このところ毎日、戸籍上の高齢者が次々と見つかっている。
今日、見つかったのは何と186歳、1824年生まれだというから驚く。アヘン戦争が1840年、明治維新が1868年、戸籍法制定が1871年、日清戦争1895年、日露戦争1905年、日韓併合1910年……このように書いてくると、怠慢なお役所仕事を批判するブログだと誤解されるかも知れない。だが実は、全く別の感想を抱いている。
国から委任された戸籍事務を所管する市区町村では、恣意的な判断で戸籍の登録抹消を行うことはできない。186歳の人物が戸籍上抹消されていないからと言って、それが直ちに「役所の怠慢」になるという性質のものではない。愚かなマスメディアは、またまた公務員攻撃の素材に使おうとしているようだが、見当違いも甚だしいと言っておく。
そもそもこの戸籍制度は、世界に類を見ないものだ。戸籍があるのは、日本、台湾、韓国(及び北朝鮮)だけのはず。「大日本帝国」の版図だった地域だ。
戸籍は、家族制度を維持し、国家が国民を管理する道具として使われたという。例えば、「戸籍って何だ―差別をつくりだすもの」(佐藤 文明著 下記参照)は、戸籍制度を批判する立場から書かれている。
そうした批判があることを承知の上で、私が感心したことがある。それは、186歳の人であろうとも、手続きが未了であれば、きちんと戸籍に残してあったことだ。もし、他の国であれば、こんなに律儀に一貫して戸籍事務を続けられるのかどうか。例えば、米国にはもちろん戸籍などなくて、州単位の住民登録があるだけだ。186年前に生まれた市井の一人物のことなど、米国では調べようとしても調べられるはずもない。
毀誉褒貶がある戸籍制度だが、日本という近代国家を造った礎であったことは疑いのない事実だ。東京の下町でも、地方の寒村でも、どこでも均質で公正な事務処理が行われていた。これは法治主義の原点でもある。一見些細に思える、このような当たり前の事象が、近代日本を支える力であったことを忘れてはならないだろう。
ついに186歳!文政7年生まれ「戸籍上生存」 8月26日18時18分配信 読売新聞
高齢者の所在不明問題で、山口県防府市で26日、文政7年(1824年)に生まれた186歳の男性が戸籍上、生きていることになっていることが判明した。
同県光市で165歳の男性、同県周防大島町で164歳男性がそれぞれ、戸籍に残っていることもわかった
プロブレムQ&A 戸籍って何だ―差別をつくりだすもの 佐藤 文明 緑風出版 このアイテムの詳細を見る |