澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

李登輝氏の講演記録

2010年08月22日 09時29分25秒 | 台湾

 先月、李登輝氏が講演した内容をまとめた資料が、「台湾の声」に掲載された。
 分かりやすくまとめられているので、ここに転載させていただく。 

 

 李登輝元台湾総統講演資料
「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」

一、はしがき

台湾と日本は西太平洋に位置する島国で、最も近い近隣であり、人的交
流はもちろん、経済関係に至っては非常に密接な関係にあります。しかし
共に内在的精神の了解に欠け、今日台湾と日本の文化交流における大き
な問題となっています。今日は、台湾の立場に立ち、この百年来の両国の
歴史発展を中心に政治と文化について、①日本植民地時代(1895年~19
45年)、②国民党統治時代(1945年~1990年)、③1990年から現在迄~の
三段階に分けてご説明します。


二、日本統治下の台湾は近代社会に邁進

日本は台湾を1895年から1945年迄50年間統治し、台湾を伝統的な農業
社会から近代社会へ大きく変化させました。また、日本は台湾に近代工業
資本主義の経営観念を導入しました。

台湾製糖株式会社の設立は、台湾の工業化の基礎となり、台湾銀行の設
立によって近代金融経済が採り入れられました。また、度量衡と貨幣を統
一して、台湾各地の流通を早めました。1908年の縦貫鉄道の開通により、
南北の距離は著しく短縮され、灌漑水路水力発電所の完成は農業生産力
を高め、工業化に大きく一歩踏み出すことが出来ました。

行政面では、全島に統一した政府組織が出来上がり、公平な司法制度
が敷かれました。これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新さ
せ、台湾は新しい社会に踏み入ることが出来ました。

また、日本は台湾に新しい教育を導入しました。台湾人は公学校を通し
て新しい知識である博物・数学・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸
収し、伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出し、近代的な国民意識が培わ
れました。1925年には台北高等学校、1928年に台北帝国大学が創立され、
台湾人は大学に入る機会を得ました。ある者は直接、内地である日本の
大学に進学しました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の
社会変化は、日を追って早くなりました。近代観念が台湾に導入された後、
時間を守る、法を遵守する、更に、金融・貨幣・衛生、そして、新型の経営
観念が徐々に新台湾人を作り上げていきました。


三、台湾意識の台頭

台湾人は新しい教育を受け、徐々に世界新思潮と新観念を抱くようになり、
台湾人の地位が日本人に比べて低い事に気が付き、台湾意識が芽生えま
した。1920年頃、台湾人は西側の新思潮の影響を受けて、様々な社会団体
を作り、選挙・自決独立など様々な主張をし、日本は台湾人に当然の権利
を与えるべきだと要求しました。こうした台湾人の政治運動と主張は、日本
の制圧によって成功しませんでしたが、台湾は台湾人の台湾であるという考
えが生まれました。これが戦後国民党に対抗する理念と力になったのです。
同じ頃、文学、美術、歌劇など台湾人意識を主体とする台湾文化が続々と
生まれました。


四、戦後、国民党は「日本化」を抹殺し、「中国化」を導入

1945年国民政府が台湾を接収し、「日本化抹殺」の政策のもと、台湾人に
対し、日本語をしゃべるべからず、書くべからずを強要しました。日本語の
雑誌、映画なども制限し、「日本化」を消し去ると同時に、国民党は中国人
の観点による歴史文化を注入し、台湾人を中国人に変えようとしました。

台湾と日本の関係は1945年以後、急速に変わり、国民党の反日政策のた
め、台湾の若者は徐々に日本離れし、日本を知らなくなりました。日本が台
湾を統治した歴史は、教科書には載らず、歴史学者も研究しなくなりました。
日本教育を受けた先輩たちがおおっぴらに日本を語らないのは、国民党を
恐れていたからです。

国民党の大中華思想の教育のもとで、台湾人の気質にも変化が表れまし
た。法の遵守・勤勉・清廉、責任感などの美徳は失われ、反対に中国人の
投機性、法を破る、善悪転倒、賄賂特権の習性が強くなり、台湾人精神も失
われていきました。


五、戒厳令体制と台湾民主運動

1945年10月、国民党政府は台湾を接収した後、政治は腐敗、物価は高騰
し、社会秩序は混乱を招き、1947年2月には二・二八事件が起こりました。
国民党は中国大陸から兵を送り込んで鎮圧にあたり、台湾のエリート、民
衆を数万人惨殺し、台湾人を恐怖の底に陥れ、台湾人の政治に関わる勇
気を喪失させました。

1949年5月、国民党政府は台湾に戒厳令を布き、暫くして中国大陸の内
戦に敗れて台湾に退いて来ました。そして自らの政権を堅固なものにする
ため、多数の反対分子を逮捕しました。これが所謂1950年来の、「白色テ
ロ」と呼ばれるものです。国民党は更に「反攻大陸」を国策とし、独裁体制
を作り上げました。戒厳令は38年間続き、1987年になってようやく解除され
ました。台湾人が如何に言論思想や結社の自由を剥奪されていたか、不安
と恐怖の中での生活だったか、皆さんも想像できるでしょう。

