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浴衣と風呂敷の語源・由来.

2009-07-08 09:21:52 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

1.浴衣の語源・由来

浴衣とは

現在は木綿で作った単衣(ひとえ)の着物をいう。

Photo 浴衣の漢字は当て字で、「湯帷子(ゆかたびら)」の略である。 「湯帷子」は平安時代の貴族が入浴時や入浴後に着る「帷子」のことで、「帷子」とは夏用の単衣の着物を意味し「片枚(かたびら)」とも書かれる。

日本の洗髪(沐浴)の歴史は、飛鳥時代にさかのぼる。

それ以前は衛生のためと言うより、宗教儀式として身を清めていました。6世紀に百済から仏教が伝来すると、仏に仕える者の心身を清めるために寺院に浴堂が設けられます。そこで、湯と植物を使った洗髪が始まりました。

平安中期の「和名抄(倭名類聚鈔)には、「内衣布で沐浴の衣也」とある。

当時の貴族は五ヶ月に一度程度しか沐浴をしなかったのです。ですから常に皮膚病が蔓延し、あの厚化粧の白塗りの下はどんな顔だったのでしょうか。平安京の時代、日本気候史上稀に見る寒冷期でもあったのです。平安京(京都)は現在でも夏は蒸し暑く、冬は寒い盆地に位置しています。

江戸時代以降、入浴に関係なく夏に着る単衣を「ゆかた」というようになった。

湯帷子(ゆかたびら)とは

当時の入浴は、蒸気を浴びるサウナのような蒸風呂で、汗を吸い取るためや、ヤケドをしないように麻の薄い単(ひとえ)を着ました。これが「湯帷子」です(白っぽいものだったようです)。

室町時代には「身拭い」(身ぬぐい)と言っていたようです。手拭いのように体を拭く感覚だったのでしょうか。

浴衣が庶民の間に広がったのは

Photo_2 江戸時代後期に、町人文化の発展にともなって風呂屋が普及し、湯上りに汗を取るために着るようになり、浴衣と呼ばれはじめます。 このころは風呂には裸で入るようになっていました。だから浴衣もはじめは湯上りの汗をふき取るために、風呂屋の2階などで着ていたのです。その後、木綿の普及により麻から木綿へと変わり、下着から外着へとその用途を変えていきました。

江戸町民の間では、盆踊りや花見などに揃いのゆかたで出かけることが流行し華やかな文様が生まれ、また、歌舞伎役者が舞台で着た衣装を庶民が真似るなどしたことでゆかた文化が江戸に花開きました。

天保の改革で浴衣がひろまる

もう一つ江戸時代に浴衣が広まった要因として天保の改革(注)があげられます。

天保の改革で町人は絹を着てはならないという掟が出されてからは、木綿のゆかたがますます発達したのです。

(注)「天保の改革」:徳川時代後期、天保年間(18301843)将軍徳川家慶のときに老中水野忠邦が中心となって行った幕政の改革と諸藩の藩政改革の総称

浴衣が夏の普段着として全国的に定着したのは明治に入ってから
それまでの本藍の手染めにかわって、大量生産が可能な「注染」(注)という染色方法が発明されてからです。

(注)「注染」:型紙を用いて防染糊(のり)をつけた布を重ね、染料を注いで下から吸い取って染める技法。手ぬぐいや浴衣などを染めるのに使われる。

そして平成の現在

戦後、洋風化に伴い着物が廃れる(高級化、着る頻度が減る)のに伴い浴衣も一時廃れる傾向にありました。現在でもホテルや旅館では湯上りに着て寝巻きに利用しますが、風呂上りの夕涼みと言うイメージでした。しかし、色・柄ともに多種多様なものが現れ(中国での生産がふえた)、最近では若い女性の間で、夏祭りや花火大会など、「夏のおしゃれ着」として着られることが多くなっています。

着物からは縁遠くなってしまった現代ですが、ゆかたは夏の風物詩としてまだまだ健在であるといえましょう。

浴衣は「身拭い」(みぬぐい)から「湯上りのバスローブ」になり「夏の晴れ着」になったわけですね。こうなるともう漢字の「浴衣」ではなく「ゆかた」という着物ですね。

2.風呂敷の語源・由来

風呂敷(ふろしき)とは

風呂に入るときには衣類を包んでおき、湯から上がったときには足を拭くのに用いた布。物を包む(包んで持ち歩く)のに使う四角な布

風呂敷の語源

室町時代までのお風呂は、「蒸風呂」(むしぶろ)でした。(上記)

