エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

ころり3観音を参拝

2015-10-03 | 旅行

町内行事「研修視察」で、ころり3観音を参拝した。

例年,参加者が少なく企画に苦しんでいる行事だが、今年は例年にない19名もの参加者があった。

朝9時に町内会館を出発、一路西会津の鳥追い観音へ。 →坂下の立木観音→新鶴の中田観音の順で会津ころり3観音をお詣りした。

朝早い鳥追い観音は清々しく、心が澄みわたる感覚がした。ご本尊の聖観音をお詣りし、堂内の抱きつき柱に抱きついた。

観音堂の東側軒下の壮麗な彫刻に、左甚五郎の作と言われる隠れ3猿を探した。

(*)左甚五郎作の隠れ三猿

御堂の彫刻の中で有名な「隠れ三猿」は、観音堂再建の際、鳥追観音の霊験にあやかろうと左甚五郎が心を込めて刻んだと伝えられる名作です。その三匹の猿とは、鷹に襲われる猿(難より隠れサル)・鷹が猿を見失い難を逃れた猿(難を逃れサル)・手枕で丸くなって眠る猿(安楽に暮らしサル)の三猿で、観音の大慈大悲に祈願してこの三猿を探し得れば牡丹の蕾が花開くように幸運が開き「福マサル」といわれています。三匹目の猿はなかなか見つけられません(心に迷いがある方は見つけられないとも言われています)が、答えはこの説明の中に隠されています。

 

 

 

坂下の塔寺の立木観音は、1本のケヤキの大樹から彫り出した千手観音である。もう何十年ぶりだったろうか、黒光りする千手観音の足の甲と爪に触りお願い事をした。

観音様の両脇の28部衆はケヤキやホウノキの一木造りで色彩も豊かだった。

 

最後に野口英世の母シカが参詣した中田観音で。抱きつき柱に抱きつき,長患いせずに往生できるように念願した。

となりの小学校の運動会で、道は駐車場となり、風に乗って霧島昇の歌う「白虎隊」が聞こえてきた。

3観音を巡り終え、各寺で御朱印をいだたいた。ぴんぴんころりと逝けそうな気がしてきた。

 

昨日までの北海道の爆弾低気圧に心配したが、今朝は久々の濃霧でやがて霧も晴れ、雲一つない最高の秋晴れに恵まれた。

帰りは新鶴温泉で昼食・入浴休憩を楽しみ、ほぼ計画通りに午後2時町内会館へ戻った。

来年も希望者が沢山でるような企画を考えていきたいと思っている。

とても充実した研修ができた。皆さんご苦労様でした。

 

【Wikipedia】から

会津ころり三観音(あいづころりさんかんのん)は、福島県会津地方大沼郡会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)、河沼郡会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音)、耶麻郡西会津町野沢の如法寺(鳥追観音)の三観音をあわせて、会津ころり三観音という。

人間は生を受けてのちは三毒(とん=むさぼること)、(しん=いかること)、(ち=おろかなこと)によりもろもろの苦悩を受けることになるが、この三観音に巡拝し、罪障消滅を祈願することにより、その苦しみが除かれ、現世においては子孫繁栄、万願成就、寿命安楽などがかなえられ、やがて大往生を遂げられるという。

特に観音堂内にある抱きつき柱にすがれば、死の床に際しても苦しまずに成仏でき、家族に余計な負担をかけずにすむということで「ころり」三観音と呼ばれるようになった。


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