澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「清末のキリスト教と国際関係」(佐藤公彦著)を読む

2010年12月03日 09時28分06秒 | 

 「清末のキリスト教と国際関係~太平天国から義和団・露清戦争、国民革命へ~」佐藤公彦著 汲古書院 2010年5月)がようやく手元に。近代中国史、とりわけ義和団研究の第一人者である佐藤公彦氏(東京外国語大学教授)が著した最新刊書だ。

 「あとがき」を見て驚いたが、佐藤教授の大学では、東大や一橋以上に厳格な業績評価システムがあって、一定期限内の論文執筆が義務づけられているようだ。部外者が勝手に思うことだが、こういうシステムには当然一長一短があり、専攻分野によっては大変な重荷になるかも知れないと思ってしまう。とりわけ、近現代史というような茫漠たる対象を研究する人には、厳しいだろうなあと思う。

 脱線してしまったが、本書の内容は、次のとおり。

第一章 近代中国におけるキリスト教布教と地域社会~その受容と太平天国~
第二章 1891年の熱河・金丹道反乱~移住社会の民衆宗教とモンゴル王公・カトリック教会~
第三章 1895年の福建・古田教案~斎教・日清戦争の影・ミッショナリー外交の転換~
第四章 1895年の四川・成都教案~→ミッショナリー問題と帝国主義外交~
第五章 ドイツ連邦文書館所蔵の義和団関係資料について
第六章 露清戦争~1900年満州、ロシアの軍事侵攻~
第七章 1901年のロシア人の義和団論~A・B・ルダコフの義和団研究~
第八章 義和団事件とその後の清朝体制の変動
第九章 近代中国のナショナリズムの変容と蒋介石~清末義和団から国民革命へ~
第十章 日本の義和団研究100年

 近代中国におけるキリスト教布教について、私には二つほど思い出がある。30年くらい前、故・増井経夫氏(東洋史学者)の話を聴いたことがある。増井氏は、戦前の北京で西洋人のカトリック神父がブツブツ呟きながら街をさまよい歩く姿を見かける。増井氏の記憶では、それはさらに時を遡る30年以上も前に中国に布教にきた若い神父と同一人物だったかも知れないという。詳細はよく覚えていないのだが、結論としては、中国という国、中国社会にキリスト教はなかなか受け入れない、私の布教もムダだった…という神父の慨嘆を伝えるエピソードだったように思う。もしかすると、このエピソードは、『中国的自由人の系譜』(増井経夫著 日新聞社朝日選書]に書かれているかも知れないが、今は手元にはない。
 それともうひとつ。私は、戦前の中国に26年間滞在し、「人民中国」(1949年~)の誕生によって、中国から追放されたカトリックのスペイン人神父(故人)に中国語を習ったことがある。それももう大昔の話になったが、受講生が3人だけだったので、いろいろ話を伺う機会はあった。よく覚えているのは、その神父(=大学教授)は、「毛沢東には2回会ったことがある」と話してくれたことだ。それがどういう状況だったのかは、当時も確かめる術はなかった。それは間違いなく、イエズス会の内部機密だったのだろう。

 本著者の佐藤教授は、近現代中国に関して、実体験を持つ知識人、宗教者あるいは庶民が次々とこの世を去り、かれらの体験が継承されず、その時代の歴史認識が次第にステレオタイプになっていくことを深く危惧されているようだ。とりわけ、満州の歴史が、単に日本帝国主義の侵略、「満州国」のでっちあげという側面だけ強調され、清朝の祖父の地、すなわち満州は満州人の地であり、漢人の領域ではなかったという自明の事実でさえ、忘れ去られようとしている。

 550ページに及ぶこの労作。「あとがき」には「本書はかなり広い歴史空間と多岐の問題を扱っており、日本史や宗教史などの研究者にも参考になろうが、多くの人に読んでいただくことなどは考えないことにし、極少数の篤学の方に読んでいただいて、少しばかりお役に立てば宜しいのではなかろうか、と思っている」と謙遜の言葉が書かれている。
 篤学でもなんでもない私だが、ぜひこの労作を読破したいと思っている。
 
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清末のキリスト教と国際関係―太平天国から義和団・露清戦争、国民革命へ (汲古叢書 90)
佐藤 公彦
汲古書院