澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「琉球は古来より中国の領土!」と宣伝する中国ビデオ映像

2010年11月18日 20時26分50秒 | 中国

 尖閣事件によってようやく日本人は、中国の領土的野心に気づいたが、中国が狙うのは尖閣諸島だけではない。琉球群島(=沖縄)まで自らの領土だと主張していることは、多くの日本人はまだ本気で受けとめていないようだ。中国による沖縄併合などと書くと、「ネットウヨク」と揶揄されるのがオチだが、下記の映像を見れば、早々お気楽ではいられないはずだ。

 【台湾の声】より転載

【中国の野望】「琉球群島は古来より中国の領土!」 JSN


琉球独立プロパガンダは、新聞の記事だけではなく、中国内のネットでは様々なイメージ動画も出回っています。今回詳記する動画は、沖縄の文化を紹介するようなきれいな動画なのですが、「琉球群島は古来より中国の領土!」というメッセージが強くこめられたものです。
 動画をみれない方のために、簡単に紹介説明します。

<琉球独立プロパガンダ動画:「琉球群島は古来より中国の領土!」>
http://www.youtube.com/watch?v=wVTSSD8Anxo&feature=player_embedded

 琉球列島の地図の上に「琉球王国」と表記された地図が現れます。そして、沖縄本島の地図が表示され、その上に次の大きなテロップが流れます。「琉球列島は、古くから中国の領土である。次に中国の古地図の上に「中国の隋朝は、琉球王国に対して行政管轄を実施していた。」と説明されます。
 その後、古代琉球王国の身分の高そうな人々のモノクロ写真、琉球王の絵が移され、次に首里城のきれいな写真がBGNとともに移されてきます。その後、沖縄観光スポットが紹介されていくのですが、最初に、「琉球王国は中国のものだ!」というメッセージがあったので、
ここで見る首里城や観光地は全て、中国のもののような錯覚に陥ってしまいます。
 中国国内で流すプロパガンダとしては、実に非常に良くできています。
 このようなプロパガンダが中国に広がり、危険な状態になっているという事を、日本国民は早く知るべきです。                          (JSN代表 仲村覚)

JSN■中国の琉球群島(琉球は古来より中国の領土!)


自衛隊は暴力装置 それがどうした?

2010年11月18日 13時56分12秒 | 政治
 きょうの参議院予算委員会質疑で、仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と言及して、その後謝罪、いったん収まったかに見えた。関連質問で丸川珠代が出るに及んで、再発火。

 ウィキペディアで「暴力」を引くと、暴力装置について次のように書かれている。

「暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力(Organized violence)が社会の中で準備されなければならない。軍隊、警察がこれにあたり、社会学者のマックス・ウェーバーはこれらを権力の根本にある暴力装置と位置づけた。」

 そう、これはマックス・ウェーバーの言葉。仙谷が使うとおぞましい響きになるが、政治学や社会学では常識、イロハの言葉なのだ。東大を出ている仙谷や丸川は、この語源を知らぬはずはない。こんな言葉だけで「問責決議」を出すなどというのは、時間の無駄だ。

 菅首相は就任時に「私は(東工大で)現実主義政治学者である永井陽之助先生の教え子」だったというエピソードを披露した。本当に永井陽之助先生に私淑したのであれば、「暴力装置」の意味ぐらいは知らぬはずはない。いつもは、人を貶めるために、あの手この手の言葉を使う菅が、「永井先生の授業で、マックス・ウェーバーの言葉だと聴きました」とか言えば、それでこんな話はお終いだったはず。 決して矢面に立とうとしない菅直人の狡猾さと胡散臭さを改めて感じる。

 国会質疑にあきれ果てた私は、敢えて、次のように言っておこう。

 自衛隊も海保も警察も、すべて暴力装置! それがどうした?
 
 まあ、日本社会党出身の「法匪」である仙谷が言うから、かくも紛糾するのは、分かるけれども…・。
 でも、現下の状況を見れば、こんな足の引っ張り合いは止めて政府は「暴力装置」の増強に努めるべきだろう。 特に閣諸島には、もっと多くの「暴力装置」が必要とされているのですよ、菅サン!

