エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

救急車に乗った孫娘

2007-01-20 | 健康
 その日、1月18日は様子が違っていた。朝、勤めに出かけるママから萌香がどうしても離れなかった。これまでないことだった。ママが出かけてまもなく、おばあちゃんに抱かれながら吐いた。検温すると9度3分もあり、病院へ行かせたかったので、ママに早退してきてもらった。近くの医院で診てもらったが、腸炎だろうとのこと、でも解熱剤はもらえなかった。

 夕飯の後、9時過ぎに自宅へ戻ったばかりの娘に電話したがなかなか通じず、ようやく出た電話口からは「おかーさん!、萌香が痙攣しているすぐ来て!」だった。みんなで飛んでいった。抱かれた萌香の黒目が上まぶたに隠れそうになる様子が忘れられない。異常な様子にすぐに救急車を依頼、私は氷点下の外へパジャマ一枚で飛び出した。市道から自宅への入り口が分かりにくいので誘導しようと思った。消防署からは約2キロ、やがてサイレンが聞こえてきたが、救急車はいつまでも見えず、本当に長く感じられた。9時45分ころ、高熱による痙攣だと思われたが、顔面蒼白、息も止まったそうだ。

 救急隊員は、ママから様子や事情を聞いてメモしていた。毛布に包まれた萌香とママは救急車に乗り竹田病院へ向かった。庭の前での車の切り返しがももどかしかった。もう痙攣を起こしてから15分くらい経っていたろうか。早く早くと心の中で叫んでいた。

 高熱は42度もあった。よく高熱で、脳や耳、目などが冒される話を聞いていたので本当に心配だった。何よりも孫がかわいそうだった。できることなら変わってやりたいと思った。生まれてから3年ほとんど毎日見てきた萌香ちゃんが愛おしくてならなかった。

 小1時間ほど経った頃、病院のパパから連絡が入った。「点滴をしている、まだ熱が下がらないが大分落ち着いたようだと。入院になった。」
 翌朝、3時ころ帰ったパパの話から、ジュースを要求したり話の内容も分かったしで一安心した。朝早く、ママからも、熱が下がって大分落ち着いた旨の連絡があった。

 9時過ぎに武琉を連れ、妻と見舞った。小さい腕に点滴が痛々しいが、元気だった。お腹が空いたご飯が食べたいと訴えた。医師の許可が下りた。持参したおにぎりを半分くらい、美味しそうに食べた。ジュースも飲んだ。
5日間くらいの入院と言われたが、今日の回復だと日曜日には退院できるのではないかと思っている。また明日、楽しみにしている武琉と見舞いに行こう。
 この救急車事件によって、孫を思う家族の一人一人の気持ちをあらためて知ることとなった。    (2007.1.19)