澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より

2010年12月25日 23時24分00秒 | 台湾

 YouTubeに私がUPした『米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市より」(下掲)を見た方からメールが届いた。

 「日本を評価して下さる方が台南におられるのは、子孫としては涙が出るほど嬉しく思います。父の故郷を一目見たいと思いながら、恨まれているかもとずっと怖かった。喜んでゆけます。」と綴られている。

 この方の祖父が、日本統治時代の台南で仕事をしていて、敗戦後引き揚げてきたという。
 このYouTube映像は、米国ディスカバリー・チャンネル制作のもの。日本のマスメディアが決して報道しない日本の台湾統治の歴史を簡潔、正確に紹介している。これを見て「台湾に喜んでいける」と思っていただけて、本当によかった。

《メールの全文》
引き揚げ船、引き揚げの様子、こんな感じだったのですね・・・

少年時代の父や、一度も逢えなかった祖母(享年38)や赤ちゃんだった叔母(享年2)、叔父 (享年12) 祖父の背中が
写っていたような気がして、涙が止まりません。

祖父が 高砂族の生徒さんたちと撮った記念写真があります
みんな笑顔で楽しそうでした。

帰国後はアル中のモンスターファーザーになってしまった祖父への見方が 
少し変わりました。

日本が悪ではなく、戦争さえなければよかったのに・・・
と改めて思います。

戦争を美化する気は全くありません。
父の一族は5人中3人が餓死し悲惨な戦後を過ごしました。
戦争さえなかったら、台湾の方々とも、
もっと違う関わり方ができていただろうし・・・ 私は、台南から引き揚げてきた
祖父と父の実態がわからなかったので
これを見ることができて嬉しく思いました。

敗戦後、日本に帰ってからの父の生活は
飢餓、母親と兄弟との死別、継母による虐待、
あまりに悲惨なものだったので・・・

植民地支配という事で、
良い印象を持たない台湾の方も
もしやおられるかもしれませんが

日本に戻ってから
不幸のために人格の崩れてしまった祖父は、

台南では
警察官兼教師として
高砂族の方々の小学校の先生として
頑張ってきたのだと思います。

父の台南の思い出も、サトウキビと
その頃はまだ生きていた家族との思い出です。

日本を評価して下さる方が
台南におられるのは

子孫としては
涙が出るほど嬉しく思います。

父の故郷を一目見たいと思いながら、
恨まれているかもとずっと怖かった。
喜んでゆけます。

戦争は二度と起こしてはいけない それは事実です。

過去を見つめながら
平和を考えてゆきたいです

米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より