また、月に一度の診察日が巡ってきた。病院まで約2㎞ばかりだが、冷たい北風の中を歩いた。
最近は時の流れがいよいよ速く感じら、一月は瞬く間に過ぎた。
いつも通院に携帯する本、今日は本棚に自然に手が伸びた中野孝次氏の「生きる知恵」だった。
そこで、何度も読む良寛の座右の銘、久しく忘れていた良寛の自画像のような詩「生涯身を立つるに懶く」を静かに味わった。
********************************
生涯懶立身 騰々任天眞 (生涯身を立つるに懶く騰々として天眞に任す)
嚢中三升米 爐邊一束薪 (嚢中三升の米 爐邊一束の薪)
誰問迷悟跡 何知名利塵 (誰か問わん迷悟の跡 何ぞ知らん名利の塵)
夜雨草庵裡 雙脚等間伸 (夜雨草庵の裡 雙脚等間に伸ばす)
********************************
尊敬し、ときどき救われてきた中野孝次氏は、この詩には人間の幸福についての重大な謎が込められていると述べている。
この詩、いつも概ねこうありたいと思う我が願いだが、なかなかそうはいかない。
確かに、本当の幸せは欲がなく、何も持たいところに自分を置かなければわからないのだと思う。
「嚢中三升の米、炉辺一束の薪」の慎ましい良寛の生き方に思いをはせた。
現代人はこの戒めを忘れて、いつまでも物欲に固執しこころの世界に逆行しているような気がしてならない。
もう一度、足を知る生き方をと反省している。
(*)拙ブログの良寛 http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/%CE%C9%B4%B2