2011年へのカウントダウンは、マーラーの交響曲第二番「復活」で始まった。
5,4,3,2,1…たったいま、2011年に。
謹賀新年!
良き年となりますように!
バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章1/4
2011年へのカウントダウンは、マーラーの交響曲第二番「復活」で始まった。
5,4,3,2,1…たったいま、2011年に。
謹賀新年!
良き年となりますように!
バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章1/4
李登輝・元台湾総統は、来年、といっても明日は新年だが、90歳を迎える。今なおお元気で、月刊雑誌「Will」(2011年2月号)に「今、日本に必要な指導者とは」という一文を寄せている。
李登輝「今、日本に必要な指導者とは」(「WILL」2011.2月号)
現在、日本のマスメディアは、李登輝氏の存在を不当に過小評価している。それは、中国共産党と中国国民党が造り上げた「ひとつの中国」という神話に騙され、「中華人民共和国」こそが「中国」であるというイデオロギーにとらわれているからに他ならない。1990年代になって、台湾に李登輝氏という政治家が表れ、中国国民党一党独裁体制を打破し、台湾に議会制民主主義を定着させ、台湾の「本土化」を実現した。この李登輝氏は、日本統治時代に「日本人」として教育を受けた、台湾の「日本語世代」の代表的人物である。
「日本統治時代の台湾は日本的教育、西欧的教育を施され、日本人らしい実直さや文化、道徳を教わってきました。私自身も二十二歳まで日本人として日本教育を受けたんです。ところが戦後、大陸から人々がやってきた時に、ギャップが生まれました。その結果が二・二八事件でした。……その背景には、日本統治時代に身に付いた道徳と全く反する、大陸からの外省人による腐敗政治がありました。本省人にとって、このような状況は耐えがたいものがあったのです。」
「それから四十年のながきにわたり、台湾では戒厳令が敷かれ、本省人が厳しい言論統制下におかれ、多くの人が投獄、殺害、処刑されました。私はこの白色テロを”文明の衝突”と呼びました。台湾と大陸では文明が違うのです。そのことを目の当たりにした国民党政府は、日本教育を徹底的に叩く必要があると考えたのです。そして台湾では徹底的な排日教育、排日統制が行われました。日本語を話してはいけない、日本の新聞や雑誌を読んではいけない。おかげで二十二歳まで日本人だった私も、こんなに日本語が下手になってしまった。」
この李登輝氏の言葉を読むと、われわれ日本人が知らず知らずのうちに、「自虐史観」と言われるものに呪縛されてきたかが分かる。日本の植民地統治は「絶対悪」だと教えられてきたわれわれなので、その歴史的経緯や背景を説明されることはなかった。
ここで李登輝氏は、日本統治時代の教育は、中国大陸から来た国民党よりもずっと良かったと言っているのだ。一国の元大統領がこう証言するのだから、その意味は重大だ。言うまでもなく日本統治時代には、教育だけでなく、法治制度の確立、産業振興、保健衛生の普及など、台湾の発展の礎となる数々の改革が行われた。
このことから想像を膨らませると、満州国や朝鮮においても、日本統治時代の教育・インフラ整備を評価する「知日派」「親日派」の満州人、朝鮮人が数多くいたはずだが、日本の敗戦により、共産党独裁国家、反日国家が誕生するに及んで、その多くが粛清されるか、沈黙させられてしまったのではないかと思えてくる。満州や朝鮮にも、今や歴史の中に消え去った数々の李登輝氏がいたのではないか。
インテリを自負する私の友人は、李登輝氏の話に及ぶと露骨にイヤな顔をする。今でもマルクス主義を信奉する彼にとっては、「日本帝国主義」は「悪」であり、その信念を脅かすかもしれない李登輝氏の言葉には敏感なのだ。「不都合な真実」は見ないことにして、自分の信仰を守る。仙谷由人も、この類の人間ではないだろうか。
日本の総理大臣になってくれと言われたらという問いに、李登輝氏は次のように答えている。
「…大局においては、アメリカに使者を派遣し、憲法を改正します。私は”憲法論議もできないようでは、日本は沈んでしまう”と言ってきました。国家の基本である憲法を修正することが第一です。」
敗戦のトラウマを引きずり、「歴史認識」の隘路に陥った感のある日本人に、この李登輝氏の言葉は、心強い示唆を与えてくれる。
来年(明日から新年になるが)、李登輝氏も本文で触れている井尻秀憲氏(東京外国語大学教授・国際関係論)の話を聴く機会がある。テーマは「李登輝の実践哲学」。今から楽しみだ。
それでは、皆様、いいお年をお迎えください!