都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
『桜の木』 都月満夫 妻の一周忌が終わった。三人の息子たちもそれぞれ家庭を持ち、長男夫婦と孫が同居している。私は六十五歳で退職して二年が過ぎていた。退職したら、妻と二人で旅行をしようと話し合っていた。滝上町の芝桜を楽しみにしていたのだが、それもできなくなった。
妻は、私が退職して間もなく、肺ガンで入院した。風邪ひとつ引かなかった妻であったが、一年にも満たない入院生活で逝ってしまった。その日は、妻の大好きだった庭の桜の花が全部散ってしまうほどの、風の強い日であった。
「何故あいつが肺ガンなんだ。私も煙草は吸わないし、子供たちの誰も吸わない。何かの間違いだろう。医師(せんせい)ちゃんと調べてくれよ。お願いだから、間違いだったって、言ってくれよ。」
「煙草を吸う、吸わないで、肺ガンになる訳ではありません。一般的には煙草を吸う人のほうが、発症率は高いですがね。」
全く事務的な答えだよ。医師にとって、病気だとか、人の死は日常なんだろうけど、こっちにとっては、非日常なんだ。
「おとうさん、もう桜咲きましたか?」
「まだ咲かないよ。まだ四月だもの。」
「そうなの、まだ四月なの…。」
妻の脳から、日常が消えていく。日付さえ分からない。毎日毎日、同じ事を聞く。
「おとうさん、もう桜咲きましたか?」
同じ会話でも良かった。かあさんと話ができるうちはよかった。とうとう、呼吸が苦しくなって、喉に穴を開けた。もう会話は出来ない。声も聞けない。
退院して、桜を見るのを、本当に楽しみにしていた妻であったが、とうとう見ることもないまま、逝ってしまった。
その桜の木が、今年はことのほか見事に満開に咲き誇っている。妻の喜ぶ顔もなく、私はぼんやりと桜を見ていた。
私の自家製のガーデンベンチに座り、ガーデンテーブルに、湯飲みが二つおいてある。退職の日に長男の裕がくれたものだ。
「こんなに綺麗な桜が咲いたから、かあさんと一緒に見ようと思ってさ。」
「おとうさん、馬鹿なことしているわね。」
って、笑っているかな。
いいじゃないか。私が一緒にお茶を飲みたいのだから…。
かあさんの好きな「緑園」の玉露だよ。ちゃんと湯冷ましして入れたよ。
「おとうさんは、せっかちだから、直ぐに沸騰したお湯を入れるのだから…。玉露は湯冷まししてから、静かに入れるのよ。」
そう言って、いつも叱られていたからな。美味しいだろう。ちゃんと入れたのだから。
かあさんが入れたお茶には、かなわないけどさ。かあさんが入れてくれたお茶が飲みたくてさ。でも、もう入れてくれないから、私だって何度も何度も練習したのさ。でも、まだかなわないよ。
「おとうさん、お茶が入りましたよ。」
そういってくれる笑顔が無いからさ。お茶ってヤツは、入れてくれた人の心も含めて、お茶なのだよな。何度もお茶を入れて、そう悟ったのさ。千利休の心境も、そういうものじゃないのかな。なんて、思ったりしてさ。
かあさんは達人で、私は見様見まねの小僧って訳だ。
小僧だって、随分上達したろう。早く飲みなよ、冷めちゃうじゃないか。
かあさんと私が結婚して、子供が生まれて家を建てた。引越しのとき、かあさんが記念にって、みんなで植樹した桜だ。まだ三男の稔は生まれてなかったかな。
稔は、かあさんより早く逝っちまった…。アイツも癌だったからな。かあさん、毎日病院に通って、帰ってきては泣いていたよな。可哀想だってさ。アイツが日毎に痩せていくって…。飯も食えなくなって、点滴だけになって…。そのうち、呼吸が出来ないって、喉に穴をあけられて、話も出来なくなっちまった。
震える手で白板に字を書いて、会話していた。そのうち意識が朦朧として、稔も自分で何書くんだか忘れてしまうようになった。
ある日、急に白板に「あにき、よんで…」って書いた。かあさん、慌てて裕の会社に電話した。そしたら裕直ぐに病院に来た。
「どうした稔。なんかオレに言いたいことがあるのか。」って、裕が聞いたら、小さく頷いて「長兄には…」って書いたきり、言いたいことが思い出せなくて、一所懸命考えてた。
「いいんだ。いいんだ稔。長兄なんて難しい言葉使うから忘れちゃうんだ。ゆっくり考えろ。ゆっくりでいいんだ。」
稔の目から一滴の涙が零れた。そのうち、稔は寝てしまった。裕は帰り際に言った。
「母さん、稔がオレに言いたいこと思い出したら、いつでも電話していいから…。」
兄弟のやり取りを見ても、泣いていた。
