【詩画集 風の道 の表紙】
10年ほど前に偶然立ち寄った美術館(*)で、一片の詩との出会いがあった。
そのとき見た藍染めの布に書かれた詩が心に響いた。
いきさつについては、拙ブログ(2008-10-30)「3年遅れの礼状」に書いた。
(*)今井繁三郎美術収蔵館
そのとき手帳に認めたこの詩は、やがて、山形の詩人・佐藤總右の詩であることが分かり、山形市の霞城公園に「そこは新しい風の通り道・・・」の詩碑の前に立った。
その後また数年を経て、このほどその出典の詩画集「風の道」を手にすることが出来た。
ご子息の松田氏がお持ちだった絶版の詩画集、2冊しか手元にないその1冊を送って下さったのだ。いただいてはいけないと思っているが、心動かされ、いろいろな意味でこの詩を口ずさみながら生活してきた私の時の流れを書棚に止めておきたい思いもある。とりあえずお預かりしておきたいと思っている。
全く分からずに愛唱していた詩歌の題は「風の道」、「詩画集 風の道」の巻頭にあった。10年ぶりに見る全編を新しい気持ちで鑑賞している。
スケッチブック装丁の薄い詩画集は20枚足らずの冊子で、その表紙デザインは、黒い地に赤い色で「詩画集 風の道」とある。早速鑑賞した収録の10数編の詩に思いを込めた作者の心情が表われているような気がする。
自分なりにその詩からいろいろ思い巡らしていた。また、この会津の雪をながめながら、東北の大地と時の流れをオーバアラップさせながら口ずさんでいた。
「風の道」の全文は以下
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「風の道」
そこは新しい風の通り道
吹き抜ける風の中で
ふるさとの雪はめざめる
祭り火は四季をいろどり
人々は伝承の炎を絶やさない
たわわに実る果実のように
人はみな美しい種子を宿している
青いながれのむこう岸から
明るく手招くものがいる
あれは長い伝統を乗り越えた人たち
いきいきと息はずませて
未来の沃土を耕しているのだ
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こうして詩「風の道」を鑑賞すると、忘れかけている心がもたげてきた。
人々はこうして悩み生きてきたのだろうか。いっそう、生きること、生きていることの喜びを知ることとなった。
生きることの意味に悩み葛藤する叫びが心に響く。厳しい眼差し、シャープな研ぎすまざれたこころ、生に悩み、苦悶する一詩人を思わざるを得ない。
(松田達男氏に感謝しながら)