明日のことは分からない
(以下、備忘録として)
11日は消化器科の退院後の初検診、2週間がたった。次回検査は来年3月に決まった。
翌12日は、月1度の糖尿病と、連日の診察となった。
いやいやながらも、そこまでは予定通りだったが、夕方とんでもないことになった。
突然の、これまでにない腹痛、吐き気が出はじめ震えも来た。
車を運転してと思いつつも、つかの間に運転できる状態でなくなってしまった。
そろそろ退社時間の娘に連絡を取り、ばあーちゃんに付き添ってもらいなんとか救急外来へ向かった。
誰もいない待合室で長い時間待たされた。
点滴で鎮痛剤を打ち、CT、レントゲンを終えベットに横になった。
2年前のことがよみがえり、また入院か・・・と不安がよぎった。
まずは点滴、いつも辛い。痛い思いをして4度目で針がうまく刺さった。
腸にどんな異変があったのだろうか。
血液検査の結果が出るころには、おなかの痛みは引き始めた。
診断を聞き、約3時間の滞在で帰宅することができた。
少し心配しながら、3日になる。もう大丈夫なようだ。
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【11/12を振り返る】
朝は初霜だったが、久々の快晴に恵まれ清々しく出かけた。
ところが、病院の駐車場に入って、診察カード以下、関係の書類を家に忘れてきた事に気づいた。
折返し家に戻った。 最近、どうも物忘れが多い。
待合室に落ち着き、ゆっくり日ごろの行動を振り返った。
カメラにSDカードを装着し忘れ、ずっと素晴らしい写真をとシャッターを切っていたこと。
これは、ときどきある失敗だ。
ついこの前は、折角撮ってきた貴重な画像データをPC操作でうっかり削除してしまった。
このときの残念な思いは忘れられない。
あらためて歳相応に落ち着いた行動を、そして心静かに日々を送ろうと反省した。
何も焦ることはないのだ。 落ち着いて! 落ち着いて! と言い聞かせていきたい。
診察室の待ち時間、忘れ物がきっかけで、あらためて日々の過ごし方を考える時間となった。
通り過ぎる人たちをやり過ごしながら、患者一人一人の後ろ姿に、それぞれ生活があり人生があることを思った。
いつもそうしているように、書きかけの文章を推敲する。読みかけの本に目を通す。物思いにふける。
ようやく呼びだしかかかる。
診察が終わり、会計を済ませて、隣の薬局に寄る。
やっといつものパターンで診察を終えて帰宅。軽い昼食を摂りゆっくりコタツに温まって過ごしていた。
夕方5時ころ、突然の腹痛が襲った。
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明日のことは分からない。
まさに徒然草の教えるところだ。
「されば、人、死を憎まば生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(第93段)
「ただ今の一念、むなしく過ぐることを惜しむべし」(第108段)
「一生は雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん」(第112段)
会津慈母大観音 飯豊連峰