穏やかに晴れ渡った。雲一つない青空が広がっている。
10年前のあの日は肌寒く、季節外れの驚くほどの吹雪だった。
1年1年、3・11に向き合ってきたが、今日も切ない思いで一日を迎えた。
つかの間の10年だった。自分なりに心の整理が必要と思っている。
節目の10年を重く受け止めている。
大地震、津波の災害は言うに及ばないが、思うは原発事故のことだ。
最近明らかになった原発事故の検証結果にショックを受けている。
安全神話が崩れた事実、原発そのものは言うに呼ばず、事故発生時の対応からは事故は人災だと思う。
大量に残るデブリの回収計画も簡単には受け入れられない。100年かけても不可能とする専門家もいる。
まだ原発の再稼働の動きがあるが、最近は脱原発へと心が動いている。
これからの故郷のため、日本のために震災の教訓を心に刻みたい。
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(参)拙ブログ
○「寺田寅彦の示唆に富む警鐘 」 2012-03-24 | 文芸
https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/8bec5885d96e302a1cea5cb7604558f5
”大震災あれから巡り竹の秋”
書斎からながめる春は、まだ浅い。小雨に濡れる椿の緑と黄ばんだ竹の葉が風に揺れている。「竹の秋」は春の季語。親の竹は、新緑の時期に葉っぱが黄色く枯れたようになり、終には落葉する。まるで秋の紅葉のような現象を「竹の秋」と言う。
庭の黄ばんだ竹の葉は、春を迎える明るさに影を落とす一抹の寂しさを感じさせた。そんな肌寒い早春の庭をながめながら、寺田寅彦随筆集を持ち出し、目次から「天災と国防」、「災難雑考」などを拾った。
そこには、地震の「現象」は止められないが「災害」は注意次第で軽減しうること、さらに文明が進むほど自然災害は甚大となる事実、「安政地震」とは事情が全く違うこと、また、事故の責任の取り方や検証の意義、気象学的地球物理学的に絶えず脅かされる運命に置かれる日本であることを一日も忘れてはならないことなど、もう80年も前の物理学者の震災への示唆に富む警鐘があった。天災は忘れた頃に来たのだ。
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○「悲しみの向こうに きれいな花が咲く」 2013-03-12 | 日々の生活
復興支援ソング、亡くなられた人への鎮魂の歌、被災者への応援歌『花は咲く』を毎日聴いている。いつしか、この心に染みる、寂しく静かな、そしてきれいな歌の歌詞を覚えた。作詞をした岩谷俊二氏は、亡くなった人たち、生き残った人たち、あの震災を遠くから心配していた人たちの、3.11から今に至るまでの想いを、僅かでも書き留めたかったと述べている。
地震、津波、さらには原発に被災した方々の思いをテレビで見ては、切なく、いつも悲しみを共有することしかできない自分が情けなかった。
歌詞の一節「わたしは何を残しただろう」が気になっていたが、亡くなった人の悔しさを思い、その人の分までしっかり生きて花を咲かせなければならないと思った。
厳しい寒さの季節の後には間違いなく暖かな春が来て、花は咲く。悲しみの向こうには新しい明日、きれいな花が咲くに違いない。 大震災から2年が経った。
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心がまとまらないままに、春まだ浅い里山が呼んでいた。
つい先日まで雪道で通れなかった高速沿いの道を通り、雪の飯豊を遠望し会津慈母観音像を拝んだ。 (2021.3.11)