【長瀞 岩畳】
きのう、妻と日帰りバスツアー『小江戸散策 川越&長瀞 岩畳とハナビシソウ園』に参加した。
何の心配もなくバスに揺られながら、思い巡らせた。
大病から生かされ8年、はじめの5年間は毎月1度、その後は3月に一度、検診を受けに神奈川の病院まで高速バスに揺られた。
数十回の通い慣れた高速バスの旅だった。
車窓から朝ぼらけの磐梯山をながめながら、その頃の辛い思いが蘇ってきた。
のどかな田園風景に、取り戻した健康が今更ながらありがたく、あらためてこれまでお世話になった周囲に感謝の念がわいてきた。
7時前に高速道に入り、磐越道、東北道、北関東道、関越道を走った。
あたらしい高速道路MAPを見ながら,地域の景色を眺めた。
約4時間、ようやく花園ICを出て長瀞へ到着、少し早かったが準備された昼食の竹善料理をいただいた。
メニューのハナビシソウはまだ咲いていなかったので、近くの寶登山神社に参拝した。
「千古の霊場」と詠われるこの神社は、昨年136年ぶりの大改修がされ、彩色された本殿の彫刻は豪華絢爛だった。
いよいよ長瀞の岩畳を見ることが出来た。
変成岩帯が地表に露出し、隆起した結晶片岩が文字どおり岩畳となって広がる風景は、自然が創り出した美しい芸術品だった。
この「岩畳」は1924(大正14)年の指定の名勝・天然記念物で、その指定解説文に
『結晶片岩ヨリ成レル峽谷ニシテ兩岸絶壁ヲナシ勝景ノ地タルト共ニ結晶片岩能ク露出シ且ツ本邦ニ特有ノ紅廉片岩ヲ見ルヘク或ハ層埋ニ沿ヒ或ハ之ニ直角ニ種々ノ浸蝕ノ痕跡アル外地層ノ褶曲斷層明カニシテ特ニ褶曲ニハ其ノ種類多ク斷層ニ基因セル鏡肌アリ蓋シ結晶片岩地方ノ峽谷トシテハ關東ニ於ケル代表的ノモノタルノミナラズ前記ノ如ク各種ノ天然紀念物アリ』とある。
地下20㎞の深さに相当する6000~7000気圧、200~300℃で作られたものが、造山運動により地表に顔を出したのが、この長瀞渓谷である。
大正5(1916)年、この地を訪れた宮沢賢治は
”つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ”と詠んでいる。
岩石が薄くはがれやすい「片理」や多数の割れ目「節理」、荒川の浸食によって造られたこれらの造形は実に美しかった。
希望していた船下りも、昨日までの雨で水かさが多く中止となってしまった。
曇り空からポツリポツリ、濁った荒川の流れの端、岩畳付近をゆっくり散策した。
次の目的地は川越へ、
シンボル「時の鐘」は環境庁主催の「残したい日本の音風景百選」に選ばれた。
そのシンボルや、江戸時代の風情を見せる蔵造りの町並みを巡った。
蔵造り資料館を見て、度重なる大火に、類焼を防ぐ為の巧妙な耐火建築が江戸の町や様式として発達したことを知った。
重厚な蔵づくりの建物の並ぶ一番街から、菓子屋横町などを巡り、妻は、目のない甘いお菓子を土産に沢山買い込んだ。
観光パンフレットには「時(とき)薫るまち 川越」とあった。
バスに揺られる時間が長く、さすがにおしりが痛くなるくらいだったが、久しぶりにのんびりした時を過ごし無事に帰宅した。
長瀞、川越は埼玉県でも観光地として練れた良い場所だと思います。最近「蝶」の写真を撮り始めてご無沙汰していますが、会津と並んで素敵な場所ですね!
隣町の喜多方も蔵の町で売り出しています。、喜多方にはちょっと変わったレンガ蔵もあります。風情があって良い町ですね。
東京近郊の高速道がほとんどつながっていて驚きました。
いつも珍しい虫たちの写真、すばらしいです。
楽しみに訪問します。