毎日泣いていたのに、葬式の日は「親より早く死ぬなんて…。親不孝だ。」って涙見せないで頑張って…。あんまり悲しいと、涙も出ないんだよな。私だって涙がでなかった。寒い日だったよな。二月十日、雪が降ってさ。
それから直ぐに、かあさんが発病して。何も、追いかけて逝くことはないのに…。
この桜を植えて、もう三十年も経ってしまったのだよ。あんな小さかった苗木が、こんなに大きくなって、あっという間だったな。
毎年、この木の下で、家族で花見だって、ジンギスカン焼いてさ。子供たちも食べ盛りで、足りないなんて言い出して、慌てて買いに行ったこともあったよな。
死んじゃったけど、稔だけ私に似て酒飲みだった。魚釣りも好きだった。子供の頃、家族でやっていたマージャンも、大人になってからやっていたのは、稔だけだった。
かあさん、私は知っていたのだよ。アイツがマージャンで負けて、お金借りに来ていたのをさ。お客さんの付き合いじゃ仕様がないねって、貸していたのをさ。
次男の隆は市役所に入ってよかったよ。アイツは役所以外では、使い物にならないからな。頭は良いのだけれど、それだけに融通が利かない、民間の会社だったら、お客さんに叱られっぱなしだよ。四角四面を絵に描いたような性格だからな。賽の目だって角を削ってあるから、コロコロ転がるのにさ。四角四面じゃ転がりようが無い。規則なんて適当に覚えてりゃあいいものを、アイツはきっちり覚えちまう。だから、融通の利かせようが無い。もう少し頭が柔らかかったら、規則の隙間ってヤツを使えばいいのに、隙間さえ作らない。規則は使うもので、縛られるものじゃないのにさ。そうすりゃあ、もっと出世したろうにさ。そうは言ったって訊くような耳をアイツは持ってないけどさ。
兄貴の裕は誰に似たのか、強情張りで、言い出したら梃子でも引かない。石油の販売会社でコンピュータの仕事をやっている。毎日夜中に帰ってくるよ。
「会社の上司は、コンピュータの機会さえ買えばいいと思っている、大馬鹿野郎だ。」
なんて毎日怒っているよ。
コンピュータの請求書作りが起動に乗ったら、今度はPOSを入れるってことになってさ。その説明会に裕は出席しなくていいっていわれたんだと。「POSはポイントオブセールスで、その場で処理をするから、お前はいい。」って言われたのだと。そしたらアイツ上司に向かって言ったんだと。
「お前は馬鹿か、POSってどんなものか知っているのか、分かりもしないで偉そうな口利くな。POSってのはデータ、即ち伝票を作るだけの機会なんだ。分かっているのか。POSのデータをコンピュータにどうやって取り入れるか、またソフト作らなくちゃあ何ねえだろ…、私が行かなくてどうするのだ。POSとコンピュータ繋がんないだろうよ。せっかくPOSでつくったデータを、前の伝票のように手入力するのか。」
そう言って、えらい剣幕で怒ったそうだ。そうしたら、上司がとぼけたように言ったんだとさ。
「又、金が掛かるのか?」
「あったり前だ。そんなことさえも知らないで、相手の言いなりで機械化しようって言うのか。少しは勉強しろよ。いつもスタンドの従業員に、少しは頭を使って仕事をしろって言ってるくせに、自分の頭は飾りもんか。」
そう言ってやったら、その上司、困った顔してたってさ。
上司だって困ったんだろうよ。経理にPOSさえ買えばいいような話で、許可取ったのだろうから…。
それからは、コンピュータに関する話は全部、裕を通すようになったのだと。
アイツらしいだろ。頭に血が上ると、上司だろうが何だろうが見境が無いのだから。でも上司だって、反論できないよ。アイツが言っているのが正論だからな。上司もコンピュータって、金が掛かるって言って困っているそうだ。
「何か変わったら、口で言えばよかった時代の事務処理とは違うのだ。その度に金と時間が掛かる。そんなことも知らないで、機械化しようてんだから、こんなことになる。大笑いだよ。」ってアイツ笑っていた。
だけど何回申し入れても、残業代はくれないって怒っているよ。女性事務員の残業代もすごい金額になってきたので、何とかならないかって相談されたそうだ。
「何ともならないね。毎日午前様で帰ってる人間に、残業代の話なんか出来ない。出さないんだったら、残業させない。」
午前様で帰るんだから、バスは無い。だからアイツ、自分の車で毎晩全員送ってるんだとさ。アイツらしいよ。
機会(ハード)とプログラム(ソフト)の担当者には、何とか頼んで、会社が終業してからやって貰っている。大変だよって…。
請求書を出す時も、データを出す時も、仕事が終わってから裕が一人でやっている。だから、お前が仕事している訳じゃない、お前は機会見ているだけだって、訳のわかんない理由で、残業は出せないって言うのだとさ。