歴史学から見た「ひとつの中国」のウソ

2010年11月18日 10時15分01秒 | 歴史

 先日、大学の授業が終わった後、S教授(歴史学・国際関係史)と立ち話をする機会があった。
 団塊の世代に属する教授は、清朝期の歴史研究の第一人者、学生時代は「新中国」「人民中国」へのシンパシーがあって、この分野に進まれたようだ。その教授が現在、危機感に駆られていることがあるという。それは、満州の歴史についてだ。教授が研究生活を始めた頃、「満州」の歴史を勉強しようとしても、そんな分野には手をつけてはいけないという雰囲気があったという。私もそういう時代の雰囲気は覚えている。

 学問研究が自由なはずの日本で、「満州 」史の研究が憚られたのは、もちろん、「満州国」の問題があったからだが、その一方で、中国が「満州国」を「偽満州国」と断罪し、一切の歴史文書を封印したことも大きかった。日本では「満州」は旧満州あるいは中国東北部と言い換えられ、「満州国」という言葉は、括弧書きでなければ使用できなかった。

 だが今、S教授は、満州は「中華民国」が成立するまでは漢民族の土地ではなかったにもかかわらず、今や本来「中国の土地」だとされてしまった、さらに「中華人民共和国」建国以来の60年の歴史の中で、歴史が捏造されてしまったと話された。毛沢東の「人民中国」は、「中国はひとつ」というスローガンのもと、チベット、ウイグル、内モンゴルなど、少数民族の地域を軍事占領し、漢民族支配を強めてきた。文化大革命以前、満州人の人口は二千万人と言われたが、最近の調査ではわずか二万人となった。虐殺されたり、満州族の言語文化を根こそぎ奪われ、満州人としてのアイデンティティを奪われた結果が、この数字に表れている。満州と満州人は、文字どおり歴史から消え去った…。

 満州が満州人の土地であったとすれば、日本がでっち上げたとされる「満州国」に対する見方も変わってくる。日本人が陥っている自虐史観も幾分は弱まるかも知れない。少し前までこのようなことを言えば、「右翼的」「非常識」と罵られるのが落ちだった。中共(=中国共産党)は、日本帝国主義を打倒し、「満州」を解放したというのが一般的な史観だったからだ。だが今、歴史学界では、「ひとつの中国」というイデオロギーから解き放されて、満州の歴史を見直そうという動きが出ている。平野聡著「清帝国とチベット問題」(名大出版会 2004年)は、その代表例だ。

 広く知られた本についても、意外な展開がある。岩波文庫所収の「紫禁城の黄昏」は、清朝最後の皇帝・溥儀について書かれた名著とされる。だが、この本は完訳本ではなかった。原書は全二六章あるが、第一章から第一〇章まで、及び第一六章が、岩波文庫版には翻訳されていないのだ。2005年になってようやく完訳本が出された。(下記参照)
 この完訳本の中で、監修者の渡部昇一氏が次のように記している。

「…この文庫本(岩波文庫版)は、原著の第一章から第十章までと第十六章を全部省略しているのだ。その理由として訳者たちは”主観的な色彩の強い前史的部分”だからだという。この部分のどこが主観的というのか。清朝を建国したのが満州族であることの、どこが主観的なのか。第十六章は満洲人の王朝の皇帝が、父祖の地に戻る可能性について、当時どのような報道や、記録があったかの第一級史料である。」(完訳本 p.9 監修者まえがき 下線・渡部)

 つまり、岩波書店と文庫の訳者は、清朝皇帝を退位した溥儀が、祖父の地である満州に帰って満州国の皇帝となる可能性に言及した部分を故意に削除しているのだ。要するにそれは、「中国はひとつ」であり、満州は中華人民共和国に属する地域だというイデオロギーに依拠しているからである。岩波という日本を代表する「良心的出版社」は、読者には肝心な部分を「ませない」という”配慮”をしてくださったのだ。何やら「尖閣ビデオ」は公開しない(国民には見せない)とする民主党政権そっくりではないか。
 
 
(「完訳・紫禁城の黄昏」 R.F.ジョンストン著 中山理訳 渡部昇一監修 詳伝社 2005年)

 上述の平野聡氏もまた、清朝の統治構造を分析することによって、「ひとつの中国」の幻想を打破して見せてくれた。
 チベットまで高速鉄道が引かれ、チベットやウイグルの少数民族に対し普通話(漢語)の強制が始まるなど、漢民族による少数民族支配がますます強まるなか、「ひとつの中国」が漢民族によって作られた、「中華帝国」再興を企てるイデオロギーなのだという事実を認識しておくことは重要だ。

 中国史を考える場合、漢民族の歴史だけでなく、少数民族の歴史も視野に入れなければならない。膨大な史料は、素人が口を挟めないほどだが、例えば、モンゴル史については、宮脇淳子氏の分かりやすい映像がある。

宮脇淳子「世界史はモンゴル帝国から始まった」#01 1