大名たちは、大きな蒸風呂にまねかれた時に脱いだ衣服を、家紋入りの大きな絹布に包み、ほかの人の衣服とまぎれないようにしていました。

そして、風呂からあがってからは、この絹布の上で、身繕い(みづくろい)をしたのです。

Photo_3 江戸時代に入ると、入浴料をとる「銭湯(せんとう)」が誕生しました。

これは、今のようにお湯を張った、湯船のある、お風呂です。

人々は、手拭い、浴衣(ゆかた)、垢(あか)すり、軽石などを四角い布に包み銭湯へ通うようになりました。

こうして、湯道具を風呂に敷く布のようなもので包むようになり、その布の上で着物を脱ぎ包みます。湯から上がると、包みを解いてその布の上で着物で着たりしていました。その四角い包み布を風呂敷と呼ぶようになった、ということです。

おまけの雑学

江戸の銭湯は[入り込み湯(いりこみゆ)」といわれ、当初より男女混浴です。これは、江戸末期まで続きました。採光も何もなく、ざくろ口(注)の中は暗く、風紀を乱すものも少なくなかったのでしょう、何度か禁止令が出されます。しかし、実際はなかなか改まらず、天保の改革(1841~43)の際、厳しく取り締まりが行なわれました。その結果、浴槽の中央に仕切りを取り付けたり、男女の入浴日時を分けたり、また男湯だけ、女湯だけという銭湯も現われました。

Photo_4 (注)「ざくろ口」:江戸時代の銭湯の浴室(湯舟)への入口。蒸気浴温湯浴を組み合わせた戸棚風呂(注)の引戸の開閉が不便だったため、入口を開放し、湯気が外部に逃げるのを防ぐため入口を低くしたもの。当時の湯量は約一尺というから、30㎝ほどの、半身浴でした。

(注)「戸棚風呂」:湯船の縁に引戸を載せた形が戸棚に似ていることから呼ばれたもの。つまり戸棚の中に浴槽があるものと思えばよい。湯船に少量の湯を入れ(上記)、引戸を閉めれば、湯気が充満して上部は蒸し風呂となる。本来、「風呂屋」は蒸風呂で「湯屋」は温湯浴を主とした風呂と考えられている。

Photo_5 江戸時代の銭湯は朝からわかして、タ方六つ(午後6時)の合図で終わります。銭湯では上下の区別なく、裸の付き合いができる庶民の憩いの場所でした。やがて銭湯で、客に湯茶のサービスもするようになって、湯女(ゆな)が大活躍します。というのは、この湯女たち、昼は客の背中を流していますが、タ方4時を境に、客をもてなします。

Photo_6 その後、湯女風呂という男専用の風呂が出来、商家の旦那衆や若者たちの間で大評判になります。

一方、幕府は風紀上の理由から、たびたび禁止令を出しますが、ほとんど効き目はない状態でした。しかし、元禄16年(1703)江戸をおそった震災が引き金になって、湯女風呂は自然消滅します。

「三助」=「浴場内での垢すり」というイメージですが、本来の意味は違います。

三助の語源は本来、銭湯で「釜焚き」「湯加減の調整」「番台業務」の「三つ」の役を「助」けた(兼務した)ことからこう呼ばれた。このほか、浴場内で垢すりや髪すき等のサービスを提供する場合もあり、この役割が強調されて、そのイメージが現在も残っています。

湯舟と湯船の違い

湯舟:入浴用の湯を入れ、人がその中に入る大きな箱または桶。浴槽。

湯船:江戸時代、船内に浴槽を設け、停泊中の船を回り、料金を取って船乗りや客を入浴させた船。

明治時代になって、明治政府は、幕府以来の旧弊として、男女「入り込み湯」はとくに厳しく禁止しました。守らぬ業者は営業停止処分にしたり、たびたび通達を出したりします。しかし、長年の風習はそう簡単には改まりません。実際に混浴がなくなるのは、明治23年(1890年)の、子どもでも7歳以上の混浴は禁止という法令が出されて以降のことです。残念!

したっけ。

コメント
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倉内佐知子

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