「だったら、もっと速いプリンターを二、三台買ってくれ。時間を縛られるってのを仕事って言うのだ。」って言ったら、困った顔していたって、アイツ笑っていた。
経理部の課長さんは、毎日毎日七時に帰って残業代貰っている。あいつも大変だよ、家のローンがあるから、仕事も無いのに、七時 まで煙草吸って時間潰しているのだから…。
会社だって分かりそうなものだろうよ、毎日同じ時間に帰る残業なんてある訳ないだろうよ。そう言ってやったら、経理の仕事量は大体毎日同じだからだって言われたってさ。
「そうしたら、何でアイツに残業がでてオレには出ないんだ。」って聞いたら、「経理の仕事は大変なんだ。」って言われた。あいつら役員全員馬鹿だよ。馬鹿の総大将が、何にも仕事をしない社長だ。昼に奥さんと、釧路まで行って蕎麦食ってきた話を、三時くらいに帰ってきて、社員の前で言うような大馬鹿だ。
アイツの言いたい放題だ。アイツだって言わなきゃストレス溜まるだろうし、言われるほうも黙って訊くしかない。会社もアイツしかコンピュータいじれないから、首にも出来ない。アイツも自分がいないと困るって知っているから、土曜の交代休みも会社に行っている。おまけに日曜日まで…。
一番困っているのはアイツさ。そんなに文句言っているなら辞めりゃあいいのに、コンピュータいじっているのが好きなんだとさ。
世の中なかなか旨くいかないよ。なあ、かあさん。
そんな訳で、裕も隆も何とかやっているようだから、安心してもいいよ。私だって、ちゃんと晩酌はコップ一杯で止めているよ。本当だよ。裕の嫁さん、敏子さんが「義母さんに叱られますよって…。」厳しいのだよ。
ところで、どうだいそっちは。稔と上手くやっているかい。稔は甘えたヤツだから、かあさんが来てくれて、大喜びだろうよ。そっちでも甘やかしているのかい。いいよ、いいよ、甘やかしてあげなよ。誰も文句は言わないから…。もう暫くそうして待っていておくれよ。私もそっちへ逝きたいのだけれど、私が逝ってしまったら、かあさんの大好きな桜の木は、誰が面倒見るんだよ。裕は毎日、忙しいって、帰りは遅いし…。
桜の面倒見るのは大変なのだよ。虫は付くし、怖い病気もあるのだよ。天狗巣病って病気なんだけどな。これは枝の一部があたかも天狗が巣を作ったように、こぶ状にふくらんで大きくなり、小枝がほうき状に伸びる病気のことなんだよ。
天狗巣が発病した枝を放置しておくと、周りの健全な枝にも、うつって、やがて樹体全体が、天狗巣化しちゃうのだ。そうなると、花芽は形成せず健全な枝は弱わって、天狗巣だけが短期間で小型の葉を展開し、成長を続けるのだ。病巣はやがて胞子をだすと枯れてしまう。枯枝からは材質腐朽菌が侵入し、材を腐らせるので、樹勢が衰退し、枯れてしまうのだよ。私だって製材会社にいたんだ。
怖いだろう。だから毎日枝を見ていて、膨らんできたところの、少ししたから切り取らなくてはならない。殺虫剤も撒かなくちゃならない。まだまだこの桜には頑張って貰わなくてはならないからな。
最近、裕の嫁さん、敏子さんが「お義父さん、家の桜の花はとても綺麗ですよね。」
なんて褒めてくれるんだ。
「お義父さん、まだまだ、頑張ってくださいよ。うちのお父さんが退職してから、手入れの仕方、ちゃんと教えて下さいね。こんな綺麗に咲く桜なんて珍しいのですから…。」
なんて煽てるもんだからさ。後二十年は待ってくれよな。
敏子さん、桜を携帯のカメラで撮って、会社で自慢しているんだそうだ。嫁さんが、自慢してくれるなんて、嬉しいじゃないか。
かあさんは知ってたかな。「サクラ」は神様の木なんだとさ。私も最近知ったんだけどね。裕がコンピュータで調べたんだとさ。なんでも「サ」はもともと耕作を表す言葉で、後に田んぼの神様「サの神」になったんだそうだ。日本人にとって米は神様の食べ物だったんだ。食べるときに、「いただきます。」と云うのは、神様と同じものを、食べさせて頂きますという感謝の言葉なんだそうだ。
だから旧暦五月に「五月女」「早苗」とか、サが付く言葉が多い。田植えは生命を生み出す女性の仕事だった。だから菖蒲湯で身体を清め、晴れ着を着て苗を植えるんだそうだ。
「サクラ」は「サ座」と書いて、神の宿る木なんだそうだ。だから、桜が咲くと、木の周りに集まって、米から造った「酒」を飲み豊作を祈願したのだそうだ。桜の花の咲き具合で豊作を占ったりしたんだとさ。
それが、今は花見だって大騒ぎだ。桜をジンギスカンの煙で燻して、いいのかな。
ああ、寒くなってきたよ。もう家に入ろうか。かあさんのお茶、冷めちゃったじゃないか。明日も旨い玉露入れてあげるよ。