では”毛沢東思想”など歴史の片隅に追いやられてしまった。貧困と恐怖政治が基盤となる毛沢東型支配は、もはや時代遅れなのだろう。

ところが、ネパールに今頃こんな連中が残っていたとは…。懐かしくもあり、複雑な思いだ。

 

<ネパール>毛派ゲリラ不安 「兵士以外の生きる道知らぬ」

5月30日13時30分配信 毎日新聞


<ネパール>毛派ゲリラ不安 「兵士以外の生きる道知らぬ」

木材でかたどった「模造銃」を構え、射撃法を確認する女性兵士=ネパール南西部で2008年5月27日、栗田慎一撮影

 「私たちはどうなるのか」。ネパール南西部の山奥で軍事訓練を続ける旧反政府武装組織「共産党毛沢東主義派」(毛派)の兵士たちが不安を漏らした。28日、王制から共和制に移行し、毛派主導で連立政権が発足するネパール。だが連立相手の政党勢力は、毛派が部隊を維持していることに警戒感が強く、毛派が求める部隊の国軍との統合にも否定的だ。その処遇をめぐって、新政権の安定を揺るがす火種にもなりかねない、毛派部隊の宿営地を訪ねた。【ダシュラトプール(ネパール南西部)で栗田慎一】

 宿営地は、標高1000メートルの険しい山々と深い峡谷に囲まれていた。07年1月から始まった国連監視下での武装解除で、宿営地内に国連の監視員が常駐。武器は鍵のかかった倉庫に保管されている。ただ、護身用に小型の拳銃などを持ち歩くことは認められている。

 プラティック司令官(34)によると、兵士は約5000人。多くが貧困家庭出身で10代で毛派に「参加」、うち2割が女性だ。

 平均年齢25歳前後の若い兵士たちは、「統合の準備」を名目に訓練を続けている。訓練所は宿営地から徒歩約2時間の山腹にあり、現地語で勝利を意味する「ギート」と名付けられていた。

 「遅れるな」「乱れるな」。兵士たちは監督官が叫ぶ中、山道でランニングをこなしていた。午後になると、木製の「模造銃」を構え、一斉攻撃時の配置確認などを続けた。「きついけど充実している」。21歳の男性兵士は、息を切らしながらも笑顔で語った。

 新政権で首相就任が確実な毛派最高幹部のプラチャンダ書記長は、「06年の政府との和平合意の際、国軍統合が約束されていた」と主張し続ける。しかし、国軍は「ゲリラと正規軍では戦い方も思想も違う」と拒否。政党勢力も「別の治安組織を新設する方が現実的」と否定的だ。

 4年前に国軍との戦闘で夫が死んだというビンドゥ旅団副司令官(26)は、「我々は兵士以外の生きる道を知らない。国軍統合がかなうことを願うしかない」と訴えた。


野村監督と巨人・伊原コーチの遺恨

2008年05月31日 13時05分54秒 | Weblog
野村監督の「バカじゃなかろ~か、ルンバ♪」発言が波紋を呼んでいるそうだ。
交流戦「巨人×楽天」(第2戦)を見たが、巨人は谷選手にバンドをさせて、後続の二人が三振したりで、ちぐはぐな攻撃ばかりだった。

楽天・朝井投手の力投が光った。朝井と言えば、地方の農家の次男坊といった風貌。都会気取りの巨人には「ありえない」選手だ。

仙台クリネックス・スタジアムでの楽天は、特にすばらしい。試合に勝った時の選手とファンの一体感は、東京ドームでは見られない種類のものだ。
残る巨人戦は仙台で行われる。岩隈と田中マーくんで連勝だ。

くたばれジャイアンツ!!


ノムさん 連日“毒ガス”「礼儀知らずが」  楽天・野村克也監督(72)と巨人の伊原春樹ヘッドコーチ(59)に30日、遺恨が再燃した。前日、巨人のさい配を「バカじゃなかろ~か、ルンバ♪」と批判した野村監督に対し、伊原ヘッドが「年寄りだから仕方がない」とやり返したことから問題はエスカレート。沙知代夫人の処女小説「老疼の雫」の出版を記念して都内で行われたサイン会に同席した野村監督は、伊原発言に皮肉タップリ。「礼儀知らず」と切り捨てた。

  ◇  ◇  楽天・野村監督は、自身に対し「お年寄り」呼ばわりした巨人・伊原春樹ヘッドコーチを「礼儀知らずがコーチやってるんだから、(巨人の実力を)推して図るべし」とバッサリと切り捨てた。 今回の発端は29日の試合。楽天2点リードの九回、二死一塁から矢野の盗塁死で試合終了。セオリー無視の盗塁と考えた野村監督は「バカじゃなかろ~か、ルンバ♪」と鼻歌で、相手の作戦を強烈に皮肉った。 一夜明けても「あの場面は120%、歩いて(二塁に)行けるようでなければな。そう思ったから言ったんだ。深い意味はない」と改めて解説。さらに「原(監督)の指示ではないというのは分かったんだよ。伊原が行かせたのなら、なお納得だ」とも付け加えた。
 野村監督と伊原ヘッドは1979年から2年間、同じ西武で現役としてプレー。00年の阪神では、監督と守備走塁コーチとして戦った。だが、野村監督は阪神時代、伊原コーチに対し「阪神のときもめちゃくちゃしよった。『盗塁だけは僕に任せてください』と言うから任せたら、出たランナーみんな走らせる。参ったよ」と不信感を募らせ、同コーチはわずか1年でユニホームを脱いだ。それ以降、伊原コーチは球場で会ってもあいさつもないという。遺恨はくすぶり続けていた。
 巨人とは6月14日からのホーム2連戦で対決する。「おれに負けるから悔しいんでしょ。おれに対する敵対心だよ。おれにやられるから腹が立つ。非常にいい(敵対)関係だよ」。現役時代から一貫して巨人に並々ならぬライバル心を燃やし続けてきたノムさん。今回の伊原発言は望むところとばかりに、不敵な笑みが浮かんだ。