戒厳体制を打ち破るため、台湾のエリートたちは長い時間をかけ、多数
の犠牲者を出し、倒れてもやまず、絶えず奮闘した結果、国民党も遂に譲
歩せざるを得ませんでした。私、李登輝が台湾人として、初めての総統に
就任してからの12年間は、台湾の人民の期待に沿うことが出来るよう、「民
主化」と「台湾本土化」の政策を実行しました。先ずは、いわゆる万年国会
を解散、終結させ、中央民意代表(国会議員)を全面改選しました。さらに、
1996年には歴史上初めての人民による総統直接選挙を実行しました。そ
の結果、「主権在民」の観念を徐々に定着させる事ができ、台湾人民は国
民党の統制から離れて台湾主体の観念を持てるようになりました。


六、1990年後は台湾に新国家建立の潮流現る

民衆の力こそ台湾を変える原動力です。この力は、台湾内部の政治構
造を変えただけでなく、中国との関係も、過去の内戦型対立状態から国と
国の関係に変えました。台湾は平等互恵の立場で中国と平和互恵の関係
を樹立したいと思っております。

多くの日本人が、中国の宣伝や脅しに乗って、「台湾は中国の一部であり、
台湾は独立の条件が整っていない」と思っておられるようです。しかし、一度
台湾に来られて台湾人の考えを聞き、活気溢れる台湾の社会を見て、台湾
の自由民主を感じた方ならば、台湾人が何故、新国家を建設するのか、自
ずと分かっていただけると思います。

台湾は海峡を挟んで中国と向き合っていますが、それでも「台湾正名」(台
湾の国名を正しくする)運動、「国民投票による憲法制定」、「新国家建設の
主張」などを敢えて唱える活力を有しています。これらは台湾精神から来て
います。台湾人は、質実剛健・実践能力・勇敢・挑戦的な天性の気質に加
えて、日本統治時代に養われた法を守る、責任を負う、仕事を忠実に行う
などの精神を備えています。これが台湾人の長所であり、窮すればするほ
ど強くなり、権威統治のもとでも、台湾人としての主体意識を確立することの
出来る最高の精神なのです。


七、日本が台湾新国家建設の動力を理解してこそ、両国の未来関係が構
築できる

日本の若い世代は外敵もなく、内乱もない安定した社会で育ちました。生
活は豊かで保障されています。その反面、危機意識がなく、改革意識も失
われているようです。中国に対しては何も言えず、不公平や不義に対して胸
を張って正す事が出来ないようです。昔の日本人が持っていた公に尽くし、
責任を負い、忠誠を尽くして職を守る日本精神はどこへ消えてしまったので
しょう。これは日本の社会の最大危機です。

この百年、日本統治時代と国民党時代を経て台湾人の主張は圧迫され続
け、一度として台湾人が主人公となったことはありません。しかし、台湾人が
長期にわたって犠牲を払った結果、1990年以後台湾は主体性観念を持つこ
とが社会の主流となりました。日本の方には、この勢力が台湾の社会を変え
る力であることを認識していただきたいと思います。

両国間の将来は台湾と日本の平等互恵関係の上に成り立ちます。台湾を
中国の一部であると見てはなりません。日本と台湾は生命共同体なのです。
即ち台湾なくして、日本はありえない。と同様に、台湾も日本なくしては存在し
えないことを、じっくりと考えていただきたいのです。


日韓併合条約は無効だったのか?

2010年08月22日 03時34分20秒 | 歴史

 民主党政権がこれほどまでに「歴史」をないがしろにするとは思わなかった。
 菅政権は、日韓併合100周年にあたって、日韓併合条約が「当時は有効」であったとする従来の見解を「封印」するという。「封印」とは曖昧な言い方だが、要するに韓国の見解に擦り寄り、日本の近現代史そのものを「否定」し「反省」するということなのだろう。
 
 西洋列強が非西欧世界に押しつけた不平等条約の数々は、欧米の世界支配を法的に担保するものであった。だが、欧米各国が当該条約そのものが「無効」であると認めて、相手国に謝罪した例など皆無だ。
 「歴史と向き合う」とは民主党政権やNHKなどのマスメディアの常套句だが、それは「史実をなかったことにして、相手に謝罪する」ことではない。韓国の主張を受け入れて、「当時は有効だった日韓併合条約」を「初めから無効だった」とするかのような民主党政権の態度は、まさに「売国」と言わざるをえない。
 
 原因ははっきりしている。日本が第2次世界大戦に敗北したという事実が、今なおあらゆる局面で影を落としているということ。さらに、われわれが近現代史にあまりに無頓着で、そこから何も学んでいないという点だ。
 中韓朝三国はおぞましいほどの「反日教育」を続け、国民に反日感情を植え付けている。民主党政権が「日韓併合条約は、日本が強制的に押しつけたものだから、無効である」とすれば、彼らの「反日教育」「反日感情」をさらに煽るだけだ。

 こんな自明なことを平然と行う民主党政権。菅首相と仙石幹事長の頭の中は、全共闘時代のままなのではないかと疑う。一国の命運を担う責任感などひとかけらも感じられない。世襲議員ばかりの自民党政権を見ていて、「こりゃあダメだ」と思ったのも束の間、今度は日本という国家そのものを「憎悪」する首相が現れたのだから、これを「売国」と言わずして何と言うのか? 
 

 

日韓併合条約、菅政権は見解封印 「当時は有効」に触れず

8月22日(日) 2時2分

共同通信

 菅政権は、韓国の統治権を日本に譲与するとした1910年の日韓併合条約締結に関し「当時の国際法に照らし、有効だった」とする従来の政府見解に言及せず封印する方針を固めた。政府関係者が21日、明らかにした。「強制的に結ばされた条約で無効だ」と主張する韓国への配慮が必要と判断したため。政府見解見直しについては「国交正常化以来の日本の主張を覆すことになる」(外務省幹部)として応じない。